自分は本当に

この社会に適合できてないなぁ…


そんなことを思います。




もしかすると

適合できている人の方が

少ないのかもしれません


そんなことも

ぼんやり思います。




会社勤めは息苦しいくて…

息が詰まる…


そんな人も多そうです。




どんな時代でも、

生きていくのは

本当に大変なことなのだと思います。







…生きにくさや生きづらさ…




『苦い経験・痛い経験』の

思い出や記憶が、

生きることをますます大変にしています。







…自分はこういう人間だ…




なかなか上手くたち振る舞えず

何度も同じ痛みを経験すると、

そんなふうに思い込むようになっていきます。



こういう人間だから

『仕方がない』という思い込み。


これは『受け容れる』とは違います。

受け容れられている人には、

自分への哀れみはあっても

痛々しさが感じられません。

時々思い出して感傷にふける程度で、

『もうそれは済んだこと』になっています。




この『仕方がない』という

『制限』の素になっているのは、


過去の記憶や

もう思い出せない

蓄積されてきた無意識の記憶達です。



そういう記憶が

自分の行動に制限をかけてきます。






…その制限を外す…


その制限が外れるのを

経験している人ってきっと少ない。




制限を外すには

もう一度過去に立ち返って、


その時の痛みや苦しさに

対面しなくてはいけなくなる。


そうやって

その痛みや苦しさが『何であったのか』を、

自分の頭でしっかりと理解して、

整理しなおさなくてはいけません。


これは

とても痛みの伴う作業です。




そんな痛みの伴う作業を

安心してできるようになるために、


どうしても身体への信頼が

必要になってきます。





身体は

心の痛みにも敏感に反応を示します。


身体はその痛みに反応して、

身を護るために色々な合図を脳へ送ります。


身体に現れる不快な感覚は

いても立ってもいられないくらい不快です。


つまり、

痛みに何かしらの対応するように、

身体が促しているということです。



人は

その感覚があまりにも不快なので、

避けるようになります。


…できるだけ触れたくない…

この思いが行動を制限しています。







身体からの非常事態に対して、

『それは危険ではない』

ということを学び、


その不快でいっぱいの身体にジッと留まる…





それができるようになって初めて

過去の痛みや苦しみに

対面できるようになります。




そのためにどうしても必要なのが、

その身体を預けられる

信頼できる安心の場所です。



決して

傷つけられることのない

安心・安全な場所。


それは

誰かが

誰かを

心から労る

やさしさに溢れた場所…




そんな場所は

そう多くはありませんね。

そういう場所を作っていきたい…

そのためにも
もっと勉強が必要だなって思います。