ファスティングなんて

 

からだにいいことはわかっているし、聞いたこともあるけれど、自分には縁がない、馴染みがない、という方が多いと思います。

 

実は私もその一人でした。

 

だって、断食でしょ?ちょっと健康オタク?

 

つらい、厳しい、結構ハードなイメージが先行していて、やる気が起こらないというか、まさに自分には縁がないものだと以前は思っていました。

 

まさかそんな自分がこんなにハマることになるとは、思ってもみませんでした。

 

ちょうど一年前くらいに、人に勧められて、

(その時は付き合いで仕方なく、断る理由が見つからず、好奇心だけで)

始めたのです。

 

 

 

 

自分の中でちゃんと納得できるものがないと、動かない私。

(結構疑い深くて頑固なところがあるのですね)

 

「ファスティング」というものに対して、からだの中のエネルギー、代謝を「酵素」の面から考えた時、

(「消化」など生体におけるすべての反応には酵素が必要なのだ!)

 

からだの中の酵素が「消化」に回ってしまうと、からだの修復などの「代謝」に回る酵素が少なくなってしまうのです。

 

食事をした後、必ず消化器の内臓は即「消化活動」を始めるわけですが、この消化活動で酵素が大量に消費されるのです。

 

そうすると、からだの疲労回復、からだの修復がおろそかになってしまうのですね。

 

消化する方にばかり酵素を費やすので、からだの修復が後回し、中途半端になってしまう。

 

食事を減らしても痩せられない。

 

疲労の回復、肌などの修復が遅いなどなど。

 

それこそ、エイジングを加速させていることになるじゃありませんか

 

ものすご~く納得

 

 

その「消化活動」に回る酵素を代謝の方に回そう、というのが

 

「ファスティング」の意味と目的。

 

食べたものを消化することは、内臓にとっては大変な負担なのです。

 

胃も腸も肝臓も膵臓もとても疲れるのです。

 

その24時間休むことのない「消化器」を休ませよう。

 

というのがファスティング。

 

欧米ではすでに、治療の一環としてファスティングを取り入れている国があるのです。

 

 

 

意味を理解して、納得したからには、好奇心が服を着ているような私が取り組まないワケがありません。

 

早速ファスティングを開始しました。

 

それも、酵素を摂りながらのファスティングなので、空腹感、飢餓感がそれほどつらくなく進めることができるのです。

 

とはいえ、最初から3日ファスティングは自信がなかったので、1日ファスティングから。

 

ドキドキしながら始めたファスティング。

 

食べないという選択がこんなに自分をフリーにするなんて、思いもしなかった。

 

とにかく、時間がたっぷりあることにまず驚きました。

 

一人暮らしの私でも、

 

食事の準備の時間、

外食をするにしても、何を食べようか考える時間、

食べる時間、

冷蔵庫の中を思い出しながら買い物をする時間、

メニューを考える時間、

調理をする時間、

食べる時間、

後片付けをする時間、

 

これらがすべて自分のゆとりの時間に変わるのです。

 

これまでどれだけ食事をすることに時間を費やしてきたか、驚いてしまいます。

 

私たちのからだは当然食べているもので作られているわけですから、もちろんそれくらい食べることは大切なことだし、気を配って考えてからだの中に取り組むことが大切なのだと思います。

 

でもね。

 

この食べるものがあふれている世の中、

 

逆に「食べない」という選択肢があってもいい。

 

そうすることによって消化器様に休んでいただいて、元気を取り戻してもらった上で、また働いてもらった方がいい。

 

そう思ったのです。

 

自分が寝て休んでいるのに、消化器に働け、なんていうのは、

 

まさに今はやりの、というか、昨今取りざたされている

 

パワハラそのものではないかああん!?

 

たった一日ファスティングをしただけでそう思いました。

 

いつもよりたっぷりある時間に心の余裕を感じながら、それほどの空腹感、飢餓感に襲われることもなく、一日が過ぎていきました。

 

そして、夜。

 

おなかがすき過ぎて眠れないんじゃないか、という不安、夜中に目覚めてしまうんじゃないか、という心配。

 

始める前に感じていた心配はまったく杞憂に終わりました。

 

それよりも朝の爽快感。

 

からだの軽さ。

 

ふだんからあまり疲労感を感じることのない私でさえ、からだの変化がわかったのです。

 

尾籠なお話で非常に恐縮ですが、便の色が薄い黄色に変化したのも驚きでした。

 

これはもう続けるしかない

 

そう決めた私は、さらなる行動を起こすのです。

 

続きはまた次回。