2026年6月7日で90歳になった母

 

まさか90歳になるまで生きてるなんてと

その張本人の母自身も

まるで他人事のようだ

 

何年ぶりだろうか

母の誕生日を広島で祝ったのは

 

今回の滞在中

おそらく

大昔に片栗粉を入れたまま

そのまま忘れて何年も

戸棚の奥の方に放置されていた瓶を見つけた

 

お袋 こんなのがあるわ

もう捨てんさい と

渡した瓶を懐かしそうに眺めながら

中身を捨ててその瓶を洗い始めた

 

何かにつけて

もったいないと言いながら

大事にしまって

そのまま忘れている

 

そんなものが実家にはたくさんある

 

昔僕ら兄弟がまだ子供の時代から使っていた水差しや

懐かしいタッパーウェアが売るほどある

 

私が死んだら捨ててねと

90歳になっても

生きているうちは残しておきたいらしい

 

僕らには必要のないものに見えても

母にとっては苦楽を共にした大事な品物なのだ

 

 

先日 映画を観てきた

サンキュー チャック

 

生まれてから死ぬまでの

自分の頭の中にある想いや経験や記憶の世界が一つ二つと

火を消しながら死と共に全てが終わるというような

非常に奥深く考えさせられるとてもいい映画だった

 

昔のことを思い出しながら

片栗粉の入っていた瓶を洗う母の後ろ姿を見ていると

いずれ母もこの世での役目を終え

肉体と共に消滅する時が来るんだなと思うと

少し悲しくなった

 

いつまで続くか知らされていない寿命だからこそ

人は毎日を一生懸命生きていられるのかも知れない

 

年齢とともに

いろんなことを諦めながら

それでも人は自身にとって

大事なものだけは離さない

 

若い時にもっといろんな経験をさせてあげたかったなと

振り返り悔やんでみても 今さらである

 

90歳の身体や心のフットワークは

些細なことにもついてゆけない

 

そんなことが素直に切ない

 

母はといえば

大昔の片栗粉は捨てて

綺麗に洗った瓶は

大事にまた戸棚にしまっていた

 

一生懸命生きてる母に

長生きしろよなんて言葉も

なんだか違うような気がした90歳の誕生日

 

よく頑張ったよね お袋 すごいよ

なんて言葉しか出てこなかった

 

感謝の気持ちで一杯だけど

なんだかそれを言葉に表すのが

苦手なんだよな

 

まだまだ 人間 できてないね

 

蘭の花とバースデーカードを送った

 

何年か前に送った紫陽花のバースデーカードも

まるで花を生けるように

テーブルの上に飾っていた

 

Happy Birthday! with  Lots of love and thanks