「ふぁ…。」
渡り廊下。
盛大な欠伸をするシンを、チェギョンはじっと見上げた。
婚姻の儀間近の2人が顔を合わす事が出来る学校での昼休み。
公務やなんだで昨日休んだシンと会うのは2日ぶり。
1日会っていないだけなのに、今日会える事が嬉しくて、急いでお昼を食べ終えて、教室まで迎えに来てくれるシンをウキウキして待っていたチェギョンは、目の前で片手をズボンのポケットに入れ、もう片方の手で口元を覆うシンを不機嫌そうに見上げた。
「あ…悪い。」
「…どうかしたの?さっきからずーっと欠伸連発。昨日も遅かったの?」
「あー…いや、まぁそんなところだ。」
じっと自分を見上げる不機嫌そうなチェギョンの視線に耐えきれず、シンは口元を覆っていた手を手すりにかけ、そっと顔を逸らした。
どんなに公務で寝るのが遅くなっても、ここまで欠伸を連発する姿は今まで見たことがない。
相当昨日の疲れがたまっているのか。
自分と一緒にいてつまらないか。
そのどちらかだ。
そう思うチェギョンの表情は、不機嫌なそれから物悲しげなそれへと変わった。
「…チェギョン?」
「つまらないなら、無理しなくていいよ。」
「…え?…何が?」
「貴重な昼休み、無理して来なくていい。」
チェギョンのその言葉に、なかなか会えない今、ここが唯一チェギョンと会える場所であることに改めて気づく。
「そうじゃない、そうじゃないんだ。…ごめん、チェギョン。」
「…本当に、無理しなくていい。」
自分を見上げるチェギョンの瞳が僅かに滲み始めている。
それに申し訳なさを感じながら、シンは自分の胸の内をチェギョンに伝えるべく口を開いた。
「…もう来るなって言われても、俺は会いに行く。」
「………。」
「昨日の就寝がどんなに遅くなっても、身体が疲れ果ていても、俺が会いたいから。俺がチェギョンに会いたいから、だから会いに行く。」
シンのその言葉に、睨み上げるようだったその瞳がふっと力をなくし揺らめき始めると、チェギョンはそれを隠すように顔を背けた。
「ごめんな。昨日、ちょっと慣れないことをしたから。本当に悪かった。」
そっとチェギョンの頭を撫でたその手は、再び手すりへと置かれると。
「…カットバン。」
チェギョンは、もうひとつ、先ほどから気になって仕方のない目の前のシンの左手の人差指の先に巻かれているカットバンを指先で突いた。
まるでひどく驚いたようにその手をひっこめ、慌てたようにそれをポケットへ隠すように入れた。
「…シン君?」
何を隠してるの?
そう問いかけてくるチェギョンの瞳。
「ちょっとな…、昨日、慣れないことしたって言っただろう。…擦り剥いただけだ。」
「…擦り剥いた?…どうやって?…ねぇコン内官おじさんは知ってるの?シン君の身体に何かあったら大騒ぎでしょう?」
知ってるも何も…。
コン内官の目の前でやったことだから、知ってるに決まっている。
そう言いたいけれど言えない事情。
自分が幼いころから願っていた夢を実現するため。
そして。
-憧れないと言ったら嘘になる-
そういつかチェギョンが言った、あの言葉のため。
そのためだから今はまだこの理由はチェギョンには言えない。
後ろめたい思いを隠すように、シンは手すりに背中を預けチェギョンから僅かに身体を逸らした。
シンとチェギョンの指のサイズに調整されたその指輪が2人の手元にやってきた日。
それは皇太后から指輪を譲り受けてほんの2~3日後のことだった。
王室からの注文に、何よりも優先的にそのリングの調整をしたに違いない。
届けるよう指定されたその日は、シンとチェギョンが揃ってマスコミら広報用の写真撮影を行う日だった。
婚礼衣装を纏い、指輪をはめての写真撮影を行うそのために。
重いだなんだと言いながらも、王妃のみが着ることのできるチョグイと呼ばれる色鮮やかな大礼服を身にまとったチェギョンはとても美しく、撮影を担当するイム・ジョンウやチェギョンの手を取り撮影を行う部屋まで付き添った内人達も息を飲むほど。
当然ながら、隣に立つシンもチェギョンのその姿に思わず見惚れてしまっていた。
「なんか嬉しいね。」
夫婦としての正式な指輪の交換はまだ先だけれど、指輪をはめての撮影のため、指にはめる際もお互いの薬指にそっと指輪を通した。
意味もなく緊張してしまったシンに気づいているのか、いないのか、チェギョンはそう無邪気に笑う。
シンの手によりはめられた指輪を光にかざすように、そっと自分の目線より上にあげて幸せそうに笑うその姿に、シンも同じようにチェギョンの手によってはめられた指輪を見つめた。
祖父と祖母の愛の歴史、それを自分達が受け継ぐ。
祖父と祖母以上に愛に満ちたこれからを自分達は歩いていく。
そう改めて決意するように。
いつものように「とても素敵です、チェギョン様。」「お綺麗です、チェギョン様。」とシャッターを押すたびに口にするジョンウに僅かな、いやかなりの苛立ちをシンは感じながらも、隣に立つその人の姿をまともに見ることができないでいた。
毎日と言っていいほど見ているその人は、婚姻の儀まで2週間を切り、夢の実現が目前に迫っているせいか、今日はひどく美しく見えた。
そして衣装を変えての撮影。
チェギョンは煌びやかな刺繍の施されたタンウィを纏い、シンは数年前同じような広報用の写真撮影でチェギョンが見惚れた、僅かに臙脂がかった赤色の胸元に金の刺繍が施された韓服を纏い、頭には黒い冠帽を乗せた姿で、同じようにジョンウ指示のもとようやく撮影を終えた。
「お疲れ様でございました。」
ジョンウからのその言葉に、寄り添って立っていたチェギョンが大きく息を吐きだすのが分かった。
それに思わず視線を向けたシンに、チェギョンは「あ、ごめん。」と苦笑を返す。
一般の結婚式でも相当な労力を使うと言うが、それが国婚の形式で盛大に行われるとなれば、その手順など相当なものだ。
一般の結婚式のように自ら提案して行う結婚式とは全く違う、我が国伝統の儀式。
その手順等を頭に入れるだけでも相当な苦労を要するはずなのに、こうして婚姻の儀に向けて行われる写真撮影など、それ以外にもしければならないことがたくさんある。
自分はそういったものに慣れてはいるけれど、それでも身体は悲鳴を上げそうになる。
そんな状態で、いくら宮に幼いころから出入りして、そういったものを理解していても一般家庭に育ったチェギョンにはかなり身体への負担はあるだろう。
でも、そんなことは微塵も感じさせず、ただ前を見て、1日1日と近づいてくる夢が叶うその日のため、大きな瞳は輝きを失うどころか一層輝きを増しつつあった。
「なんだか疲れちゃった…。これで終わりだし、ちょっと東宮殿でゆっくりしてもいい?」
慣れないタンウィのせいか肩がこると、右肩を左手の拳で叩きながら扉口に向かって歩き出した時。
絶妙のタイミングでヘミョンが現れた。
「お疲れ様、チェギョン。」
「あ、お姉様、ようやく終わったところです。ちょっと着替えてきますね。」
「ええ、着替えてちょうだい。…これに。」
小さく頭を下げて自分の前を通り過ぎようとしたチェギョンに、ヘミョンは手に抱えていた真っ白なものを差し出した。
「…なんですか?これ。」
唐突に差し出されたそれに、チェギョンはきょとんとして見つめた。
真っ白なそのものは。
ヘミョンの手によりそっと掲げられた。
「…あ…」
息を飲む小さな声、それが漏れないようにかチェギョンが両手で口元を押さえた。
そこに広がるのは、真っ白な真っ白なウェディングドレス。
そう、2人が初めて出会った時に舞っていた真っ白な初雪にも負けない、純白のウェディングドレス。
「…どうして…?」
掠れて震えた声が、チェギョンの想いを表しているようで、ヘミョンは嬉しそうに満足そうに微笑んだ。
「皆で縫ったの。チェギョンのために。」
「…え?」
信じられないと言った表情で、ヘミョンを見つめるチェギョンの瞳は揺れ始め、それをみていたヘミョンはサプライズ成功とばかりに嬉しそうに笑みを深くすると、扉口に視線を向けた。