岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会

中高生など若者に人気の東京・渋谷のファッションビル「SHIBUYA109」が、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県釜石市に3日間限定でオープンし、大勢の買い物客でにぎわっています。

このイベントは、釜石市の女子中学生が「釜石を元気にしたい」と、「SHIBUYA109」の運営会社の社長に手紙を書いたことがきっかけで実現しました。
16日から3日間限定で、JR釜石駅前の商業施設「シープラザ釜石」に臨時店舗がオープンし、午前10時の開店と同時に、店の前で待ちわびていた大勢の買い物客らが次々と店内に入っていきました。
イベントには、若い女性に人気のブランドを扱う13の店舗が参加し、いつもは渋谷の店舗にいる店員も接客しています。
また、地元の中学生と人気ブランドが共同製作したワンピースなどが限定商品として販売され、売り上げの10パーセントが義援金として寄付されるということです。
買い物客らは、お目当てのブランド商品や、店員から勧められた服などを選んで買い物を楽しんでいました。
買い物に訪れた地元の女性は「釜石に『109』が来るなんてびっくりしました。かわいい服がたくさんあってうれしいです。いろんな服を見て回って買い物を楽しみたい」と話していました。
最終日の18日には地元の女性たちが招待され、人気モデルや釜石市の中高生が参加するファッションショーも開かれます。【NHKより】


TV等でご存知かと思いますが、岩手内陸部で観測史上最大級の大雨が降りました。

盛岡は朝から昼過ぎまで強い雨が振り、夕方になって小雨になりました。


冠水、川の氾濫注意等で盛岡市緊急速報が何度も携帯に届きました。

市内でも床下浸水などの被害が出ています。

まだまだ、土砂崩れの心配もある状況です。。。


お盆も近いので交通機関の復旧を進めて欲しいです。

大槌町での活動です!

岩手を観光しながらいかがでしょうか?

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ボランティア募集!!


日 時:8月 9日(金)、10日(土)

       14日(水)、18日(日)

       23日(金)、28日(水)


     AM10:00~12:00までです。


    活動内容:花壇整備・水やりなど




 お申込みの際は、活動担当の方におつなぎしますので、大槌町社協ボランティアセンターまでご連絡下さい。


連絡先:0193-41-1555

まつりさんさ踊りも本日で終了まつり

初日が雨でしたが、その後は天気も回復して涼しい盛岡でした。

多くの方に訪れて頂き嬉しく思ってます。ニコニコ



当会発足メンバーで順調な人は大学3年となり、それぞれに考える方向が違って来ました。

岩手残留組も実習等でなかなか活動ができないのが現状で、現在取り組んでいる事は、「盛岡で出来る事をする」です。

被災地から盛岡に来ている学生の支援と被災された方が作られた商品の紹介をしております。(学生支援は個人的な情報もありましてブログでの紹介はしておりません)


震災当初は、中高生女子に重点をおいて活動をしておりましたが、時間の経過と被災地の状況の変化もあって変わって来ました。

そのような中で私達がすべき事は、勉強をして資格等を身につけ、岩手の将来を考えるです。

私達の小さな会に囚われることなく、もっと視野を広くする自己啓発にこれからは重点をおいて行きたいと思っています。


これからも、盛岡からの気付きを発信して行きますので、よろしくお願いいたしますm(_ _ )m





日高美子さんのブログ読者のハッチンさんから、Earth Palette にメッセージと画像を送って頂きました。

FBには短文で掲載予定ですが、故郷への熱い思いを感じましたのでこちらで全文を紹介させて頂きます。
岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会


写メですが送らせていただきます。
未来に遺したい故郷の石橋のある風景です。
日本一の石橋の町・大分県宇佐市院内町には石橋が75基あり、そのうちの1つである両合川橋です。
同じ町内の人から…
あそこは田舎だから、うちの娘は嫁にやれない!とか、遊びにやってきた隣の福岡県の友人から「仙人が住む山里」、標高も高いことから「空気が薄い!」とも言われてましたが…、誰も生まれる場所(親も)を選べません。自分には愛すべきわが故郷です。
時代遅れですが、今なお耕運機で田んぼ耕してたりします。
両側の村をつなぐ石橋と、棚田の風景がマッチしていて美しい!ということで以前…
NHKのBS番組「21世紀に遺したい日本の風景」ということで放送していただきました。
誰にでもある、心の故郷
心の拠り所を大切にしてほしいと思います。

昔この橋の上では、盆踊りに向けた笛、太鼓の練習をする村の若者たちの姿がありました。
農作業する手を休め、橋の上でよこうちみたり(休んでみたり)村人が語らうような橋でした。
まさに今求められていることではないかと思います。
よって、ふれ愛の橋…
と言わせていただきます。
遺したい風景です。

岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会


〈後書き風にで
恐縮ですしスルーしていただいて良いのですが…〉
同時に奥まったこういう場所は水の源でもあります。
人のいとなみがあるから、美しい風景が遺されてゆく…
みんなで、山奥のこと川のこと、平野や海のことを大切にする暮らしを考えていくなら…
新しい未来を作れる、のではないか?と思います。
どなたも、自分の故郷を思う気持ちは同じだと思います。
現代社会は何処に向かっているのか?
昔は良かった!
…とならないようにしたいものです。
山も川も海も生きてます。人間も動物や生き物すべてのものは自然の中に共存しています。
日本人の良いところを思い出し、真にお互い様の心で助け合って生きていきたいものです。

自分の故郷に観光や写真撮りにみえる人がまた増えれば、村人はやっばり元気が出るし、いくらかでも雇用に結び付くような何かが生まれたら良いなぁ!との思いで…
宣伝したいと考えました。
どうしたらCDにすることができるのか?から始まり、訪ね歩くようにして色んな素晴らしい人たちとの出会いをいただき一先ず一曲自分で故郷を歌ったCDを作ることができました。
以降、曲も増えイベントやライブ等で歌っています。歌で宣伝することで、普段はあまり見向きもされない奥まった田舎に光を当てたいのです!
色んな角度で広い視野で世の中の状況を見ることができたらと思います。
人間どうしの関係・繋がりが希薄になった
と言われ久しいところですが、小さなコミュニティから大きなところまで…
何処に住んでいようが人と人との繋がりを大事にする世の中であってほしい!と思います。

東日本大震災が起き甚大な被害にあわれ家族や親戚、友人知人、仲間を失った人々の悲しみ、苦しみを思えば、何もできないことが心苦しいのですが、あの後たちまち全国的にものが不足する事態にもなりました。
被災地の復興が日本の復興だと思います。
私ごとながら、大震災が起きるまだ前に仕事で命の危険にさらされる状況下にありましたので、なおさら命にかえて何かやりたい!との思いで動いてきまして…
仕事を休んでる療養中に(財)日本太鼓連盟大分県事務局長をさせていただくという、有り得ないことをやりながら目立ってはいけない立場で…
CDを東京に送りWebラジオでピックアップアーティストとして紹介していただいたり、町に工芸・手芸作家さんたちの展示販売兼音楽ライブの場所にしよう!として地元ローカル新聞に取り上げられたりしてきました。
今ではオリジナル曲を歌い、グループサウンドやロックバンドでヴォーカルやらせていただいてます。
その間の会社対応も綱渡り的でしたが、それ相応のことがあったからです。
だから、心から思います。
辛く苦しい立場にある皆さま方、負けないで下さい!
と言いたいです。
歌うことくらいしかできませんが、もし自分にできる何かあればやりたいです。
歌うたい(シンガー)
ハッチン


岩手沿岸の中高生女子に援助物資を届ける会



FBの方は今しばらくお待ちください!

近日中に掲載予定です。。。

この季節、かるがもの親子の姿を普通に見ることができます。

国道を列になって横断する姿も見れますよ!カルガモママ テクテクカルガモヒナ ダッシュカルガモヒナ ぱたぱたカルガモヒナ コテッ!


昨日、岩手大学でかるがもちゃん発見!!

カワ(・∀・)イイ!!って思って見ていた所・・・

お母さんがいない・・・

“あれれ”と思ってよく見ると、親かるがもと子かるがもは大学のフェンスで遮られていて、子かるがもちゃんと親かるがもは右へ左へとウロウロ・・・

そのうちの一匹が道路に、車がブレーキをかけましたが、親と反対方向なのでその後が心配です!

どうか、無事でいて欲しいなぁ~

山田町観光協会の公式ブログの「山田とことこ日記」より転載いたしました!!

あまちゃんの久慈を訪れたついでにこちらにもお立ち寄りください

今年も宮古市の水産科学館ウォリヤスで開催されています。
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期間は7月12日~8月18日、開館時間は9:00~16:30です。
カニやヒトデなどの海でよく見かける生き物や、アナゴやカレイのかくれんぼなど、魚たちの様子を観察できます。目
また、タッチプールでお魚やナマコやヒトデなど、実際に触ることができます。手(パー)

晴れ夏休み企画として、
7/27、8/3、10(土)の10:00~12:00は親子餌付け体験ができます。
エサの準備からエサやりまでの作業や、夢入りの缶作りなど、親子で一緒に体験しませんか?
※各回3組まで、小学生以上のお子様と保護者1名とさせていただきます。
※参加希望の方は実施日の6日前までお電話でお申し込みください。

また、8/2(金)、3(土)、9(金)、10(土)は開館時間が19:30まで延長されます。
夜の水産科学館を体験してみませんか?三日月

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お問合せは岩手県立水産科学館 ウォリヤス 0193-63-5353 まで
場所は宮古市日立浜町32-28 (浄土ヶ浜の近く)
大人300円、大学・専門学生140円、小中高生は無料です。

日高美子さんのブログで紹介されていた物語です。

複雑な気持ちになりました。。。

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facebookで話題になったある夫婦の物語です。



仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をととのえていた。
僕は彼女の手をにぎり「話があるんだ」と切り出した。
妻は何も言わず席についた。その目は苦痛に満ちていた。


ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。
でも言わなければならない。「離婚したいんだ」と。
僕は冷静に、その言葉を口にした。
妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。「どうして?」


その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。
彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。「あんたなんか、男じゃない!!」

その夜、その口論のあと
僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。
妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
わかっている。どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。
でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。
それもそのはず。僕は「ジェーン」という他の女性を愛してしまったのだ。
妻のことは、、、もう愛していなかった。
ただ哀れんでいただけだったのだ!

深い罪悪難に苛まれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。
その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。
彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。
僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は
僕にとってもはや「見知らぬだれか」に成り下がっていた。
彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、、、本当に申し訳ないと思っている。
でも
自分が「ジェーン」を愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。

承諾書を破り捨てたあと、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。
ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て少しホッとしたのだ。
これで離婚は確定だ。
この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、
これでとうとう現実化したのだ。

その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。
家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた。
夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。
深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。
僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。


朝になって、妻は僕に「離婚の条件」とつきつけてきた。
彼女は家も車も株も、何も欲しくないと言った。
でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」が欲しいと言ってきた。
そして彼女の条件は、その1ヶ月のあいだ出来るだけ「今までどおり」の生活をすること。
その理由は明確だった。
僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているため
できるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。

それに関しては、僕は即座に納得した。
だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。
「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて寝室に入った日のことを思い出してほしい」と。
そして、これからの一ヶ月のあいだ、あの時と同じようにして
毎朝、彼女が仕事へ行くときに
彼女を腕に抱き上げて 寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。

僕は「とうとうおかしくなったな・・・」と思った。
でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。


僕は「ジェーン」にこのことを話した。
ジェーンはお腹を抱えて笑い、「ばかじゃないの」と言った。
今さら何をどうジタバタしたって離婚はまぬがれないのにと
ジェーンは嘲るように笑った。

僕が「離婚」を切り出して以来
僕ら夫婦はまったくスキンシップをとっていなかった。
なので
彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目
僕らは二人ともなんともヘンな感じで、ぎこちなかった。

それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。
「ダディーがマミーを抱っこして『いってらっしゃい』するよ!」
その言葉を聞くなり、僕の胸はきりきりと痛んだ。
寝室からリビングへ、そして玄関口へと
僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。
妻は目を閉じたまま、そっと「どうかあの子には離婚のことは言わないで」と耳元でささやいた。
僕は黙ってうなずいた。でもなぜか、そうしながら
心はひどく動揺していた。

妻をドアの外に静かにおろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。
僕もいつもどおり車に乗り込み仕事へ向かった。

2日目の朝
初日よりは少しは慣れた感があった。
抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。
僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。
そして思った。
こうして彼女をこんな近くできちんと見たのは、最後いつだっただろうかと。。。

妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。
その顔には細かなシワが刻まれ
髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている!
結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に。。。
その一瞬、僕は自問した。「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。

4日目の朝
彼女を抱き上げたとき、ふと
かつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。
この人はこの女性は僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。

5日目、そして6日目の朝
その感覚はさらに強くなった。
このことを、僕は「ジェーン」には言わなかった。

日にちが経つにつれ
妻を抱き上げることが日に日にラクになってゆくのを感じた。
なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろうと
僕は単純にそう考えていた。

ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。
鏡のまえで何着も何着も試着して
それでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。
そして彼女は「はあ~っ」とため息をついた。
「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって。。。」

その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。妻はいつの間にやせ細っていたのだ!
妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく
彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ!

愕然とした。
それほどまで、やせ細ってしまうまで
彼女は痛みと苦痛を胸のなかに。。。

僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。

そこに息子がやってきた。
「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」

息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることが
すでに大切な日常の一場面となっているようだった。

妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと
彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。
僕は思わず目をそらした。
そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!

僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ
寝室から、リビング、そして玄関口へと
彼女を運んだ。
妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。
そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。
そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。

彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら
僕は例えようのない悲しみを覚えていた。
そして最後の朝、

妻を抱き上げたとき
僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。
その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。

僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。
「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」

そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で
自分の決心が揺らいでしまうのが怖くて
それを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出し
オフィスのある上の階まで駆け上がっていった。
気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。早く「ジェーン」のもとへ!

ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。
彼女を見た瞬間、
僕は思わず口にしていた。

「ジェーン、すまない。 僕は離婚はできない。」ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめ
そして額に手をあてた。「あなた、熱でもあるの?」

僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。
「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」

「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく
僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を
大切にしてこなかったからなんだ。
今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日
僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように
僕は死が二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」

「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉め
ワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。

僕はそのまま黙って階下に降りた。
見ると、花屋が目にとまった。
僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。
僕はふと微笑んで、言った。
「そうだね、こう書いてくれ。」

『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人を分つ、その日まで...』
その日の夕方、僕は
妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて
家についた。

はやる気持ちで階段を駆け上がる!
早く早く!妻のもとへ!

出迎えてくれた妻は

ベッドで冷たくなっていた。。。。

何も知らなかった。
僕は、何も知らなかったのだ。

妻が「ガン」であったことさえも。

ジェーンとの情事にうつつをぬかしていた僕は、
妻が
この数ヶ月必死で病魔と戦っていたことに
気付きさえしなかったのだ!

妻は分かっていたのだ。自分がもうじき死ぬことを。
彼女が出してきた「離婚の条件」は
僕を責めるものではなく、僕を救うためのものだったのだ!
自分亡き後、最愛の息子から
僕が責められることがないように。

毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。
そう、そういう僕を毎朝見ていた息子にとって
僕はまぎれもなく
「お母さんに離婚をつきつけたお父さん」ではなく
「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ!

私はどうしても皆さんにお伝えしたかった。
日々のささやかな幸せ、、、それが人生で何よりも大切であるということを。
幸せは
大きな家、土地、高価な車、または銀行の残高、、、
そんなものの中にあるのではないということを。

もしも今、あなたの傍らにかけがえのない伴侶がいるのなら
毎日がどんなに忙しくても
どうか、相手が大切だと伝える小さなジェスチャーを
心を通わせる時間を

大切にしていっていただきたいと思います。

(最後の注釈含み、全文オリジナル文より)



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鈴原愛子(日高美子) さんのブログ記事で紹介して頂きました!!


美子さんは、親時代のアニメ「ドクタースランプアラレちゃん」の主題歌などを歌っておられました。現在も日本やドイツで歌手活動をされてます。。。

ブログからは、お人柄が感じられますラブラブ

疲れた時には覗いて頂きたいです。。。

ドイツの綺麗な風景や美子ランド全開のパロディでなど読者サービスで一杯です!!


「恋の季節」に感激の「涙の季節」


めちゃんこロケット発射~☆

鈴原愛子(日高美子)のメルヘン便りだびょ~ん♪
















で、本当はね!

↓がお好きな方です。。。

ダ・ピンチ展!!


2~3記事をご紹介使用と思ってたのに、面白すぎて選ぶのが大変でした。

part2もあります。。。m(_ _ )m


ドイツ映画 ☆実話☆日本レストラン奮闘記