先日だが、夏川りみのレコーディングに行って来た。
かれこれ6年振りの再会であろうか。しかし懐かしいとか随分前の事のような気がしない。
彼女はどう思ったか知らないが、少なくとも俺はあれからテレビで事ある毎に彼女を拝見していた
からであろうかな。
さて、もうだいぶ前に書いていた曲の歌入れだったのだが、作詞は上田知華で編曲は京田誠一というプロダクションでの作品だった。
りみとは何かと縁があるように思う。石垣島と俺の出身の広島の距離はあまり意味を成さないが(笑)。
彼女が星美里という名でキャニオンからデビューした時の確か二作目が阿久悠氏とやった”夢色めまい”という曲。あのころ彼女はまだ17歳だったように記憶するが、実は数日前そのCDを探し出して、とってもぶりに聞いてみたよ。とてもいい作品だった。
確かあの時は曲先で、キャニオンのディレクターと一緒に阿久さんの事務所のある六本木にいって
打ち合わせしたのをよく覚えている。その時が阿久さんとの初対面で俺はめちゃくちゃ緊張してた。広島で見ていたスター誕生という番組の審査員だったし、沢田研二の勝手にしやがれという曲
(もちろん他多数)が大好きで、その人が今こうして俺の目の前にいて、俺の曲を聞きながら
流行歌って誰のモンなのかねえ~などと、まるで彼の著書を読んでいるような錯覚にとらわれるほど奇麗でそして独り言のような言葉で今までの自分の経験や出来事についてとても奥深い話を聞きながら、俺は昼飯に出された特上天重を箸はつけたものの、結局海老ひとかじりと米ひとすくいしただけで吐き気がくるくらい喉はカラカラのまま、その天重の横のまるで砂漠で見つけたオアシスのような上品な麦茶を何杯もお変わりした記憶は鮮明だ。
そして一番驚いた事はと言えば、それまで阿久さんとやった楽曲をすべて(すべてと言えど当時はまだ二曲だった)覚えていてくれて、その曲への想いまで告げられた日にゃあ、心の底までヤラれたし心の底から”参りました”だったよ。シブガキ隊の”恋するような友情を”と和田アキ子の”抱擁”という歌だけどね。特にシブガキ隊のその曲が解散の前あたりの曲でね、阿久さん自身もえらい気に入っていて、だから幸いにも初対面な感じはなおさらしなかったんだよな。
やっぱ、お前誰?みたいな感覚より、あ~あん時のお前ね!って感じのほうが距離感全然違うもんな。お前出身どこ?..へ~、わりゃ広島かあ!ってのがひとつの共通項であるように、あの曲の出身はあなたと僕ですよねみたいなところで、もう馴染みの寿司屋みたいな感覚になれる事は確かなんだよな。話はそれたけど、んで夏川りみはそれから何年かして一度歌をやめて故郷に帰ったんだよね。しかしさ~、当時キャニオンでりみを担当していた宣伝の人(現事務所社長)が、その歌声に惚れ抜いていて、それこそ何度も石垣島の実家に行って、俺はお前の歌にもう一回賭けてみたいという情熱のもとに、現ビクターで再デビューを果たしたわけだ。
んで、ビクターでのデビュ-曲がこれまた何かの縁だろうが、俺の曲だった。
そして二曲目に書いたシングルの”花になる”って曲で少し路線変更して3作目がいよいよあの”涙そうそう”となった。ちなみに涙そうそうのカップリングには二作目の”花になる”が吉川忠英氏のリアレンジによって蘇った。
まさに当時のデモに近いアコースティックなアレンジでシングルより断然いい。
それから6年。。おそらくメールで一度やりとりした覚えがあるものの、また再再度、曲を書く機会があり先日会った。
シングルとかアルバム曲とかは関係なく、また一緒に仕事が出来たねっていう想いと、お互い当時と変わらぬ姿勢でひとつの楽曲に到達したという想いと、この仕事ってそんな事がいいんだと思った。
6年振りに会う彼女は相変わらず酒好きで、ちょっとだけネバくてとてもいい歌だった。
いやネバさは俺の方が一枚も二枚もウワテではあるが。。。(笑)。
がんばれ!りみちゃん。
かれこれ6年振りの再会であろうか。しかし懐かしいとか随分前の事のような気がしない。
彼女はどう思ったか知らないが、少なくとも俺はあれからテレビで事ある毎に彼女を拝見していた
からであろうかな。
さて、もうだいぶ前に書いていた曲の歌入れだったのだが、作詞は上田知華で編曲は京田誠一というプロダクションでの作品だった。
りみとは何かと縁があるように思う。石垣島と俺の出身の広島の距離はあまり意味を成さないが(笑)。
彼女が星美里という名でキャニオンからデビューした時の確か二作目が阿久悠氏とやった”夢色めまい”という曲。あのころ彼女はまだ17歳だったように記憶するが、実は数日前そのCDを探し出して、とってもぶりに聞いてみたよ。とてもいい作品だった。
確かあの時は曲先で、キャニオンのディレクターと一緒に阿久さんの事務所のある六本木にいって
打ち合わせしたのをよく覚えている。その時が阿久さんとの初対面で俺はめちゃくちゃ緊張してた。広島で見ていたスター誕生という番組の審査員だったし、沢田研二の勝手にしやがれという曲
(もちろん他多数)が大好きで、その人が今こうして俺の目の前にいて、俺の曲を聞きながら
流行歌って誰のモンなのかねえ~などと、まるで彼の著書を読んでいるような錯覚にとらわれるほど奇麗でそして独り言のような言葉で今までの自分の経験や出来事についてとても奥深い話を聞きながら、俺は昼飯に出された特上天重を箸はつけたものの、結局海老ひとかじりと米ひとすくいしただけで吐き気がくるくらい喉はカラカラのまま、その天重の横のまるで砂漠で見つけたオアシスのような上品な麦茶を何杯もお変わりした記憶は鮮明だ。
そして一番驚いた事はと言えば、それまで阿久さんとやった楽曲をすべて(すべてと言えど当時はまだ二曲だった)覚えていてくれて、その曲への想いまで告げられた日にゃあ、心の底までヤラれたし心の底から”参りました”だったよ。シブガキ隊の”恋するような友情を”と和田アキ子の”抱擁”という歌だけどね。特にシブガキ隊のその曲が解散の前あたりの曲でね、阿久さん自身もえらい気に入っていて、だから幸いにも初対面な感じはなおさらしなかったんだよな。
やっぱ、お前誰?みたいな感覚より、あ~あん時のお前ね!って感じのほうが距離感全然違うもんな。お前出身どこ?..へ~、わりゃ広島かあ!ってのがひとつの共通項であるように、あの曲の出身はあなたと僕ですよねみたいなところで、もう馴染みの寿司屋みたいな感覚になれる事は確かなんだよな。話はそれたけど、んで夏川りみはそれから何年かして一度歌をやめて故郷に帰ったんだよね。しかしさ~、当時キャニオンでりみを担当していた宣伝の人(現事務所社長)が、その歌声に惚れ抜いていて、それこそ何度も石垣島の実家に行って、俺はお前の歌にもう一回賭けてみたいという情熱のもとに、現ビクターで再デビューを果たしたわけだ。
んで、ビクターでのデビュ-曲がこれまた何かの縁だろうが、俺の曲だった。
そして二曲目に書いたシングルの”花になる”って曲で少し路線変更して3作目がいよいよあの”涙そうそう”となった。ちなみに涙そうそうのカップリングには二作目の”花になる”が吉川忠英氏のリアレンジによって蘇った。
まさに当時のデモに近いアコースティックなアレンジでシングルより断然いい。
それから6年。。おそらくメールで一度やりとりした覚えがあるものの、また再再度、曲を書く機会があり先日会った。
シングルとかアルバム曲とかは関係なく、また一緒に仕事が出来たねっていう想いと、お互い当時と変わらぬ姿勢でひとつの楽曲に到達したという想いと、この仕事ってそんな事がいいんだと思った。
6年振りに会う彼女は相変わらず酒好きで、ちょっとだけネバくてとてもいい歌だった。
いやネバさは俺の方が一枚も二枚もウワテではあるが。。。(笑)。
がんばれ!りみちゃん。