廃線が決まったJR津軽線 蟹田~三厩間に乗車した時の話 | 余計なコトは書かなくていいだよ!

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5月23日夜、Yahooのトピックスにショッキングなニュースが書かれていた。JR東日本の津軽線で蟹田~三厩間の22.8kmを廃止することに沿線自治体が同意した件だ。厳密に言えば蟹田以北は北海道新幹線(旧津軽海峡線)との分岐点、新中小国信号場から先の区間が無くなる。同線は2022年8月3日の大雨によって橋桁が川に流されるなど甚大な被害を受けた。更には一週間後の10日に再び大雨に見舞われ、その後は復旧かそのまま廃線かで議論する形となった。そして沿線自治体の中でも廃止を最後まで反対していた今別町も存続を諦め、津軽線は末端区間を失うことになる。

 

 

自分が津軽線の三厩へ行ったのは今からちょうど3年前、2021年5月のこと。以前よりこの時は週末に青森へ行こうと考えていたのだが、行く直前に仕事でミスしてしまい気が滅入り、出掛けるのを断念しようとしていた。しかし、職場の方が「こういう事があった時こそ行った方が良いよ」と言ってくれて気持ちを切り替えることができた。今思うとそう言ってもらえなかったら、一生三厩を訪れることはなかったかもしれない。その日は東京駅から夜行バスのラフォーレ号に乗り青森へ到着。青森駅では新幹線開業によってすっかり寂しくなってしまったホームで写真を撮り時間を潰す。

 

 

青森11:01発の蟹田行で津軽半島を北上する。夜行バスで来たのに遅いスタートだが、蟹田以北は定期列車が1日5往復しか走っていない過疎区間だ。それ故に1本列車を見送れば次は4、5時間後というのがザラである。列車は701系のトングシート車両で乗車率は6割ほどと言ったところか。満席ではない。自分は2両目の乗務員室横を陣取り蟹田まで後方展望を楽しんだ。奥羽本線と別れ、盛岡車両センター青森派出の脇を通ると引退した215系車両の姿が。地元の車両が役目を終えて北国で最期を迎えているのは感慨深いものがある。津軽線も日本を縦断する鉄道の一つだが、その設備は貧弱で単線故に駅へ着くと貨物列車と交換待ちなんて場面にも出くわす。青函トンネルが無かったら津軽半島内で完結する地方交通線だし無理もないだろう。

 

 

のどかな田園地帯を進み青森から来た列車は終点の蟹田へ。6分の接続で今回の旅の目的地、三厩に向かう列車へ乗換えだ。隣のホームに停まっている三厩行は当然ながら1両だけ。しかも既に想像以上に混雑していてボックス席が埋まっているのは勿論、立ち客まで出ている始末。「観光客だけど乗客はしっかりいるじゃんかよ」と思いつつも、5月の行楽シーズンだからであって平日となったら閑散としているのかもしれない。それでもラッキーなことに窓側が1席空いていてそこへ滑り込むことができた。座れさえすれば40分弱混雑しても我慢できるというものだ。蟹田以南の田園地帯とは一転、徐々に山の中へと列車は足を踏み入れる。新緑が太陽の光に照らされて輝いて見える。自分は四季の中でも今ぐらいが風景写真も綺麗に撮れて一番好きな時期だ。

 

 

北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅に隣接する津軽二股で乗客の半分近くが降車。ここから北海道を目指す気なのだろうか。車内は少しだけ落ち着き、新中小国信号場で旧津軽海峡線と分岐し廃線となった区間を進んでいく。そして12:24に無事津軽線の終着駅、三厩へとやって来た。自分は大湊線も完乗しているけど、達成感はこっちの方が上回っている。降りた乗客は9割ぐらいが観光客と見て間違いない。駅を散策したり写真を撮ったりして、時間が経つにつれ駅舎の外へと分散していった。自分はというと乗ってきた列車、GV-E400系の写真を撮影していた。2021年に秋田車両センターに配属され五能線の普通列車でも活躍している。中小国~三厩間は列車無線も使えないため、衛星携帯電話用アンテナが搭載されている。それも廃線が決まった今、必要無くなるのかもしれない。

 

 

折り返し列車が三厩を発つのは12:43で20分ほど停車している。発車時刻が迫るにつれて往路で一緒だった乗客が徐々に車両へと戻ってきた。自分はこの車両を見送って15:33発で帰ることを決めている。せっかく遠路はるばる来たんだし、ゆっくり周辺は散策したい。列車は流しノッチを終えてゆっくりと三厩のホームを去ってゆく。列車が茂みの中へ消えていくと駅構内は本当に静かだ。鳥のさえずりしか聞こえてこない。津軽線の終端は山のほうに向かってレールが伸びる形で途切れている。これは竜飛岬を目指していたわけではなく、津軽鉄道の津軽中里に繋げる構想があったそうな。

 

 

竜飛岬まで行くつもりではないけど駅周辺を歩いてみよう。コンビニなど無く、畑と民家がちらほら建つ程度だ。「どうしてここが終点に?」と思うだろうが先に述べたとおり津軽線は津軽半島を一周する構想を持ち、三厩に来たものの山を越えなければならず断念した経緯を持つ。今や津軽線が越えられなかった山は北海道新幹線が南北に貫通している。蟹田~三厩間開業から30年で人は津軽海峡にトンネルを掘って列車を走らせてしまったのだ。さて、駅を出て10分しないうちに海沿いに出てしまった。

 

 

特筆するような観光地では無いけど、ここは本当に来てよかった。静かな波の音、埠頭でくつろぐウミネコたちの姿・・・都会の騒がしさとは別次元の落ち着いた世界がそこにはあった。何の施設も娯楽も無いけど、晴れた空に静かな漁村の風景はずっと眺めていたい気分にさせてくれる。時折海沿いの国道を車やバイクが走るけど、交通量が少なく去ってしまえば実に静寂だ。津軽線の末端部が廃線になった今となっては遅いが、都会で仕事や人間関係に疲れた人は竜飛岬じゃなくてもここへ来れば色々イヤな事も忘れられるのではないだろうか。「どこの海でも眺めてれば一緒」と言えばそれまでだが。少なくともまるで時がゆっくりと流れているような気分にさせてくれるおすすめの場所だ。

 

 

まだまだ海を眺めていたかったけど、次の列車が来てしまうので三厩駅へ戻ることにする。「三厩まで来て何をしたのか?」と訊かれたら、結局は海を眺めていただけだ。でもそれで十分。来たことにこそ意義があるのだ。ここへはもう鉄道で訪れることができないと思うと残念でしかならない。「毎月毎週乗ってるわけでもないのに何を言ってるんだ?」とツッコミを入れられて当然だが、バスやタクシーでないとこの思い出の地に再び行けなくなったことへのショックは大きい。こういうローカル線は客が多ければ存続できる可能性が高まるけど、せっかく訪れるのなら静かでのんびりできる時期に行きたい。そう考えてタイミングを見計らっているうちに被災して運休、そして廃線となる。あれもこれも欲しがる人間への罰なのかもしれない。