三島ジャンベスクール留学5期生のブログ
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2カ月が経ちました。

皆さん、あけましておめでとうございます。

硫黄島を卒業して早2ケ月が経過しました。

向日葵が咲き始めた沖縄から将人です。

先日は、海水浴しているオジサンがいましたが…。


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最近はアフリカ行きの準備をのんびりやってましたが、意外にやる事が多く、出発の1週間前になって
慌てて準備してます。

11月20日にけやき兄を見送り、マナを見送った僕ら3人(綾・亮・僕)は、奄美~徳之島~沖永良部

~沖縄へとお世話になった三島村の宣伝と僕らの演奏を兼ねた島めぐりをしてきました。

それぞれの地の文化に触れながら、沢山の出会いがあり、素晴らしい島めぐりでした。

笠利ジャンべクラブの皆さん、ゆうこりんのお母さん、知名町役場の石田さん。
僕らの活動を応援してくれた皆さん。本当にありがとうございました。

皆さんのお陰で貴重な体験が出来た事に感謝します。


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硫黄島での生活を振り返ると本当にあっという間で、本当に半年も生活してたのかな~。

と不思議なくらいです。



「何も無い豊かさ」が懐かしいし、少し羨ましかったりもします。



なので、最近は「物を手放す事。」にハマっています。



 ……。


なんだそれっ??


って感じですけど、硫黄島での僕らの生活は各部屋に必要最低限の物しかありませんでした。

それでも毎日楽しかったし、不自由を感じた事はありませんでした。が、


沖縄の自宅に戻ると、モノで溢れ返っていました。


殆どが必要ないものだらけって事に気付かされました。

なので、まずは自分の環境をシンプルにしようと思ったのです。


夕べもゴミ袋3袋捨てたし、いらない本は売りに出したり。等々。



それと、毎日のように自炊をする事になりました。

留学生活のお陰で、改めて「食」の大切さに気づけたからです。

ありがたいです。


毎日の味噌汁作りが楽しくて仕方ありません。

保さん宅の様な味は出せませんけど(笑)


「やっぱり魚が必要や~っ」と1人でボヤイテいます。



そんな感じで留学生活を振り返ると太鼓を学びに行ったはずなのに、

一番勉強になったのは人間関係だし、留学させて頂いたおかげて

生活習慣までも変わってしまってました。


これも全て、硫黄島をはじめとする三島村の皆さんのお陰だと思っています。

本当にありがとうございました。


感謝。


皆さんとの再会が楽しみです。

めっちゃ笑顔で会いましょう!!







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これで5期生、諸留将人のブログは終わりです。


続きはこちら、

「人生はパッチワーク。」

http://morochan.ti-da.net/

ちょっとイケてないんですけど。



最後に健さん。

いつも応援してます。
本当にありがとうございましたチョキ






けやきです!!!

あけましておめでとうございます。


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年が明けてしまいました。

本当は2009年中に最後に一人づつ三島村留学の感想を書いて終わるはずでしたが、先延ばしにしているうちに年が明けてしまいました。すみません。






さてさて、11月に硫黄島を出た僕らは鹿児島県内の弾丸LIVEツアーを無事終え、11月20日、自分は東京に戻ってきました。

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硫黄島を出てから一週間の怒涛のLIVEツアーで気張りすぎたせいか、はたまた一気に気が緩んだかで高熱を出し、両家の挨拶の為に訪れた相方の実家で3日も寝込むというお茶目なキュートな事をしでかしておりました。


12月は東京のスピードになかなか復帰できず、いまいちTOPギアに入らない感じで久々の人と会ったりして過ぎていき、年も明けてやっとここ最近慣れてきました。(遅!w)







皆さん、お元気ですか?






半年間の留学生活の事は今思い返しても鮮明に脳裏に浮かびます。


特に思い出すのは硫黄島での生活です。バレーボール、WASADA、堤防での釣り、夜の飲みかた、これらがいまでもすぐ目に浮かびます。本当に楽しかった!皆と沢山笑いました


もちろん行事や、仕事、枕崎や東京や奄美や鹿児島県内LIVEツアーに行かせていただくなど、思いでは沢山ありますが、やはり毎日の生活の中で硫黄島の地区の皆さんと一緒に過ごさせて頂いたことが一番懐かしく感じます。



5月に島に入り月日が経ち、夏も過ぎた頃に少しづつ受け入れて下さって、少しづつ距離が縮まってきた頃、楽しいことが少しづつ増えてはじめてきたような気がします。


時には家にお邪魔させていただいたり、船に乗って素潜り漁に連れて行ってくださったり、伐採の仕事の時に重機で手伝ってくださったり、一緒に芋焼酎を飲んだり、そういった毎日が今振り返れば一番楽しかった。




仲良くさせて頂いたと同時に、本当に影でフォローして頂いたなぁとも思います。


半年間で辛い時期に話を聞いてくださる先輩がいたり、堤防でなんとなく釣竿たらしながら色んな事話した同級生がいたり、行事の準備をして下さった婦人会の皆さんや、青年会の皆様、沢山お世話になったんだなぁと、今思い返してひしひし感じます。



思い返せば思い返すほど、沢山ありすぎてここには書ききれません。
ただ、僕らは本当にかけがえない半年を過ごせて幸せだったと思います。
もちろん楽しい思い出ばかりじゃないけど、今思い返せば全てひっくるめて貴重な体験をしたのです。素晴らしい体験を。。。

またきっと何年かしたらこの思いはもっと強くなるような気がします。



そしてしばらく経ってから、自分が硫黄島に行ったときに皆さんと思い出話に酒を飲みたいと思います。そしてさらに、また、新しい思い出も一緒に作りたい。

きっとそうなると思います。間違いなくそうなります。だって自分、また必ず行きますから。



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三島村、硫黄島の皆さん、本当に最高の思い出をありがとうございました。
一緒に半年過ごしてくださり、また受け入れてくださってありがとうございました。


竹島、黒島の皆さん、僕らが行ったときに暖かく迎えてくださいました。
色んな準備や手配、ありがとうございました。


役場の皆様、いつも影から見ていてくださいました。
硫黄島で会うときはいつも明るく声をかけてくださいました。
ありがとうございました。


留学生5期生の皆、一緒に半年間過ごしてくれてありがとう。
わがままや理不尽な事もあったろうね、我慢させてごめんよ。
この思い出は忘れないよ。


最後にケンさん、
本当にお世話になりました。
愚痴も沢山聞いていただきました。自分は時にはやさぐれてましたが、ケンさんが支えでした。そしてケンさんはいつも明るくて、一緒に過ごせて楽しかったです。
ケンさんと知り合うことができて良かったです。
本当にありがとうございました。





最後に私事ですが、今後は更に音楽を勉強し、太鼓を勉強し続けて、自分の夢に届くまで突き詰めるつもりです。今年はは西アフリカのマリ共和国・ギニア・セネガルへと行き、さらにアフリカンの修行をしてきます。
1月18日に日本を出ます。
また帰ってきたら皆さんに会いに行きたいと思います。

だからこれからも末永く、宜しくお願いします!!!





これで自分の留学5期生BLOGを終わります。





ありがとうございました!!!!!!!!!





■-欅-keyaki
http://ameblo.jp/keyakin/










ありがとうございました。 まなより

こんにちは!


まなです。


留学生活が終了して、1ヶ月が経とうとしています。



1ヶ月経っても、まだ島のことをおもうとさみしい・・・

そんな日々を過ごしておりますしょぼん





今日は留学生活締めの最後の日記書きます。



最初、硫黄島に来たとき、とても楽しみにしていた硫黄岳と茶色の海に魅せられ、しかし私の心は不安でいっぱいでした。来る前は全く不安はなかったのに。



留学生になって、生活に慣れたのか、慣れてないのもわからないまま時は過ぎ・・・・


あっとゆーまに夏。苦しかった~いろいろ。今だから言えるけど、くるしかった~

私の体力のなさと精神力のなさが浮き彫りになりましたガーン



でも、硫黄島の夏は最高だった。海も山も空もきれいで。

あああああほんと良いところだなって。




太鼓はというと・・・

正直、これも今だから言えるけど、

私、人前でたたくのがホント苦手で。こう見えてとても恥ずかしがりやなのです。

だから、ソロとかほんと無理で。

ってドンドン日記暗くなるからね・・・


でも、後ろのケンケニはありえないくらい楽しくて、やばかったね。

ってジャンベも楽しいけどね。

ジャンベは笠利の人が島に来てくれたときくらいから、急激に好きになったなぁ。

笠利パワーでいろんなことが、驚くほど前向きになりました。笠利ジャンベクラブ ラブですドキドキ






自分のなかで、一番大きかったことは三島村の島の人との出会いでした。


みんな強くて、優しくて。思い出すだけで、泣けてくるくらい大好きです。

私の地元は、同じマンションの人ですら顔分からなかったりするような、希薄な近所付き合いだったので。

といっても、小さい頃は父の会社の社宅だったので、島の感じに近かったかな。


とにか~く、みなさんのこと本当に尊敬してるし、自分もいつかそうなりたいって思います。



特に、子供達と話したり、遊んだりした思い出が私にとって、なによりの財産になりました。

「あっまなちゃんだ~!」って笑顔で言ってくれたこととか、

「マナディ・ケイタだ~!」ってふざけて言ってきたりとか、

車の中からおもいっきり手を振ってくれたりとか、

一緒に恋バナしたりとか、

一輪車でつかまり合ったりとか、

バンッて鉄砲で私を打つ真似して、私が変顔したりとか、

シャイなのに話しかけてくれたりとか、


ちょっと気持ち悪いくらい子供達のこと好きですね。。。

もともと子供がすごい好きってのはあったけど、特にかわいい。

子供の世界もいろいろあるのに、みんな元気で仲良しで。

あ~早く会いたい音譜できれば、私のこと忘れないでほしいな。





といった感じで、留学生活。

一番近くにいてくれたのは、

やはり

けやきにい、まさと、あやちゃん、りょうちん

の4人でした。

どんなときでも元気に明るく思いやってくれた4人、本当にありがとう。

この私のマイペースさや、要領の悪さにだいぶあきれたと思うけど、

本当に感謝しています。






いっぱい落ち込んで、でも、毎日、辛いことより確実に楽しいことのほうが多かった、

留学生活。

体験できたことに感謝し、

また支えてくださったかた全員に

日記上で申し訳ないですが、最後にお礼が言いたいです。

ありがとうございました。


そして、この日記を読んでくださってるアナタ!

ありがとうございます。





今後は、子供に関わる仕事をします。

あと、神奈川の実家から東京に引越し一人暮らしをしています。















旅の終わり、足跡のつづき

ちょうど、1週間前に私たち5期生は島を離れました。

11月13日。

ジャンベ留学、卒業の日。


いつも見送っていたフェリーに乗り込み

フェリーから手を振る。


あっという間に紙テープは手から離れていき

あっという間に硫黄島のみんなが小さくなっていった・・・


たくさんの島の人たちがお見送りに来てくれて私たちは幸せ者でした!!



そして、その日のうちに三島フェリー待合所にて卒業ライヴ!!

バンドンジェリの歌で始まり、レスポンスを返してくれるケンさんが私に手をむけてくれた瞬間を忘れません。

苦しんだ曲だったけど、私はやって良かったと思っています。

そして、1期生であり硫黄島の島民である、たけさんが目の前で見ていてくれたこと。

一緒に卒業ライヴでジャンベを叩けたこと。

本当に嬉しかったです。


最後に演奏したジョレでは、硫黄島のサチヨさんがサンバンを叩いてくれて

歴代のジャンべ留学生、笠利ジャンべクラブのリーダーひろさんなどなど

みんなでの演奏。

サイコーの時間でした。

最後にみんなが並んでのショフマンは

今、思い出しても胸がドキドキしてしまいます。

サイコーの瞬間でした。





この留学が始まる前に、4期生だったありちゃんに

初めてメンバーに会う日は忘れられない日になるよ

って言われていました。


初めてみんなに会った日

薄暗いバーにてテキーラで乾杯した時

『これだ!』って思いました。




卒業ライヴを終えてからは

枕崎・出水・川内・串木野・鹿児島市内などなど・・・・・・

いろんなところで演奏してきました。




そして、昨日で6人での演奏は最後。

最後の夜。

始まりと同じ場所でテキーラで乾杯。


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この半年間は楽しいことばかりではなく、大変なこともありました。

たった半年だけれども、一生忘れられない半年。

これからも、つながっていくであろう仲間たち。

今までしたことのないたくさんの経験。

素敵な人たちとの、たくさんの出会い。





出会ったすべての人たちに感謝します。

ありがとうございました!!






ジャンベ留学は終わったけれども、

私たち、これからが始まり。





私のかく留学生ブログはこれが最後です。



本当に本当にありがとう!!












あやブログ 『妙なる調べ』

http://ameblo.jp/2days-moon/





奄美、笠利からの熱い風。それは心という名の台風だった。

奄美、笠利からの熱い風が来た。


ついに硫黄島にやってきた!



大人10名子供10名のアフリカントラディショナルバンド、笠利ジャンベクラブ!FROM奄美大島笠利町。

リーダーのヒロノブを中心としたこのグループはそれぞれ仕事をキープしながら家庭を営みつつ練習を重ね、島の様々な祭りやイベントに積極的に参加、幼稚園から小中学校、ご老人施設まで視野にいれ地元に根ざした活動をされている。

また地元の伝統踊り保存会「いっちゃりょん会」や奄美出身のメジャーアーティストやシマ唄アーティストとも親交がDEEP!

いろんな人を巻き込みながら、「聞いている人に楽しんでもらう」をやっている熱い熱いチームです。

その笠利DCの皆さんが、木曜日から日曜日まで硫黄島に来てくれたのです。



到着した日はケンさん&留学生と歓迎会。

宴たけなわで登場したルリカケスは奄美の思い出を蘇らせ、その瞬間硫黄島もまた南国と化しました。w

2日目は皆で練習。お昼ごはんのパスタをご馳走になり、午後も充実。

夜はバレーボールで汗を流し、9時半すぎからママディ師の「聖なる帰郷」を鑑賞。

当然のごとく自然と飲み会に移行し、この日の夜もハッピーバイブレーション全開。


3日目は午前中に硫黄島の子供達と笠利KIDSの交流練習。

午後は皆さん観光にでかけ、その間留学生はその日の夜に行われる島民との交流会の準備。
硫黄島ジャンベの大人チーム、WASADAの皆さんや婦人会の皆さんも手伝ってくださり、無事に準備万端。(皆さんありがとうございました!)

留学生達は午後4時からの地区の奉仕作業をすませ、7時に無事に交流会がスタート。



笠利の皆さんと旨い鍋をつつき、子供達も混ざり合いながらいい雰囲気で宴もたけなわ!
そして始まったLIVE。。。




これが、、、





これが、、、、





ここからが、ものすごかった!







感動という言葉じゃ収まりきらない。

今思い返しても、まるで一本のいい映画を観ているような時間。





最初はWASADAが演奏。Fe2とDjoleで魂込めて音。

その後にいよいよ笠利ジャンベクラブ。

We will Rock Youのリズムに合わせて登場。メインボーカル、タカシさんの唄が響き、空がまとめ、シンゴが低音を支え、アキラが安定させ、ヒロノブが音で舞い、女性チームは華を添える。

皆の「楽しもう!」って気持ちが空間中に粒みたいに飛んで、徐々に振動が伝わって。

硫黄島の子供達なんかすぐ伝染して踊りだし、大人達も笑顔がこぼれ始める。

もうあっという間にその場の空気は暖かくなり、皆紅潮して興奮。

踊りマクって完全に火がついた会場はもう、完全低気圧。そこが台風の発生源。








大きな興奮を残して、大きな拍手で笠利の演奏は終了。







その後に奇跡が起こったんです。

なんと、島の子供の一人が、「僕達も演奏したい!」って。

普段の練習は全然自主的じゃなく、むしろヤラサレテイル感のある子供達が!!!

大人が手伝って急いで準備。予定になかったサプライズLIVEは笠利の子供達も巻き込み、急遽行われました。

普段はからわないのに、太鼓をからい、自分達で曲目を決め、堂々と目を輝かせながら皆の前にたつ硫黄島と笠利の子供達をみて、鳥肌がとまりませんでした。

きっと他の大人達もそうだったと思います。

景色がにじんではっきり見えなかったけど、子供達が一生懸命に演奏でお返ししている姿は間違いなく綺麗で、尊いものでした。

このLIVEは今までみたどんなアーティストのLIVEより、心が震えるものでした。















これは気持ちが連鎖して生まれた奇跡。

あの場にいた全員がその物語を作った主人公でした。







今回また笠利の皆には沢山のモノを頂きました。



心の中に刻み込まれたその暖かいモノは、硫黄島の子供達や留学生がこれから生きていくのにとても大切なものになるでしょう。

大事なのはカタチや記録じゃないんだよって。
大切なのは心の中にあって、その深いところからくる純粋な気持ちが人を動かしたり空気を変えたりするんだよって。

目に見えるものだけが真実じゃない。
目に見えるものだけが正しいわけじゃない。
目に見えているものだけが本物なわけじゃない。
大切なものは目に見えなかったりする。
だから自分の心で感じる事はとても大事なことなんだよ。



そんな大切な事を、教えてくれた、また思い出させてくれた4日間でした。


笠利DCの皆さん、奇跡のような4日間を、ありがとうございました!

そして影で支えてくださった硫黄島のWASADAの皆さん、学校の先生方、ありがとうございました!!!




スーパーサティスファイ!!!




ONE LOVE!!!!!


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