生きていれば、

どうにもならない時期が

誰にでもきっとある。


自分が望みもしないことで

苦しみを負わなければならなかった時が

きっと誰にでもあったはず。


かくいう私も

いまだ終わりの見えないトンネルの中にいる。


ままならない『今』を

苦しみながら生きている人は

自分以外にもきっとたくさんいるはずだ。




…どうしてこんなに不自由なのか…


どうして自分のことでないのに

ここまで悩まなくちゃならないのか。





…どうして…


そんな思いが強くなればなるほど

心は言葉にならない悲鳴をあげるのだと思います。


もしかしたら、自分一人だけなら、

ここまで思い悩むことも無かったのかもしれない。などと、時々思ったりする。


誰かと深く関わるからこそ生まれる悩み。

そのような悩みは自分一人だけで解決できないことが多いように思います。


出口が見えないという苦しさ。

その苦しさの中で窒息しそうになりながら

それでも必死に出口を探す…


しかし、

『全て相手次第』という状況におちいると、やりようはどんどんなくなって行く。






親子関係、

夫婦関係や恋人関係、友人、職場…

全て人間関係の悩みが

苦しみの原因になっているように思います。


自分の価値観が歪んでいるからなのか、

それとも相手の価値観がおかしいのか。

両方が歪んでいるのか…

両方正しいなんてことだってあるのかもしれない。



どんなに正論をうったえても、

相手に届かない時だってある。


どんなに正しいことだと分かっていても

『できない事』は誰にでもある。


自分にも

『やっておいた方がいい』事を

『後で』などと言ってやらなかったことがどれだけあっただろう。



…できないだけなのかもしれない…

そう分かっていても、

それをどんなに理解していたとしても、

心は悲鳴をあげるのです。





苦しみのその先へ


苦しみを知って

その苦しみを越えた人だけが

たどり着ける場所がある。


苦しみの最中に

そんなこと言われても

ただ腹が立つだけかもしれない。

やり場のない怒りに

大声をあげたくなるかもしれない。


けれど、

『苦しみを経ないと辿り着けない場所』は

確かにある。


それなりに生きてきて

色々と嫌な思いもしてきたけれど、

その時は『もうどうにもならない』、

などと本気で思ったりしながら

今もこうしてなんとか生きています。



『それなりに苦しい経験もあったよなぁ…』

なんて思います。

耐え忍ぶしかなかった経験と

傷だらけになった記憶…


そんな傷を越えてきた者だけが持ち得る何か。

そういうモノが確かにあるのです。



苦しみは成長をくれる。

でも、『買ってでも…』なんて思わない。


生きていれば辛いことなんて自然と起こるのだから。


どうせ起こるのならば、

どうせなら『その先』へ、


その先へ行きたい


いつかきっと

苦しんだ経験が


いつかきっと

あなたを導いてくれる


…きっといつかは…

そうを信じて