人には
自分の『人生を見返す』時が
必ずやって来るのだと思う。
『閻魔さま』は
それを擬人化したモノ
なんじゃないだろか...
なんて思う。
人生の全てを、
やって来たコトの全てを、
...見返す...
死の間際で強制的に
『それ』を受ければ...
『閻魔さま』になる...のかもしれない。
だから、
生きている間に
『これまでの人生の見返し』を
小出しにしてやっておく...と、
人生の途中で
『自分の人生の見返し』ができて、
人生の『中間』で
自分の人生の修整もできるね。
生きている間なら
『やり直し』ができるけれど...
死んでからでは
『やり直し』はできないから。
これまでの
『人生の見返し』
のやり方ですが...
『何もしない』コトだと思う...
(笑)
『何もしない』をする。
そうすると
色々頭の中に出てくる。
色々考えてしまうはずだ。
『これに何の意味があるの』とか、
『こんなの意味が無い』とか、
何もしないコトに対して
色々出てくると思う。
それを放置した先に
自分のこれまでの人生が
ふつふつと出始める。
...その時の記憶や感情と一緒に...
これが
『人生の見返し』なんだと思います。
生きている間に
これを小出しにやっていく。
昔の人はよく分かってたんだろうね。
歩く...
掃除...
そういう単純な
動きの繰り返しは
人生の見返しの入口になってくれる。
『お遍路』や『巡礼』は
すごい距離を歩く。
歩き歩くうちに
自分を見返すのだろう。
掃除も同じだね。
お寺で拭き掃除なんて1時間もやってたら...
本当にいろんなコトが出てくるよ(笑)
単調な繰り返しは
自分への入口になる。
そして、
『何かをしている』が
すさまじく大事なのだと思う。
本当に『何もしない』で
昔を思い出しては
その時の記憶や感情をもう一度味わう...
それはけっこう辛いと思う。
何もせずに、
ただじっと『耐える』のは大変だろう。
そんな時に
身体が動いてくれていると
少し『紛れる』
『感情』が
身体を動かす『エネルギー』と一緒に
発散されるのかな。
グラウンディングはただ
突っ立っているだけだけれど...
(笑)
『身体を動かさない』という意味で、
『突っ立っているだけ』というのは
とても難しいコトなのかもしれないなぁ〜
...僕は20代の頃...
毎日ギターの練習をしていた。
指を動かす基礎練習を
1日何時間も...
単調な動きの繰り返し...
それを何年続けていたのだろう...。
練習中に
昔のコトを思い出しては
身悶えていたのを思い出します...
(笑)
今思えば
あれは良い経験だった。
ただ、
...じっと何もしない...
それか、
...ただ淡々と単純なコトを毎日続ける...
ただそれだけのコトなのに
人にはそれがひどく難しい。
『やり方』はひどくシンプルだ。
『ただそれが出来るか?』
『ただそれを続けられるか?』
人生はいつだってただそれだけだ。
