繊細。

幼い頃から、ずっとそう言われてきました。

すぐに固まってしまう。

全身が恐怖と不快な緊張とで固まってしまう。
 

 


それなりに色々な事を経験してきたし、

耐え忍んで

ずいぶん慣れてしまったのかもしれないし、

学習して自分を再教育してきたからなのか分からないけれど、昔に比べると随分ましになりました。

 

けれど、やっぱり、

事あるごとに「繊細」な所が顔を出します。

 

 

誰かが怒っていたり、

機嫌が悪いと意識が持っていかれる。

 

気になってしまう。

自分とは関係ないと分かっていても。

 

 

「どうしようもないな」と思います。

きっと僕は、死ぬまで同じような反応をするのだと思います。
 

 

 


メンタルダウン中…

仕事が原因で、

ここ一週間ほどメンタルが盛大に落ちています。

 

ここ数年で一番と言っていいほどで、

本当に命が削られているような思いの中にいるのですがこれが本当に、毎度のことながら辛い。

 

頭は「自分」を必死でまもるために

あれこれ忙しく回り続けてるけれど、

 

自己否定したり自己肯定したり、

自分を正当化したり誰かを否定したり…

自分の頭の中の事なのだけど、

疲れてきてしまいました。

 

そんな中、一つの言葉を思い出しました。

 

 

 

「お寺は自分じゃない」

知り合いのカウンセラーさんに

「言ってみて」といわれて声に出して言った言葉でした。

お寺に勤めに行っているけれど…

お寺の思想(住職の思想)に

全てを合わせるなんてできません。

 

寺の人間として負わないといけない物も確かにあるけれど、そのために自分個人の思想を消し去るなんて無理です。


 

その事を思い出させてくれる言葉です。

 

どんなに責任ある立場になっても自分は自分。

寺ではない。

 

死ぬまで変わることのない自分の特性と同じ。

変えられるようなものではない。
 


ちょっと、今、仕事が嫌になってます。

ちょっとじゃないな。(笑)

 

 

 

 

少し動くと決めました。

近年まれにみる大暴落中のメンタル。

けれど、その苦しい毎日が自分を見つめ直すキッカケになりました。

 

なんとか今の状況を抜け出せるように…と、頭が出してきたのは「未来」をデザインしていくことでした。

 

うん、これなら楽しい。心も軽くなる。

 

 

 

コロナになる前のことです

 

人の話しを聞く

「傾聴」という活動をやっていました。

 

傾聴やコーチングといった対人援助の訓練もちゃんと受けていて、お寺でも個人でもそのようなセッションを提供してた時期がありました。

 

 

けれど、

他の仕事が忙しくなって、

責任も増え、

職員さんや寺の業務のマネージメントなど、

負担も大きくなって止めてしまいました。
 

 

 


…また『こういう』事がやりたい…

…『こういう』人との関わりがしたい…

 

じっくり一人一人と向き合いたい。

 

 

 

やってる自分の姿を想像するだけで

ちょっと元気になる。

 

「どのように進めていこうかな~」なんて考えるだけで楽しくなります。

 

 

けれど、

忙しい事には変わりありませんし、

仕事の負担はさらに増えてます。

 

だから、無理のないように、

今度はずっと続けられるように、

作戦と戦略を練らないといけませんね。
 

 


『お話し聞きます』

まだちょっと先になるけれど再開します。
 


なんだか楽しくなってきた♪