「散る桜のこる桜も散る桜」
三分咲き、とか七分咲き、などの表現があるとすれば今日の桜は七分散り。
まだまだ残ったさくらも、青空に映えて美しい。
しかし、明日の嵐で全て散ってしまうだろう。
華の命は短い。
若さ美しさを競う行き交う彼氏、彼女たちも儚く散るのだ。
年寄りの羨望か。
自宅近くの大学のキャンパスの桜。
桜の木の下いつもの椅子に座ると、柔らかい日差しに輝く小さな桜の花びらが音もなく風に舞う。
桜吹雪という程ではないが、サラサラと降りつづく。
少し前「ホーキング、宇宙を語る」の中で紹介された、「人間原理」。
人里離れた山中に咲く可憐な花。
人しれず咲き、散ってゆく花は存在したのだろうか。
人間が見、認識してはじめて存在したと言えるのではないか。
無限無数の宇宙が誕生しその存在を認識する者がいてはじめて存在したと言えるのではないか。
生命が誕生するのに余りにも都合のいい物理定数。
これは、偶然では無くその状態だからこそ知性が宇宙を認識したのだ。
「我思う、ゆえに我あり」(デカルト)
目の前を歩いてる美しい彼女も私が美しいと認識したから美しいのであって美しい彼女が客観的に存在するのでは無いのだ。
例えば、七色に輝く色も、物理的には電磁波の波長の違いであって客観的な存在では無く観念なのだ。
音も音楽も然り、認識者人間を離れては存在しない。
iPhoneからの投稿
