日食三日前の本屋の軒先では山のように積まれた日食グラスを
大体の人々は横目に見ながら通り過ぎていたのだが
前日の夕方あたりになると、多くの人が行列を作っていた。
何を隠そう、自分もその行列に並んだ一人だった。

少し曇り気味であった空も不思議なもので
金環日食になる七時半頃には見事に雲が割れた。

自ら自転しながら太陽の周りを公転する地球の
その周りをくるくる回る月が
太陽と真正面に重なる瞬間が近づくにつれ
、そうか..もう生きているうちに二度と見られないのならと
前日に慌ててグラスを買いに走った。

太陽と地球と月の軌道と運動(天文教材)2012年

この透き通るような青空の彼方にいくつの星が浮いているのだろう。
どんなにあがいたって、人間が創造できない果てしない時間と
空間の狭間の森羅万象。
重なった二つの星を見ながら、この自然の法則に
改めて人間の無力さを思いながらも
早朝の我が胃袋は勝手に空腹を告げるが如く、クゥ~~~と鳴る。

嗚呼、あの銀河鉄道999が突然現れてくれないものだろうか。
そうしたら、なんとしてでもパスを手に入れ
メーテルと一緒に星から星へと旅してみたい。

以前にもこのブログに書かせて頂いた事がある
銀河鉄道999の作者の松本零士さんの言葉を思い出した。

亡くなった作詞家の冬杜花代子さんのお別れ会で
最後にご挨拶された松本氏が
「冬杜さん、いつか時空が重なる時
きっとどこかでまた出会えると思う」といった感じの言葉で
締めくくられた。

松本氏に限らず、何かその作品を通して
大いなる宇宙の森羅万象を伝える役割を担っている人々が
少なからずおられる気がしてならない。
漫画に限らず、文学 絵画 スポーツなど
色んなジャンルで活躍される方々が
もしかしたら自己の活動なり作品を通して
この世の中に色々な事へのヒントを提示しているのでは
ないだろうか。
ご本人達がその役目を自覚されているかどうかは
知る由もないが
手塚治虫氏の「火の鳥」などは読みかえす度に
その中のメッセージのような事柄に幾度となく立ち止まった。

宇宙は永遠のロマンだが
我々の日常ひとつとってみても
そこには宇宙の営みと規模は違えど
節々に何かメッセージがあるような気もする。

人との強烈な出会いもそうであるし
山を越えなきゃその先の豊かな湖の存在だってわかりゃしない。
宝くじなんて当たる確率は非常に低いけれど
それでも買わなきゃ永遠に当たらないんだよと、
つまり行動する前から自分で答えを出すなんてのは
ナンセンスだと、さりげなく言ってくださった
とても信頼している某メーカーの制作本部長の言葉のように
人生の森羅万象はすべて自分がそれとどう向き合うかによって
見え方も大きく変わる。

しかしながら実際は
今日も、どこかにいいメロディーは落ちてないかと
立ったり座ったり、歩いたり立ち止まったり
そして見上げてはうつむき
信じられない程の狭い空間で
まったく進歩のない日々を送っている。
まったくいつまで繰り返すのだろうか。
さすがに凹む。

最近のNHKのソングズだったか、
長谷川きよしさんの「Somewhere Over the Rainbow」
素敵でしたね。
色んなアーティストのOver the Rainbowを聴いて
いつの間にか自分でも唄いたいと思うようになったと
仰っていた。

ここでも何度目かの登場 クラプトンのtune
Eric Clapton - Somewhere Over The Rainbow

無人島にも、銀河鉄道に乗る際にも
ギターとこの曲だけは必ず持って行こう。

そういえば万象、いやmanzoという後輩が私の仕事場を訪ねる際
手土産は何がいいかと聞いて来た。

ん~、伊藤園の充実野菜という野菜ジュース....一年分でいい。