よく、ケーキとかアイスクリームとか、スイーツと言われるものを食べた時の褒め言葉として「これそんなに甘くなくて美味しい!」ってよく言ったり聞いたりするが、
甘いから美味しいのではないのか?と思う時がある。ケーキは食べたいが甘いのは嫌っ!と言う事なのか?甘過ぎないって褒め言葉なのかなあ。。では甘さの限度がどこを越えたら甘すぎるとなるんだろうと、ふと考えた。
今日は久々休みで家にいた。しかしたまに時間が空くと何も出来ずに「いい旅 夢気分」なんぞ見てダラダラとする。忙しい時は 録り貯めしてあるNHKの世界遺産や映画を見なければと思うのだが、いざ休みとなると 山村美紗の事件シリーズの再放送とか見てしまう。何でもそうだが、たとえば、ちゃんと観ようと思うと中々観れない。
観る時の気持ちや時間帯が合わないとちゃんと観れない。
掃除もちゃんとしようと思うと時間的にも中途半端だから今日は出来ないになってしまう。かといって時間がある時は、他の事をやってしまう。だから本当は二時間あるから映画観ようとか今から30分でザッと掃除しとこ くらいのほうが物事は意外と はかどってゆくかもしれないと思う。
最近は自分の曲のアレンジも頼まれる事が多い。たぶん本当は曲が出来た段階で
そのアレンジというか装いというか、全体像は決まってる。作曲ってある意味、頭の中では色んな楽器を鳴らしながらイメージしながら作っていると思うからだ。
だがこれが一旦楽器の音色を決めて実際客観的に聞いてみると形になる前と装いが違う事が多い。まだまだ俺は無駄なものが多いと思ってる。
フレーズと音色の関係は難しい。洋楽なんぞ聞くと、圧倒的に歌に力があるので、
オケはとてもシンプルな物が多い。言葉の違いは大きいが、歌とオケの関係はやはりいつも刺激になる。
歌もそんなに押し付けがましくなく濡れすぎずといった、自分では出来ない歌が好みだが(俺の歌は時に押し付けがましく、時に自己マンで そしてネバいと言われる)、これって結局、甘すぎないケーキがいいって言うのともしかしたら感覚は似てるのかも知れない。どこまで以上がネバい歌かは計り知れないが、結局甘過ぎないケーキも甘さの数値ではない超感覚的な種類の表現なんだろう。
そんな言わばバランス感覚が聞き手とのコミュニケーションを保ってゆくんだろう。なるほど、俺はその甘過ぎないアレンジや作曲を目指すのみであーる。
甘いから美味しいのではないのか?と思う時がある。ケーキは食べたいが甘いのは嫌っ!と言う事なのか?甘過ぎないって褒め言葉なのかなあ。。では甘さの限度がどこを越えたら甘すぎるとなるんだろうと、ふと考えた。
今日は久々休みで家にいた。しかしたまに時間が空くと何も出来ずに「いい旅 夢気分」なんぞ見てダラダラとする。忙しい時は 録り貯めしてあるNHKの世界遺産や映画を見なければと思うのだが、いざ休みとなると 山村美紗の事件シリーズの再放送とか見てしまう。何でもそうだが、たとえば、ちゃんと観ようと思うと中々観れない。
観る時の気持ちや時間帯が合わないとちゃんと観れない。
掃除もちゃんとしようと思うと時間的にも中途半端だから今日は出来ないになってしまう。かといって時間がある時は、他の事をやってしまう。だから本当は二時間あるから映画観ようとか今から30分でザッと掃除しとこ くらいのほうが物事は意外と はかどってゆくかもしれないと思う。
最近は自分の曲のアレンジも頼まれる事が多い。たぶん本当は曲が出来た段階で
そのアレンジというか装いというか、全体像は決まってる。作曲ってある意味、頭の中では色んな楽器を鳴らしながらイメージしながら作っていると思うからだ。
だがこれが一旦楽器の音色を決めて実際客観的に聞いてみると形になる前と装いが違う事が多い。まだまだ俺は無駄なものが多いと思ってる。
フレーズと音色の関係は難しい。洋楽なんぞ聞くと、圧倒的に歌に力があるので、
オケはとてもシンプルな物が多い。言葉の違いは大きいが、歌とオケの関係はやはりいつも刺激になる。
歌もそんなに押し付けがましくなく濡れすぎずといった、自分では出来ない歌が好みだが(俺の歌は時に押し付けがましく、時に自己マンで そしてネバいと言われる)、これって結局、甘すぎないケーキがいいって言うのともしかしたら感覚は似てるのかも知れない。どこまで以上がネバい歌かは計り知れないが、結局甘過ぎないケーキも甘さの数値ではない超感覚的な種類の表現なんだろう。
そんな言わばバランス感覚が聞き手とのコミュニケーションを保ってゆくんだろう。なるほど、俺はその甘過ぎないアレンジや作曲を目指すのみであーる。