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日常に即した散文詩。

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 将来の自分と、生来の自分。
 その2つを量りにかけて、未来を選ぶ。

 
 同じ大学でも、学科が違うと滅多に会わない友人がいる。
 今日、食堂で3年振りに油絵学科の友人に会った。 
 1年生の頃とは見違えるほど成長した彼女は、
 今は教員を目指しているそうだ。

 「人の手本になりたいんだよね」

 と、彼女は真顔で言うのだった。
 人の道を説く仕事=教師だと思っている彼女は、
 生徒のうち、誰がいつ自分を見ても良いように、
 自分を磨いているそうだ。

 「抱負ばっかりあっても、教員試験に受からないとね」
 と笑いながらも、明確な理念を話すその姿には、
 思わずこちらも身を乗り出すほどの瑞々しさに溢れていた。
 
 現代日本で「酷い」と言えば、教育現場と経済。
 彼女が教育現場の惨状と打開策を語る中で、
 私は知ったかぶりの経済の心もとない知識と理想論で応戦していた。
 私と彼女、2人しかこの世にいなかったら、
 先に状況が良くなるのは教育現場の方だと思う。

 「青二才」「若造」心ない言葉で彼女を形容するのは簡単だろう。
 しかし、明らかな理想を語れる若者が、
 不正解になる世の中はもったいない。
 なんだか良く解らないけれど、
 とりあえず私も頑張ろうと思うのだった。
 今日、葵プロモーションの全社ミーティングがUst中継されていた。
 たぶん、「前々から準備してました」というより、
 誰かがUstに関心を持った後、
 凄い速度で実現まで至った企画だったのだと思う。
 若さを感じた。

 さて、就職活動をしていて思ったことは、
 『ご縁』という言葉。
 「憎まれっ子世に憚る」とは言うけれど、
 やっぱり人から憎まれたり、あるいは憎みまくっている人は、
 就職口にもご縁が無いような気がする。
 就活を通して学んだことは、
 やはり企業は「人」で出来ているということ。
 入社基準は見えないけれど、
 落ちた面接を振り返ればやはり、人としてまずい言動をしている。
 受かった面接を振り返れば、人として素敵な振る舞いが出来ていたように思う。
 
 今日より明日、明日より明後日。
 「自分磨き」なんて安直な言葉を当てはめたくはないけれど、
 出来るだけ他者に晒しても恥ずかしくない自分でいたいと思う。
 芝居で嘘をついているのは、筋書きだけである。
 舞台上の役者は本職をこなし、
 客席の観客は代金を払って芝居を楽しんでいるだけだ。
 「虚の空間」と称されるが、
 実は全てが即物的な現実と真実である劇場の中で、
 「筋書き」という一点のみが高純度な嘘なのだ。
 その数は、劇場の外の現実社会よりも、圧倒的に少ないのかもしれない。

 「演劇鑑賞が趣味で、高校時代にやってました」
 と、ある小売業の面接で言った。
 面接官に「そのエピソードを我が社で活かせますか?」と訊かれたので、
 私は滔々と量販店の人員配置・店舗デザインと、
 演劇における空間設計が如何に似ているかを話した。
 そして「“お客様を迎える”という点では、どちらも同じです」と締めた。
 その論理性に面接官は納得していたが、実はこれは私の嘘。結論が嘘。
 「“お客様を迎える”という点では、どちらも同じです」がダウトで、
 そもそも迎えるお客様の性質が本質的に違う。

 量販店のお客様は、無料で店舗に入場して気に入った物があれば買う。
 量販店のお客様には、誰でもなれる。
 劇場のお客様は、
 チケット争奪戦に勝利し代金を払い芝居の時間を空けて、ようやく劇場に入ることができる。
 劇場のお客様には、誰でもなれるわけではない。
 
 先日、ラーメンズ小林賢太郎LivePotsunen『spot』を観た。
 天才の美意識に満ちた劇場で、
 甘美な完璧主義に絡めとられる。
 この緻密で高尚な計算を堪能できるのも、
 客席を得たある限られた人のみである。

 そして、面接と劇場で似ているのは、
 お客様を「迎える」点ではなく、お客様に「なる」点だ。

 人気な芝居ほど、その客になるのは難しい。
 人気な業種ほど、その席を得るのは難しい。
 ただ、どちらもその世界に入りさえすれば、豊かな経験が待っている。
 違いは、仕事を「観る」のか、「する」のかだろう。
 
 世田谷パブリックシアターで『なにわバタフライverⅡ』を観る。
 戸田恵子の一人芝居。三谷幸喜演出・脚本。
 ミヤコ蝶々さんの人生を元にした物語。

 たいへん素晴らしかったし、斬新な舞台であった。
 特に戸田恵子さんが「相手」を見立てて話す芝居が、
 とても良かった。
 舞台でしか、できないことだらけで、
 とても魅力的な2時間だった。
 小林賢太郎spot』を鑑賞。
 初potsunen。

 あれほど美意識に満ちた空間には、
 そう巡り会えない。
 完璧な計算と騙される快楽、
 思わず逃げ出したくなるような緻密な演出構成に、
 椅子に縛り付けられたままの私は、
 「あぁ、小林さんに、完全に呑まれてる」と思った。

 始めこそ舞台を「観察」していたけれど、
 途中から感情がこなれて、舞台に神経が一体化してしまった。
 引き込まれた。
 彼の手にかかると、
 物質も「存在」しているのではなく、「表示」されているように見える。