正しさの中にいると、
どうしても怒れて来るんだろうね。


『正しい』=『絶対のルール』
摂理のように
感じているのかもしれないね。

破ってはいけないルール
『正しさ』


人それぞれに『正しさ』があって、
みんな『自分の正しさ』の中で生きている。

それを
「お前は間違っている」
と怒るのではなく、
「それがあなたの正しさなんだね。
わたしのとは違うね」
と感じれたら、

怒りで違いを表現しなくて
済むのかもしれない。
自分を責めて『他の人の正しさ』
を認める必要も無くなるのかもしれない。


自分は自分なのだ。


『自分は自分だ』というコトを、
自分に許す・受け入れる。

全てはそこから始まる。



ルールで『がんじがらめ』になっている
現代人には難しいのかもしれません。


『正しさ』が
『あなたのそれは間違っている』
を含んでいる限り...

自分の『正しさ』が、
それを含んでいるのを自覚できない限り...

『本当の自分を受け入れる』コトも、
『他の人の正しさ』を受け入れるコトも、
難しいだろう。


『自分に優しくする』
それがとても大切だ。

『これが私だ。
なんか文句あるか?』
って思ってる間はまだまだだね
(笑)

命は儚い。
生きてる間は苦しみが多い。
『四苦八苦』だ。

自分を受け入れる。
それは、
生きているコトへの
『苦しみ』や『悲しみ』をも
受け入れるというコトだ。



『これが私です』
そこには、どこか悲哀がにじむ。
どうしてもにじみ出てくる。

本当は...
嫌だったけれど、
そうするのが『正しい』から...
その中に身を置かねばならなかった...
そうしなければ
『生きて来れなかった』

そんなコトだってあるだろう。

自分を守るための『正しさ』
本当は望んでいない『正しさ』
その『正しさ』には必ず何か
自分にしか分からない悲しみがある。

それを守らねば
生きて来れなかった悲しみが。


『これが私ですけど...
何かっ!?

となっているうちは、
まだ守っているのです。
その悲しみを。

悲しみを受け入れてしまうと、
悲しくて、苦しいから...
弾き返そうとしているのです。


自分を受け入れる
それは、そんな悲しみも受け入れる
というコトだ。



『これが私です』
そこには悲哀がにじむ。

ずっと悲しくて苦しみ続けた自分を
自分で抱きしめるように...
優しくなってしまうのです。

誰よりも
深く深く
その悲しみと苦しみが分かるから

誰よりも分かるから
優しくなってしまうのです。


GW7連勤の7日目...僕もゴロゴロしたい...
もう...疲れたよ〜
(笑)