人生で何を掴むのか。
もうあと1週間くらいで今年も終わりかー。
職場ひとつとっても、若い子もいれば、60歳オーバーの方もいる。
60歳を老人だとして、30歳ならあと30年、40歳ならあと20年か。
1日1日が結構大変な日々もあるけれど、1年なんて過ぎてみるとあっという間。
今、ラーマクリシュナの本は、コタムリト(不滅の言葉)の3巻目を
読み始めた所です。
ラーマクリシュナの言葉の中に、マンゴーの実を取りに来たなら、
マンゴーの木の枝の数を数えたり、葉っぱの数を数えたりしていても
何も得られないのだから、目の前のマンゴーの実だけ取ってそれを味わえば、
それでいいんだよ、という例え話をよくされる。
世の中には、ホントにいろんなものが、たくさんあって、
本にしたって、大きな本屋に何万冊の本があったら、
そこから自分に必要だと思える1冊を見付ける…それは、識別と選択だ。
何万とあるCD屋さんから、CD1枚選ぶにしても同じ。
歌手やアーティストだって、それが趣味なら、いくつも追っかけてもいいけど、
そんなに暇な人ではになら、一人を選んで追っかけるとか。
まあ、今自分は追っかけてるようなアーティストというのはいないけれど。
あれこれと手を出しているのは、マンゴーの例えにすれば、
枝や葉っぱを数えて、ちょっとかじってみるようなもの。
まあ、そんな時期や時間も、たいていの人の人生にはあるものだろうけど。
でも、人生で、ホントに実のあるものを掴もうと思ったら、
何万、何十万とある枝葉を数えてるだけで終わる人生より、
「これだ!」って思うものに、集中している人のが、実りある人生になる気がする。
いろんな人を見てきたけれど、あまりたくさんの物に意識や感覚を、
ちらしていると、広く浅くでは、自分の深い部分にほとんど何も残らない。
まして、仕事や、家庭などがある人にとっては、自由な時間だって限られている。
ホントに、自分にとってのマンゴーの実が何かを識別、選択して、
マンゴーの実を取ることに向かわないと、人生なんて振り返れば、
あっという間に過ぎ去って、気付けば、老人になっていたなんてことになり兼ねない。
私は今はとりあえず、ラーマクリシュナのコタムリトの3巻を読み進めようっと!
職場ひとつとっても、若い子もいれば、60歳オーバーの方もいる。
60歳を老人だとして、30歳ならあと30年、40歳ならあと20年か。
1日1日が結構大変な日々もあるけれど、1年なんて過ぎてみるとあっという間。
今、ラーマクリシュナの本は、コタムリト(不滅の言葉)の3巻目を
読み始めた所です。
ラーマクリシュナの言葉の中に、マンゴーの実を取りに来たなら、
マンゴーの木の枝の数を数えたり、葉っぱの数を数えたりしていても
何も得られないのだから、目の前のマンゴーの実だけ取ってそれを味わえば、
それでいいんだよ、という例え話をよくされる。
世の中には、ホントにいろんなものが、たくさんあって、
本にしたって、大きな本屋に何万冊の本があったら、
そこから自分に必要だと思える1冊を見付ける…それは、識別と選択だ。
何万とあるCD屋さんから、CD1枚選ぶにしても同じ。
歌手やアーティストだって、それが趣味なら、いくつも追っかけてもいいけど、
そんなに暇な人ではになら、一人を選んで追っかけるとか。
まあ、今自分は追っかけてるようなアーティストというのはいないけれど。
あれこれと手を出しているのは、マンゴーの例えにすれば、
枝や葉っぱを数えて、ちょっとかじってみるようなもの。
まあ、そんな時期や時間も、たいていの人の人生にはあるものだろうけど。
でも、人生で、ホントに実のあるものを掴もうと思ったら、
何万、何十万とある枝葉を数えてるだけで終わる人生より、
「これだ!」って思うものに、集中している人のが、実りある人生になる気がする。
いろんな人を見てきたけれど、あまりたくさんの物に意識や感覚を、
ちらしていると、広く浅くでは、自分の深い部分にほとんど何も残らない。
まして、仕事や、家庭などがある人にとっては、自由な時間だって限られている。
ホントに、自分にとってのマンゴーの実が何かを識別、選択して、
マンゴーの実を取ることに向かわないと、人生なんて振り返れば、
あっという間に過ぎ去って、気付けば、老人になっていたなんてことになり兼ねない。
私は今はとりあえず、ラーマクリシュナのコタムリトの3巻を読み進めようっと!
南国の村に憧れる。
日本列島は厳しい寒さ、北海道や日本海側は大変そう。
唐突だけど、いつか南国に住みたい。
こう寒くなると、暖かいものを思い浮かべる。
親族に中国でずっと小学校で先生をしている、
3つくらい年上の姉さん(血は繋がってない)がいるのだけど、
最後に泊まらせてもらったのは、2年半程前。
塾に行けなかったり、家庭に事情のなる教え子たちを、
自分の家で3~4人預かっていて、愛情深い母のような姉さん。
娘のリナちゃんは、今、アメリカの大学院に留学中なのだけど。
あの愛情の溢れている家で、寝泊りしている時は、
ホントに気持ちが暖かかくなったなあ。
今の世の中、何をするにもお金みたいな、
経済社会に成り下がっていってる気がする。
勤務先の駅の改札では、夜になると、「ガールズバーです!」と
女の子たちがお客さんを探しているけれど、
誰かと一緒の時間を過ごすのにも、お金を取る世の中というか…。
人が人と合う、
人と人が何気ない話をするのにも、お金、お金って、
お金なしじゃ成り立っていくようになったら、世も末だな、と思う。
人と人って、そんなもんじゃなかったはずだ。
少しカッコイイ、あるいはかわいい若者は、若い時はチヤホヤされるけど、
そんな人だって、壮年、老年になれば、状況は変わっていくのにね。
自分はいつか、南国の村みたいな、家の中も、家の外の人々も、
暖かい場所で暮らしたいなって思う。
もうすぐ同居人が我が家にやって来るけれど、少し遅れて年末か来年初めかな?
もっと本来あるべき人と人の暮らしに向かっていくべきだと思うし、
そのためには、いずれは、思い切って、南国や田舎に引っ越すことも考えたい。
唐突だけど、いつか南国に住みたい。
こう寒くなると、暖かいものを思い浮かべる。
親族に中国でずっと小学校で先生をしている、
3つくらい年上の姉さん(血は繋がってない)がいるのだけど、
最後に泊まらせてもらったのは、2年半程前。
塾に行けなかったり、家庭に事情のなる教え子たちを、
自分の家で3~4人預かっていて、愛情深い母のような姉さん。
娘のリナちゃんは、今、アメリカの大学院に留学中なのだけど。
あの愛情の溢れている家で、寝泊りしている時は、
ホントに気持ちが暖かかくなったなあ。
今の世の中、何をするにもお金みたいな、
経済社会に成り下がっていってる気がする。
勤務先の駅の改札では、夜になると、「ガールズバーです!」と
女の子たちがお客さんを探しているけれど、
誰かと一緒の時間を過ごすのにも、お金を取る世の中というか…。
人が人と合う、
人と人が何気ない話をするのにも、お金、お金って、
お金なしじゃ成り立っていくようになったら、世も末だな、と思う。
人と人って、そんなもんじゃなかったはずだ。
少しカッコイイ、あるいはかわいい若者は、若い時はチヤホヤされるけど、
そんな人だって、壮年、老年になれば、状況は変わっていくのにね。
自分はいつか、南国の村みたいな、家の中も、家の外の人々も、
暖かい場所で暮らしたいなって思う。
もうすぐ同居人が我が家にやって来るけれど、少し遅れて年末か来年初めかな?
もっと本来あるべき人と人の暮らしに向かっていくべきだと思うし、
そのためには、いずれは、思い切って、南国や田舎に引っ越すことも考えたい。