『そうすれば、指導経験のない教員が顧問になることもなくなるから』って
それで「長時間労働問題」が解決するのかどうかは横に置いといて……
指導経験のない教員が部活動の顧問をすれば、部員にとっても教員にとっても良くないっていう議論もある
そんなこと言うんだったら
大学出てすぐの(前の月まで学生だった)教員にクラスの担任をさせることの方が、「指導経験のない教員に○○をさせる弊害」に当てはまるんじゃないの?って思う
もっと言えば
大学出てすぐの、教員試験にも受かってない講師(って呼ばれてる教員予備軍)にクラスの担任をさせることの方が、多大な弊害を生むんじゃないの?って思う
長時間労働解決も大切かもしれないけど、それよりソッチの問題にも目をむけないとダメなんじゃないの?って思うんだけど
部活動の話だけじゃなく
『指導経験のない教員が○○をやるから弊害が生まれる』んじゃなくて
『情熱のない教員がイヤイヤ○○をやるから弊害が生まれてる』だけなんじゃない?
大学出てすぐの教員でも、情熱を持って取り組んでる人はたくさんいる
教員に負けない情熱で取り組んでる講師だって少なくない
要は
経験の有無じゃなくて
情熱の有無に関係してるんじゃないのかな
「やらされてる」1時間は、長い
「取り組んでる」10時間は、あっという間
時間の長短、数字の大小、だけで問題が解決するようには思えないのですが。
