ストレスと

どうにもならない日常



誰だって歳はとるし衰える…

それは仕方のないことと頭では分かるけれど、

分かるから余計にやりきれない時だってある。




日々の中で本当にちょっとした事で、

『激情』がわくようになって来ているのが

自分で自覚できている。


自覚できるけれど抑えは効きません。

ただ、衝動で露骨に外へ出すことは無くなってきました。そこは自分でも少し感心しています。


…今でも漏れ出ちゃう事はよくあるけれど…

(笑)





『心と身体がカチコチに

硬直してしまっているのかもしれない…』


抑えの効かない怒り…を静かに自覚しつつ


『この怒りは感情ではないなぁ…

ただのストレスからのイライラではない。』


などと思っていました。

ただただ

どうしようもなくわき起こる怒り。




…この怒りは何なのか…

…どこから来ているものなのだろう…?



たどり着いた答えが

『硬直した心と身体』でした。


毎日瞑想や体操をしているけれど、

自分の心と身体のセルフケアにも限界がある。





今日の記事は、

そんな中で体験した出来事です





ある人の一言に、

私の心がほどかれて

頭がすっと楽になっていきました。


特定の『ことば』ではなく、

その心遣いや温もり、真心…

その人の気持ちが

私をほどいてくれたのだと思います。




出来事としてはとても単純で

「忘れ物があるよ」と、

教えてくださっただけなのだけれど



『見過ごしてしまおうか、どうしようか…』

という迷いを押し切って

わざわざ伝えに来てくれました。


私はたまたま、

その小さな心の葛藤を

遠くから見ていて知っていました。





…ありがたい…



そう思った瞬間でした。


身体中をザワザワ…と

何かが駆け抜けて行った。




その人がとてももの静かで

心優しい人なのは知っています。


そして、

私とその人とでは視点が違う。


私にとっては仕事。

でもその人にとっては『良心』で『真心』でした。



見ているものが違うのです。


『受け入れる側』『訪れる側』

『仕事』『個人の人間性』

『内部関係者』『外部の人』


の関係性。




仕事の忙しさとストレスで

イライラしがち…

硬直した心…

狭くなっている視野…


自分の張り詰めている何かを

ふと抜いてもらえたかのようでした。





『外からしか変えられない事もあるんだなぁ…』

そう思った。



仕事でこり固まった心と身体。

どんなに自分で整えようと試みても

変えられない事もあります。



外から、

全く違う視点で、

違う何かを見せてくれる存在。

そういう人に救われる…


そういうシーンをこれまでいっぱい

見てきたはずなのに…


その事を全然分かってなかった。

(僕は『自分で』という思いが強すぎるみたいです。)




外側からしか見えない景色だってあるのだから



温かい眼差しで

そっと違う『何か』を見せてくれる人。


行き詰まった頭を、目を開かせて、

固まった心と頭がゆっくりとほどけていく。






…自然にそういう事ができる人でありたい…

そう強く思いました。



外からしかできない事
外からだからできる事



『違う何かを見せることのできる人』
私も誰かにとってそんな人でありたい。



そんな事を思いました。