ウルトラ裏方ファン
2007年10月に、ウルトラなお友だちの皆さんと出会った。
以来、皆さんのお誘いで、ワンフェスやトイフェスといったイベントや、博品館や中日劇場などでのウルトラステージショー、ロフト・プラスワンなどの怪しい(?)場所でのトークショーなど、これまで無縁だった世界にも足を踏み入れた。
長くファンをやってはいるのだが、俳優さんや関係者の皆さんを生で見る機会はなかった…ってか、そういう方々は雲の上の人であり、実物を見られるなんて想像もしていなかった。「特別なファン」だけの特権だと思っていた。
そりゃもう、黒部進さんとか、森次晃嗣さんとか、ひし美ゆり子さんとか、平田弥里さんとか、平田弥里さんとか、平田弥里さんとかを間近で拝見したり、サインを頂いたりしたのは感激である。
また、最初にサインを頂いたのは満田かずほ(「禾(のぎへん)」に「斉」)監督で、緊張しまくった。
が。
一番の感激は、ウルトラマンの造型をなさった佐々木明さんと、ウルトラマンそのものを演じた古谷敏さんを見たとき。満田監督の時より緊張して、ほとんど言葉が出なかった。
微妙に別格なのが、帰ってきたウルトラマンそのものを演じたきくち英一さん。
「帰ってきたウルトラマンであった」という以上に、ファンと飲み友だちのような(?)ノリで接して下さるお人柄の印象が強い。
大昔、渋谷の小さなギャラリーでウルトラマンをデザインした成田亨先生の展覧会があった。そこで入場チケットを切って下さったのが成田先生ご本人だと知ったのは何年も後のこと…。会場でご本人だとわかっていたら、私はフリーズしていたであろう。
それでも「接点があった」というだけであとからジワジワと感激が湧いてくる。
今は無き円谷プロの砧社屋が純粋に「怪獣倉庫」だった頃、建物の中に入る機会が一度だけあった。そこで親切にして下さったあの人は、もしかするとキャラクター・メンテナンスの打出親五さんだったのではないか。
他にご存命の方で、お会い出来るならお会いしたいのは機電の倉方茂雄さん。ウルトラマンの目やカラータイマーを光らせたり、バルタン星人の目をぐるぐる回す仕掛けを作った人である。
あ~。
オレは結局「顔が出ない人たち」のファンなんだな。
しかも、「監督」よりは「画面に映されている“もの”を作った人たち」への関心が高い。
古谷さんも私にとっては俳優さんであると同時に「ウルトラマンという画面に映されている存在」を作り上げたクリエーター的な位置づけである。何たって前例が無いキャラだったわけで。アマギ隊員役よりはウルトラマンとしての存在感の方が圧倒的に強い。
あ~~。
そういう人たちへの憧れもあって、「メディアへの顔出し」をしないのかも。
ご存知の方はご存知のように、某テレビ番組とか某雑誌(雑誌の方はオマケだったが)に「出る」機会はあったのだが、いずれも拒絶に近い遠慮をしている。
さらに、ほとんどの方はご存知ないように、『山田五郎アワー 新マニア解体新書』に「阿波踊りマニア」としての出演依頼をいただいたことがあったのだが、それもお断りした。まあそっちは「阿波」踊りなのに東京の人間が出ちゃマズいだろうという思いが強かったこともある。
こんなブログを書いているくらいだから、自己顕示欲は人並み以上であると思う。
だが、人知れず「あれをやったのはオレだ」と自己満足に浸るのが好きらしい。
今後のウルトラファン活動も、正体を知られることなく(笑)ひっそりと続けていきたい。
以来、皆さんのお誘いで、ワンフェスやトイフェスといったイベントや、博品館や中日劇場などでのウルトラステージショー、ロフト・プラスワンなどの怪しい(?)場所でのトークショーなど、これまで無縁だった世界にも足を踏み入れた。
長くファンをやってはいるのだが、俳優さんや関係者の皆さんを生で見る機会はなかった…ってか、そういう方々は雲の上の人であり、実物を見られるなんて想像もしていなかった。「特別なファン」だけの特権だと思っていた。
そりゃもう、黒部進さんとか、森次晃嗣さんとか、ひし美ゆり子さんとか、平田弥里さんとか、平田弥里さんとか、平田弥里さんとかを間近で拝見したり、サインを頂いたりしたのは感激である。
また、最初にサインを頂いたのは満田かずほ(「禾(のぎへん)」に「斉」)監督で、緊張しまくった。
が。
一番の感激は、ウルトラマンの造型をなさった佐々木明さんと、ウルトラマンそのものを演じた古谷敏さんを見たとき。満田監督の時より緊張して、ほとんど言葉が出なかった。
微妙に別格なのが、帰ってきたウルトラマンそのものを演じたきくち英一さん。
「帰ってきたウルトラマンであった」という以上に、ファンと飲み友だちのような(?)ノリで接して下さるお人柄の印象が強い。
大昔、渋谷の小さなギャラリーでウルトラマンをデザインした成田亨先生の展覧会があった。そこで入場チケットを切って下さったのが成田先生ご本人だと知ったのは何年も後のこと…。会場でご本人だとわかっていたら、私はフリーズしていたであろう。
それでも「接点があった」というだけであとからジワジワと感激が湧いてくる。
今は無き円谷プロの砧社屋が純粋に「怪獣倉庫」だった頃、建物の中に入る機会が一度だけあった。そこで親切にして下さったあの人は、もしかするとキャラクター・メンテナンスの打出親五さんだったのではないか。
他にご存命の方で、お会い出来るならお会いしたいのは機電の倉方茂雄さん。ウルトラマンの目やカラータイマーを光らせたり、バルタン星人の目をぐるぐる回す仕掛けを作った人である。
あ~。
オレは結局「顔が出ない人たち」のファンなんだな。
しかも、「監督」よりは「画面に映されている“もの”を作った人たち」への関心が高い。
古谷さんも私にとっては俳優さんであると同時に「ウルトラマンという画面に映されている存在」を作り上げたクリエーター的な位置づけである。何たって前例が無いキャラだったわけで。アマギ隊員役よりはウルトラマンとしての存在感の方が圧倒的に強い。
あ~~。
そういう人たちへの憧れもあって、「メディアへの顔出し」をしないのかも。
ご存知の方はご存知のように、某テレビ番組とか某雑誌(雑誌の方はオマケだったが)に「出る」機会はあったのだが、いずれも拒絶に近い遠慮をしている。
さらに、ほとんどの方はご存知ないように、『山田五郎アワー 新マニア解体新書』に「阿波踊りマニア」としての出演依頼をいただいたことがあったのだが、それもお断りした。まあそっちは「阿波」踊りなのに東京の人間が出ちゃマズいだろうという思いが強かったこともある。
こんなブログを書いているくらいだから、自己顕示欲は人並み以上であると思う。
だが、人知れず「あれをやったのはオレだ」と自己満足に浸るのが好きらしい。
今後のウルトラファン活動も、正体を知られることなく(笑)ひっそりと続けていきたい。