もうどれくらいになるだろう。


自分を見る事を

意識的にするようになって

少なくとも5年は経った。




結局、

『自分という存在』は

大層な事など何も望んではなく、


ただ『安寧』を望んでいる。

ただ穏やかに過ごしたい...

それだけだ。



そのためにも、

自分の周りの親しい人達には

『幸せ』でいてほしい。


それが自分の『心の安寧』に

直結しているから。



自分の家庭...

職場の人達...


普段、

多く関わらなくてはいけない人達が

不機嫌でギスギスしていては

とても自分の心が休まらない。



だから、

自分の周りの親しい人達には

幸せでいてもらわなければ困るのだ。




これが

自分という存在のベースになっている。






そんな自分をずっと見てきた。


そして、

どうすれば自分の望みは叶うのか?を、

ずっと考えては実践をして来た5年である。




その都度、その都度、


何を望み、

何ができるのかを考え、

実際にやってみて、

また考える。



そんな事の繰り返しだ。




自分のために自分が選び、

自分のために自分が決める、

これは全て自分の望みを叶えるためだ。






この間、

仕事の大きな行事がやっと終わった。



その行事中に

一つの大きな判断を下した。

望まぬ方へ進むと解っていた。

真逆に進むと解っていた。



それをした。




...仕事だから仕方がない...

今もそんな風に納得などできていない。




その日、

トラウマに近いひどい傷を負った事に

家に帰ってから気が付いた。



心がえぐり取られたようだった。

しばらく泣いた。






...今まで学んで来た事が役に立ってないなぁ...

なんて思ったよ。

(笑)



ただ耐えるしかなかった。



自分の下した判断が

他の人まで巻き込んで

嫌な思いをさせてしまった...



許してもらえなくても...

謝るくらいしかできない。





今まで

ずっとやって来た事の逆を強いられる...

それはとてつもない『苦痛』だった。






そろそろ

環境を変化させる頃合いなのかもしれないな、

と思っています。





傷や痛みは『悪者』ではない。

悪者ではないけれど、

心地のいい物ではないね。



今まで学んで来た事のおかげで

ジッとその痛みを見てはいるけれど...




今の出てくる結論は

『環境を変えよう』の一つだけだ。


...仕事を変える...



今、そのために何ができる?

そんな事に意識が向かっています。





もうこんな風になるのは御免だからね。