就職活動と芝居 | structure

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日常に即した散文詩。

 芝居で嘘をついているのは、筋書きだけである。
 舞台上の役者は本職をこなし、
 客席の観客は代金を払って芝居を楽しんでいるだけだ。
 「虚の空間」と称されるが、
 実は全てが即物的な現実と真実である劇場の中で、
 「筋書き」という一点のみが高純度な嘘なのだ。
 その数は、劇場の外の現実社会よりも、圧倒的に少ないのかもしれない。

 「演劇鑑賞が趣味で、高校時代にやってました」
 と、ある小売業の面接で言った。
 面接官に「そのエピソードを我が社で活かせますか?」と訊かれたので、
 私は滔々と量販店の人員配置・店舗デザインと、
 演劇における空間設計が如何に似ているかを話した。
 そして「“お客様を迎える”という点では、どちらも同じです」と締めた。
 その論理性に面接官は納得していたが、実はこれは私の嘘。結論が嘘。
 「“お客様を迎える”という点では、どちらも同じです」がダウトで、
 そもそも迎えるお客様の性質が本質的に違う。

 量販店のお客様は、無料で店舗に入場して気に入った物があれば買う。
 量販店のお客様には、誰でもなれる。
 劇場のお客様は、
 チケット争奪戦に勝利し代金を払い芝居の時間を空けて、ようやく劇場に入ることができる。
 劇場のお客様には、誰でもなれるわけではない。
 
 先日、ラーメンズ小林賢太郎LivePotsunen『spot』を観た。
 天才の美意識に満ちた劇場で、
 甘美な完璧主義に絡めとられる。
 この緻密で高尚な計算を堪能できるのも、
 客席を得たある限られた人のみである。

 そして、面接と劇場で似ているのは、
 お客様を「迎える」点ではなく、お客様に「なる」点だ。

 人気な芝居ほど、その客になるのは難しい。
 人気な業種ほど、その席を得るのは難しい。
 ただ、どちらもその世界に入りさえすれば、豊かな経験が待っている。
 違いは、仕事を「観る」のか、「する」のかだろう。