指揮:鈴木優人
ヴァイオリン:イザベル・ファウスト
NHK交響楽団
 
ウェーベルン:パッサカリア Op. 1
シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲 Op. 36
J. S. バッハ/ウェーベルン編:リチェルカータ
シューベルト:交響曲第5番 変ロ長調 D. 485
 
今日のコンサートはずっと前からかなり楽しみにしてました。
何が楽しみだったかというとプログラムです。
 
ウィーン楽派を「疲れる」という人がいますが、私が30代の頃に「シェーンベルクを疲れているときに聴くと疲れがとれる」と言う人がいて妙に納得した記憶があります。
たしかに疲れているときにウィーン楽派は効きます。少なくとも私には。
 
とても楽しみにしていたのですが、あやうく今日のコンサートを聴き逃すところでした。
というのも月曜にブルーノートではめを外して楽しい時間を過ごした翌日の火曜から今日の夕刻までかけて、非常に根をつめた仕事をやり遂げて、自分にご苦労さんというモードで「さあ家に帰るか」となったからです。
仕事の達成感であとは家に帰るだけモードになり、コンサートのことなど吹っ飛んでいました。
 
実は数年前に夕刻に仕事をやり終えた達成感で大事なコンサートを忘れて帰宅してしまったことがあります。すみだトリフォニーで催されたトッド・ラングレンのコンサートです。
家に帰ってから気付きましたが、その時点でホールに向かってももうコンサートが終わる頃なので諦めました。
 
今日も仕事場のベランダの観葉植物に水やりをして「さて帰るぞ」と思った矢先にデスクのチケット箱に今日付けのチケットがあることに気付き「危ない、危ない」というところでした。
 
さて、コンサートはというと、期待に違わぬ、曲も演奏も素晴らしい一夜でした。
私は鈴木さんの指揮は初めてですが、勝手に古楽器的なアプローチの方だと思い込んでいました。
 
とても面白いと思ったのはシェーンベルクは後期ロマン派に引き寄せて、シューベルトもロマン派から後期ロマン派に引き寄せるような演奏だった点です。
 
シェーンベルクは無機質というより後期ロマン派の中でも爛熟したロマンシズムあふれる・・・というより滴り落ちるような演奏でとても濃厚な味付けでした。
この土台にイザベル・ファウストが乗っかるわけですから面白くないはずがありません。
 
シェーンベルクと同じくウィーン楽派のアルバン・ベルクの音楽の中には血が滴るような、例えばエゴン・シーレの乾いた赤が黒っぽくなったような色音を感じることがあります。ヴォツェックにはそういう箇所が随所にあります。
 
余談ながらクリスチャン・ゲルハーヘルのヴォツェックのBlu-rayを妻と視聴したときに妻はゲルハーヘルの歌がどうのこうのというより筋書きに不快感あらわでした。
「そうじゃないんだよなぁ」と私は思うのですが、私の友人にモーッツアルトのコシファンを薦めて終演後にホールから出て来た友人は台本に怒っていました。
つくづく感じ方は人それぞれなんだなぁと感じたところです。
 
話は戻って、今日のシェーンベルクですが、血の色を感じるようなシェーンベルクは初めてでした。1936年の作品だそうですが、私にはもう少し時代が遡り後期ロマン派のスパイスがふんだんにかかった音楽に聴こえました。ちなみにヴォツェックは1922年の作品です。
 
シューベルトは、まずコントラバス奏者が6人並んだ段階で「えっ、そう来るの!」と少し驚きました。
出て来た音はロマン派ではなく後期ロマン派。
つまりシェーンベルクは時代が遡り、シューベルトは時代を進めた感じです。
弦のヴィブラートももちろんありました。
 
この5番がこれまたよかった。
随分前に「クラシック界を代表するメロディ―メーカーはドヴォルザークとシューベルトだ」という論考を読んだ記憶があり、それが通説なのか異説なのかはわかりませんが、このお二方の旋律美は素直に認めるところです。
その旋律美を、これでもかと濃厚に歌うわけですからいいに決まってます。
堪能しました。
 
火曜、水曜、木曜と燃え尽きる寸前まで働きましたが、働き終えた心地よい疲労を余裕ですっぽり包み込んでくれる音楽でした。
 
さあ、明日は金曜。
しっかり働いて、また週末のガーデナーに変身です。
先週植えたクロード・モネがどうなってるか楽しみです。
「ブルーノート東京」という投稿で触れた「カミーユ」(モネの奥様)が庭にあるんだから同じ庭にモネがいないのは可哀想だろうと思い仕入れたバラです。