芸術は長し、人生は短し。

芸術作品はずっと残るが、人の一生は短い・・という意味で使われますね。

全くそのとおりで、優れた作品は残り、さらに新たな才能が続々と登場するから優れた作品は増える一方です。

他方で、人生は短く、優れた作品と触れる時間は砂時計が落ちるように目減りしています。

 

今週、来週と東京にいない時間が多く、東京にいないということはCDを聴けず、コンサートもあまり行けずというこことになります。

 

出張の移動中の新幹線の中でもイヤフォンで聴けるじゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、数年前に人間ドックで高音域に聴こえない領域があると指摘されて以来イヤフォンはやめました。

医師に指摘されたとき思わず返した言葉は、

「先生、今の私の耳で聴こえているオーケストラの音は、私が中高生の頃に聴いていたオーケストラの音とは別のものということなんですか??」

という言葉でした。

「確実に違う音になってますよ。ただ変化は徐々にだから自分では気付きませんけどね」

と医師。

これはかなりショックでした。

ホールに響くオケの全部が聴こえているわけではなく、音色もきっと違っているのだろうなぁ・・・と思うと悲しかったです。

 

耳のためにオーディオセットで聴くのが常なので、ホテル泊のときのパソコンで聴く音楽はなんとも・・・です。

でも、「飢餓状態になるとなんでも美味しい」ではないですが、パソコンでしか聴けないときに、先日記したようにカラヤン&ウィーンフィルのアイーダ全曲をパソコンで聴けたときは至福の時間でした。

 

さて、冒頭の「芸術作品はずっと残る」ですが、例えば、ベートーヴェンの作品は既に200年以上の時間にもまれても残るどころか新録音も出続けているため、枝葉は年々伸び続けています。

毎年素晴らしい新譜が続々リリースされ、既にリリースされた旧譜も気に入ったものは何度聴いても色褪せることはありません。

 

芸術は残るが、人生は短い結果、聴きたい音楽が聴ける時間は、自分を起点に考えても既に60年超過ぎてしまい、リミットは厚労省発表の平均寿命に照らすと残りは20年そこそこです。

 

こんなことをふと思ったのは、昨日で9月も終わりで、例年同様、これからあっという間に年末になることがわかりきっているからです。

暮れにサントリーで第九を聴きながら「今年も早かったなぁ・・」と感じている自分が今から見えるようです。

 

たくさんの聴きたい音楽、観たい映画、読みたい本、育てたいバラ、妻との旅・・・等々、やりたいことは無限にあるのに人生は短すぎます。妻と私、そしてバラは寿命がありますが、音楽と映画と本は「長し」(≒永遠)ですからね。

 

あまりにありきたりのエンディングで恐縮ですが、やっぱりもう「無駄な時間は使えない」ということです。

若い頃は、くだらないことで笑い転げて朝まで飲んだり、といったこともありましたし、その価値は認めますが、もうそんなもったいないこととてもできません。

 

永遠の命を持つ芸術と少しでも長い時間接していたいです。

 

私は死ぬのが何が悲しいって、私の鼓膜が振動してもその振動が脳に伝わらなくなることと、

妻との時間が止まってしまうことです。

 

生まれて何がラッキーだったかというと「ベートーヴェンたちの後に生まれたこと」です。

ベートーヴェンの前に生きた人々は英雄もピアノソナタ32番も知らなかったのです。

 

だからこそ、バッハやベートヴェンの後に生を受けたこと、立派なホールの数々や媒体(CD)が出来た頃に生まれたことに感謝して音楽を聴くことに時間をあてたいです。

 

Art is long and life is short・・・

命に限りがあるからこそ、芸術に触れたり、人との出会いの一期一会がより深みを持つのかもしれません。

これは昨日の写メですが、こんな風にあちこち飛び回っているうちに一年があっという間に過ぎていきます・・・