『自分を知るのはとても大切』
などと言っても漠然としていて
イマイチ伝わらないことが多い気がしています。
…
実際に誰かと接していると
そんな感触があるのです。
…
最近では
『こんなめんどくさい事したがる人少ない』
とも思うようになってきました。
(笑)
自分を知るのは正直めんどくさいと思います。
『自分という人間』が、
『めんどくさい人間』だからなのかもしれない(笑)
無意識のうちに
『自分の事なら自分が一番良く分っている』
という自覚をしているのもあるから、
『自分を知る』なんて言ってみても
伝わりにくいのだと思うのです。
でも、
自分を知っておくのはとても大切。
そして、
ほとんどの人は自分の事を
よく分かってはいないように感じます。
全ての権限を自分に
自分の生命の全権限を全て自分に戻す。
全ての選択権と決定権は自分にある、と自覚する。
…当然だけれど、
それらにかかってくる『全ての責任』も
自分が全て背負うことになりますが…
そのような自覚と意識の芽生えの先に、
自分を知ることの重要性が出てきます。
自分の『選択と決定』
自分の『行ない』
自分の『言葉』
その全てが自分の未来を創り上げていく。
そのように考えれば自分の全ての行為を大切にせざるを得なくなる。全責任を背負っているので『行ないの全て』が自分に返ってきます。
…例えば…
汚い言葉を日頃から使っていたとします。
ひどい言葉にはそれ相応の反応が言葉を掛けた全ての人から返ってくる。
言葉をかけた全ての人に『そういう人』と評価され、やはりそれ相応の扱いを受けることになる。
繰り返されるその『扱い』に
不満を覚えるのならば、
どのような言葉を使うべきなのか?
どのように人に話しかけるべきなのか?
などを考えて選ばなければいけません。
…
どのような扱いを受けたいですか??
言葉を選ぶのと、今の扱いに甘んじるのと、
どちらを選びますか?
…
私達にはいつもこのような二択が突きつけられていて、私達はそのどちらかを選ぶことになる。
…自覚があろうとなかろうと…
この二択に
『自分を知る』の大切さが凝縮されていると思うのです。
『どちらが自分の好み?』は
自分を知っていないと出せない答えです。
どうしても手放したくない方を『選ぶだけ』のこと、なんだけれど…
責任から逃げたい人は選べません。
選んでしまうと
『自分で決めた』という責任がついて回るので
『自分で』行動を起こさなくてはいけなくなる。
だから『誰かが決めてくれた事』の方が
楽といえば楽なのかもしれません。
自分で考えて決めてしまうと
誰かにエスコートしてもらえなくなる。
身の回りの事をしてもらえていた『子供の頃』のよに。
これもまた
『自分がそうたち振る舞う』と決めた事。
意識的であれ無意識下であれ、
二択の結果は現実となって自分に突きつけられます。
いちいち毎回
自分で決めるのは正直めんどくさい事です。
でも、『自分の好みで選べる』というのは魅力でもある。
『自分で決めない』を選ぶと、
『耐え忍ぶだけ』という事がより多くなってしまうように思います。
『どうしてそんな言い方しちゃうかな…』
という事を平気で言う人がいるけれど、
そういう人は皆、ギスギスした人間関係の中で
イラつきながら生きてるように見えます。
それを見ていていつも思う。
…
それがあなたの望みだったのか?
…
『自分の好みを知らない・選ばない』というのはそう言う事。自分の好みの放棄です。
もし何も思わず、
何も考えない内に選んでしまっている事が
目の前の望みもしない現実を作り出しているのだとしたら…
それは本当に残念なこと。
望まぬ現実を生きて
耐え忍ぶだけの人生を送るくらいなら、
少々面倒でも『自分を知る』に越したことはない。
私にはそのように思えます。
自分を知る。
自分の事をもっと知ってその上で生きていく。
これほど大切なことはそうそうない、
とは思うのですが
やっぱり、ちょっと、めんどくさくて…
なかなかに難しい。
でも、それも含めて
『自分を知る』のは大切という事です。