エバンスを評して、グレン・グールドは「エバンスはジャズ界のスクリャービンだ」と語りました。

アルトール・ベネゲッティ・ミケランジェリは「エバンスは、ガブリエル・フォーレの音楽の理想的な解釈者であろう」と語りました。

 

エバンスは中学生の頃から聴いてます。

「ワルツ・フォー・デビー」のあのメロディ・・・ベースのスコット・ラファロが対旋律を奏でるあのシンプルだのに「これほどのメロディを創り出す美的センスのある人ってどんな人なの??」と思わせるあのメロディ・・・私はこの一曲でエバンスが大好きになりました。

 

後に「ポートレイト・イン・ジャズ」のジャケットを飾るエバンスの肖像画のような写真を見て「こういう端正な雰囲気を持つ人が創る音楽なんだ。納得。。」と思いました。

 

スコット・ラファロとドラムのポール・モチアンとエバンスが残したピアノトリオの録音は4枚です。

たった4枚です。

その4枚が60年以上経った今でもキラキラ輝き続けているんです。

全世界のピアニスト、ベーシスト、ドラマーのバイブルとなっているのです。

 

私は、ワルツ・フォー・デビーを聴いてから25年ほど経って、このアルバムが録音されたニューヨークのヴィレッジ・バンガードに行きました。

エバンスが亡くなって15年以上経っていました。

想像していたよりはるかにはるかに小さなジャズクラブでした。

こんな小さなクラブであんな奇跡のような音楽が創造されたんだと思うと胸が一杯になりました。

 

さて、先週の週末はワルツ・フォー・デビーを含むエバンスのリバーサイドレーベル時代の全録音を網羅したCDを聴いていたと先日記しました(ビル・エバンス(予告)という投稿)。

 

なぜエバンスのCDを引っ張りだしたかというと、最近、私の車の中でのべヴィロテとなっているウェザー・リポートのベーシストだったジャコ・パストリアスが、スコット・ラファロをそれほど評価していないという記事を読んだ記憶が蘇ったからです。

ざっと40年くらい前の記事です。

当時は(今もですが・・)、スコット・ラファロは「神」ですから、いかにスーパーベーシストのジャコとはいえ「不遜な奴だ」と感じました。

ただ20代の頃の私と、今の私では音楽の聴き方も変わっているはずです。

もう一度、ラファロのベースがどういうものだったのかを確認したくてエバンスのCDを取り出して聴いていたというわけです。

 

1960年のスーパーベーシストと1980年のスーパーベーシストを比較するのもナンセンスですが、今は、ジャコが「ラファロのことはそれほど・・・」というのは分からんでもないなぁと思いました。

 

1960年当時、ラファロのようなベースは誰も考えもしないようなベースでした。

今は、エバンストリオの後継者でもあるエディ・ゴメスをはじめ、多くのプレイヤーがラファロの影響を受け、そこから発展させています。

今日、仕事場でこのチック・コリアトリオ(ドラマーはエバンスの例の4枚のドラマーのモチアンです)のエバンスへのオマージュライブを流していましたが、何回も「あっ、ラファロじゃないんだ・・・ゴメスだったんだ」と思ったくらいです。

私はエディ・ゴメスの実演にも10回以上接しているにもかかわらず・・です。

 

ジャコのプレイも間違いなくラファロが土台にあります。

ラファロのプレイを吸収しつつジャコ独自の様々な革命を起こし続けた結果「俺は世界一のベースプレイヤー」と公言するジャコのプレイは、たしかにラファロの時代のプレイと較べると時空をワープしたのかと思うほどの進化があります。

だからといってラファロのプレイの価値は少しも減ずるものではありません。

週末にそれを再確認しました。

 

ビル・エバンスの最後のレコーディングは1980年8月31日から9月7日まで八日間にわたって行われたキイストーンコーナーでのライブです。

8枚のディスクに一夜ごとのセットが1枚ずつ入っています。

没したのが9月15日なので本当に亡くなる直前のレコーディングです。

私はリリースされて即購入していますが、実はラファロとモチアンとの先の4枚があまりに偉大すぎて、あの4枚に較べたらどうせ落ちるだろうという先入観から無意識のうちに流して聴いていたように思います。

また、亡くなる直前ゆえいろいろ衰えているだろな・・・とか。

 

週末に改めてリバーサイド時代のエバンスの凄さに触れ、昨日、一昨日の深夜にこの最晩年のライブの5枚目と1枚目を聴きました。

先入観の愚かさに気付かされました。

 

Amazonにオーダーしていた「ビル・エヴァンス・トリオ 最後の二年間」(草思社)も月曜の夜にポストに届いていたので半分ほど読みました。

著者は最後のトリオのドラマーのジョー・ラ・バーベラです。

この本も半分まで読んだ段階でモノを言うべきではないのかもしれませんが、圧倒されました。

この本は、高校生の頃、バークレー音楽大学への進学を選択肢の一つとして胸に秘めていた私にとって「身の程知らずにもほどがある」ことを知らしめ尽くす本でした(著者のバーベラはバークレーの出身です)。

当時、父親に「ジュリアード音楽院とバークレーどっちにしようか」なんて訊いていたくらいですから、高校生ながらにそれなりに真剣な選択肢だったのでしょう。

この本のことは完読した暁に、私がなぜ「身の程知らずを思い知らされたか」を含めてご紹介したいと思います。

 

ちなみに同書では17歳の時のジャコ・パストリアスの演奏についても触れています。

17歳の頃にロックの全国大会の地区予選でベストギタリストをとったくらいでバークレーに夢を馳せていた自身の愚かさを痛感しました(5月3日投稿のMateus Asatoをご参照ください)。

最近の言葉でいえば「レべチ」というやつですね。

 

仕事に向かうときに見上げる摩天楼

エバンスが活躍していたニューヨークの摩天楼はもっと重みがありました。

この摩天楼も歴史を経て重厚さを身に纏うようになるのでしょうか・・・