まいぱーそなる武士道めいびー -10ページ目

ギーターをいくらか経験できたのか。

同居人は、温泉屋さん夫妻との食事に出掛け、温泉屋さんで働くことにほぼ決まりそう。

自分に対する当たりは、厳しいものがある、他に当たれる人が身近にいないからか?

昨日は、同居人がいつも寝そべってグータラしてるソファを撤去した。


こんなもんがあるから、寝てるか起きてるかわからんみたいにくつろぎ過ぎて、

人としての態度を堕落させる要因になるんだと思って、ソファーを物置にぶち込んだ。


仕事は、5勤あろ1休あったものの、また3連勤中、少しヘトヘト。

人道的だと思ってやったことが、警察さんに手伝ってもらって何とか解決した。

それで、いろいろ非難されたり、皮肉な目で見られているのを感じたり。


称賛を受けるか、罵声を浴びるか。

まごころでやったことでも、結果オーライになるか、優しさを裏切られるか。


ギーターでは、結果を全て神に捧げて、成功や失敗、賞賛や避難などに、

心を奪われず、ただ神に捧げて行動してれば不安や恐怖のない境地が描かれていて、

自分は正しいことをして、結果が人間が一番恐れる「死」を受け入れるとしても、

まあ、それもいいだろう。 捨身して次の身体に移るだけのこと、と思える。


しかしこの様な境地に達しようとせず、仕事に縛られれば、

仕事で衣食住の生活を成り立たせている人にとっては、恐怖と不安だらけ。

なので、そんな範囲でしか、人を評価したり、非難したりしているだけで、

恐怖と不安の中で、ごまかしごまかし生きている程度なのだと思う。

それは侮辱的な気持ちではない、自分もかつてそうだったのだし。

ただ、今は、ハリ(クリシュナ、至上神(バガヴァーン)のこと)に結果を

委ねられる。 別にいつ生きるとか、いつ死ぬなんて、

小さい自分、自我、エゴという世界の中の出来事でしかないと感じる。


称賛されようと、非難されようと、すべてをハリに委ねて、堂々と受け入れて、

どちらも大差ないと思える境地になっていけてこそ、いくらかの進歩だと思う。


さあ、またギーターを読んで、もっと前進して行きたい。


犬の気持ちが少しわかった。

残業2時間の11時間勤務を終えて、朝寝ていると、

ヨガマットで、ほぼ床寝している自分の近くで、

ソファーの上に座った同居人が、黒糖かりんとうをバリバリ食うこと約1時間…。

「そんなもん食べてるから、痩せないんだよ!」と思いつつも、言葉には出せない。


床下で、上から聴こえてくる、かりんとうを食う音や、床を歩く音を聞いてると、

自分が犬になったような気持ちになった。

犬って、きっとこういう位置関係で音を聞いているんだろうなと…。


そんな同居人は、今日は秋葉原に仕事の面接に行っている。

勤務地は池袋とか…ちょっと、家からは遠いとこだけど。。


まあ、早く仕事を見付けて、働きたいって気持ちは、えらいと思うけどさ。

かりんとうを食う音で寝つけずにいて、いざ面接に出掛けるという時、

さすがの僕も一言言ったね!!

「これで、Suicaにチャージしてきなよ」と、そして3千円を差し出す私。。(笑)


同居人は「ありがとう」と喜んでいたけども、

現生(現金)をもらった時の「ありがとう」が一番心がこもっている気がする…。


まあ、早く仕事が決まって一段落してくれればよいのだけれど。。


瞑想の必要性を痛感。


うーむ、あれこれと、あまり自分を向上させるための時間が取れていない。

意識の低い夢を見た。

人間の底辺くらいの意識、神様のいない人間世界的な…。


そこは学校の教室だったけど、みんなが掃除しないで放置している所を掃除し始めた。

ゴキブリの死骸とかあって、何年掃除してないんだっていう排水溝みたいな所を…。


空き時間に少しだけでもと、ラーマクリシュナやアンマの本を読んではいたけれど、

つくづく読書だけではダメだと痛感した。


読むこと、聞くこと、あるいはそれを話したところで、

録音して再生するテープレコーダーだって、それくらいのことは出来る。

忘れやすいという点では、テープレコーダーより劣る。


アンマの本でよくアンマが学者や教授タイプの人に言われていることは、

瞑想して自分で体験していかなければ、テープレコーダーとあまり変わらないと。


瞑想しないと、ヨーガで言うスシュムナー管などは少しずつ汚れて詰まってきて、

エネルギー(意識みたいな)も下のチャクラ落ちて、下のチャクラに固定されていく。


ラーマクリシュナが、よく言う「女や金…」(女性蔑視の意味ではない)だと、

性欲に翻弄されてるようだと、おへその下あたりのチャクラ、低い意識。

お金や食べ物に翻弄されてるようだと、おへそあたり。


同居人の女性とは、男女関係みたいなのは一切ないのだけれど、

それでも気付かないうちに、深い意識では、気を付けないと下に落ちやすい。


同居人はさっき出掛けて、知り合いと、さらにその知り合いの温泉屋さんの社長さんと

食事&その温泉屋さんでバイトするかの話をしてくるそうな。。


話はそれたが、自分がこんな意識の低いレベルで生きて、そのうち死んだとして、

人間として生まれた意義を全うできないと、ひしひしと思った。

せめて、胸(アナハタ)以上に意識がある生き方と死に方をしないと。


ここで言ってる意識とは、起きている時の表面的な意識というより、深い意識のこと。

誰でも起きている時の表面的な意識はそんなに変わっていないようでいても、

深い意識の方は、少し瞑想しないでいると、すぐに落ちていきやすいと改めて痛感した。。