「声」の本性 | flat3 football club 監督日記

flat3 football club 監督日記

街の片隅で細々と活動しているU-15のサッカークラブでした。

できるだけボールを蹴らずにサッカーが上達する方法をさがしていました。

今は「教えない指導」「教えない教育」の布教活動中です。




確かに不公平なんだろうけど……

自分の子供が通う中学校だけが「恩恵を受ける中学校」だったとしても、その保護者は『不公平だ』『他の中学校もするべきだ』と声をあげるのかな、と思ってしまう

『不公平だ』と声をあげるのなら、恩恵を受けても受けなくても『不公平だ』と言うべきだろう、と思う

「誰も恩恵を受けられない」より
「誰かが恩恵を受けられる」方が
よくないか

その恩恵の枠に我が子が入っていなかったとしても、他の誰かが入ったことを喜んであげるくらいの度量があってもいいんじゃないか、子を持つ親なら

恩恵が受けられる側に立った時に声をあげないのであれば
恩恵を受けられない側に立った時も声をあげない方がいいのでは

本当の意味の「公平」を求めるなら、自分の立ち位置に関係なく声をあげるべきだろうから

そうじゃないのなら

それは「公平を求める声」なのではなく
ただの「ねたみ」と「やっかみ」でしょう。