続いて ○○小学校へ ここにも雑巾を100枚 かわいい雑巾に「これはこれは」と。ここでも大変喜んでもらえました。
雑巾を喜んでくださる校長先生 小学校の仮設校舎
お隣の○○中学さんには 岐阜の○○町のNPOさんがフリマで集めた○○万円をお渡ししました。
中学の仮設校舎 支援金を校長先生に渡す
この町は 車が通れる堤防が津波でこんなになったまま
学校の旧体育館 中はこんなん 津波が貫通したのが良くわかる
学校さんのポスターがありそれをフリマにお借りしました。とても胸につまされるもので、私は数枚いただいていましたが、今回 そろっていただけることに。写真展に使わせてもらうこともOKいただきました。
生徒が瓦礫の中の道を歩いている所のポスターに「絶望に向かい、希望を拾う」
壊れた堤防には「津波に向かった英雄達」 「何も無くとも希望がある」
壊れた町を見ている生徒の写真には「はじめて故郷を意識した」
静かな海と船の写真には「2つの顔を知っているから、憎めない」
「何もない道は復興への道」
津波での漁師のロープや網かごのつみあげられた写真には「瓦礫、と呼んでくれるな」
ばらばらのユニフォームで練習の子供達の写真には「バラバラでも、1つ」 そろいのユニフォームを着せてあげたい。
「みんなに笑っていてほしい」
生徒さんが撮った写真だそうですが、すばらしい。
その他 資料をあれこれいただきましたし、岩手県教育委員会さんが出している当時の事を書いた本も取り寄せて送ってくださるとのことで、届くまでは 学校にあったものを貸してくださいました。感謝 感謝です。こちらで伝えれるものを伝えていきます。
もう少し走って大船渡市の○○中学校へ。
校長先生と一緒に町を回る。言い伝えの石が出てきたのを見るために。
ここは 明治の地震の時に津波が来たので、 ここから下には家を建ててはいけないと 国道を作り、桜を植えて堺にした。そして、先人がこの道から上しか家を建ててはいけない。下は田んぼにするようにと 石碑まで作って記した。風よけ波よけに100本以上の松も植えていた。松はすっかり流されて1部しかない。
田んぼは壊滅だけど家は助かっている。 見渡す限り何も無い。松も流されて無い。
高い道路の上の家は助かっている。それでもまだ避難できるように高台に登る道が作ってある。
先人達の思いが伝わる。もう 津波で人を死なせたくないのだ。
それを今日まで人々が守りとおしてきたので今回の津波の津波で被害はほとんど無く、家のすぐ下まで津波が来てとてもこわかったそうですが、助かっている。どこも被害にあっているが、ここはほとんどないので、奇跡の町といわれている。先人の思いとそれを守り通した人々にすごいと思った。
言い伝えは単に残って来たものでは無く、先人が子孫を守るために必死で伝えてきたものなんだと改めて思いました。そのためにすごい努力がなされてきていること。
校長先生と回りながら、「この石碑も子供達で立て札をたてたりして守っていきたいね」と話す。
これから町を継いでいく子供達にこの町を知り、先人の思いを掘り起こし かくれていたものをあらわにし、守り伝えていってもらいたいと思いました。
8月終わりに九州から生徒さんが来て体育館に泊り、この地を見、震災の話を聞いたりするそうです。その時私も一緒に体育館にお泊りし、話を聞き、町をまわることに。体育館にお泊り久しぶり。楽しみです。
でも代わりに今回の震災では被害がないからと支援他も後回し。田んぼがだめになり、海にも出れず生活は大変そうだ。
立ち寄った所のおばさんがわざわざ道案内をしてくださり、石碑を案内してくださいました。
古いもので、地震の後には津波が来る。 警鐘ならせ。と身につまされる文字がきざんでありました。
その石碑が草の中。地震で7メートルほど下に落ちている。
言い伝えを残せるように、建てた朝日新聞社さんに修復をお願いにいくことにしました。
高台の上の碑分が地震で7メートル程下の民家の駐車場に落ちている。
「津波記念碑」だ。
帰りがけにおばさんが手作りのあんこの入ったお餅をくださいました。帰りにお腹がすいていたので食べるとおいしい おいしい。手作りってこんなにおいしんだと。
残念だけど 津波で出て来たという言い伝えの石のありかはわからず 引き返す。次回までに探しておいてくださるとか。
また おいでってことかな。