今日からクラシックコンサート3連チャンで、今日は第1弾のマーラー3番。

昨秋のカーチュン&日フィルの生涯忘れられない3番の感動がまた経験できたらよいなあ・・とサントリーに向かいました。

仕事が結構ギリまで押して、あたふたとホールに向かいました。

いつもならホール前の「今日のコンサート」パネルを写メして貼りますが、それすら失念するほどバタバタでホールに入りました。

実際、休憩なし100分のコンサートゆえ、開演は定時より遅らせるので結果大丈夫でした。

過去にシャイー&コンセルトへボウだと思いますが「ちょっと遅れても大丈夫だろう」と舐めていたら一曲目の武満さんの「弦楽のためのレクイエム」が聴けなかったというトラウマがあるので汗をかきかき神谷町からの坂をのぼりました。

 

そういいながら「これは!」というシーンに出会うと写メを撮ってしまうアホな自分がいます。

仕事場を18時45分頃に出て真っ直ぐホールに向かえばいいのに「おっ、これはスピルバーグの未知との遭遇を想起させる雲だ!」と思うや、立ち止まって写メ撮りしてました。先の不穏な雲の写真がそれです。

 

20代の頃はコニカのビックミニにフジフィルムのネオパンを入れてシャッター切りまくってたので、今でもその性は抜けません。ネオパンはヨドバシでベタ焼きにしてもらって気に入ったものを自分で焼いてました。

その頃を考えると、今のスマホでフィルム残量を気にしないで好きなだけ撮れて、気に入らなければ削除できるって私の20代から見ればSF(筒井康隆)の世界です。

 

本題のマーラー3番。

1楽章、あの混沌としたスコアを混沌とすることなく骨太にしっかりまとめました。

トロンボーンソロ、とてもカッコよかったです。野太い。

40年くらい前にノイマン&N響でこの曲をテレビで観たのが私の3番初体験です。

その時から、このトロンボーンソロには圧倒されました。

それまで私が聴いてきた交響曲で、トロンボーンがこれだけ延々とソロを吹く曲など初めてです。

今日も、初めて聴いたときの感動そのままでした。

 

2楽章は、全く余計なことですが、児童合唱団のメンバーの一部がバックステージの階段に座らされていて(1楽章の後にメゾとコーラスが入場しました)、最初気になって仕方なかったです。

20年くらい前に、たしかインバルのコンサートで曲は忘れましたが児童合唱団が階段に座らされて「可哀想だ」といった議論がちょっと出ましたが、私はやはり気になってしまいました。だって、バックステージの空席いくらでもあるんだから席に座らせてあげてもいいんじゃないの??と、私は思ってしまいます。

というわけで2楽章は集中しきれなかったです(途中でクッションらしきものに座っているように見えたので、これ以上考えるのは止めよう・・と思い、気持ちを切り替えました)。

 

3楽章は木管アンサンブル抜群でした。ポストホルン、日本のオケはドキドキしながら聴くことが多いのですが、もうそういう心配は不要なのかもしれません。最後の疾走も完璧に決まりました。

 

4楽章のメゾの方は存じ上げませんでしたが、深々としたとても響きのよい声が素晴らしかったです。

これまた理由は分かりませんが、私は伊原直子さんの4楽章が浸みついていて「o mensch!」の「sch!」をハッキリ歌う伊原さんの歌唱がどうしてもフラッシュバックしてしまい苦笑してしまいました。

若杉さん&都響の全集が今まさにいる仕事場にあったように記憶しています。

後で探します。たしか伊原さんが歌っていました。

 

やっぱり気になったので発掘しました。

ありました!

私は単売も持っていましたが散逸したものもあったので、たしか地方出張先のタワレコで見つけてダブリ覚悟で買った記憶があります。

中味を見たら、この中から既に数枚どこかにいってました。

3番もありませんでしたが、ネットで調べたら伊原さんでした。

友人が「これいいねえ!」と言ったら「持って帰って家でゆっくり聴いて」という癖のなせる業。

返してくれないのは私の人徳のなさ・・・

(私はこのチクルスも35年ほどまえに全曲サントリーで聴きました)

 

5楽章。気になっていた児童合唱団が幸せそうに歌っていて、まさに天使の合唱でした。

 

6楽章。音が出た瞬間に涙腺崩壊のカーチュン再び・・とはなりませんでしたが、丁寧に丁寧に20分ほどの時間をかけて天上から何か大きなものが降りてくる偉大な音楽を聴かせていただきました。

この「天上から何か大きなものが降りてくる」という表現は40年前のN響アワーのノイマンの3番の解説の方の表現です。

ノイマンの3番を聴きながら「解説どおりの音楽だ」と思いながら聴いていたのですが、実はその時はこけました。

終盤でフルートが強く美しいメロディを灰の中から芽吹くかのごとく奏でる場面があります。

今日、ウルっときました。

読響のフルートとオーボエ・・音だけで人を涙させます。

 

その後にトランペットとトロンボーンが弱音器をつけてアンサンブルするところがあります。

40年前のノイマンはここで崩壊してしまったのです・・・当時20歳そこそこの私が「えっ・・・プロなんですよね・・」と思うくらい・・・まあ酷かった・・・天上から何か大きなものが降りて来たのが霧散しました。

今日は完璧とは言いませんが、この難所をクリアして最後に「天上から何か偉大なもの」が降りてきました。

タクトがおりて、プレイヤーの皆さんがセクションごとに笑顔で「やったね!」感をあふれさせていたのも、こちらまで幸せな気持ちにさせていただきました。

素晴しいマーラー3番でした。

 

終演後、本当は会場に来ていたクラ友とワイン飲みながら感想戦のひとつもしたかったのですが、21時から仕事のアポが入っていたので仕事場へ。

コンサート後の仕事ですが、仕事も好きなので苦ではありません。

 

1時間の打合せを終えてメールを見たらクラ友から「感動しましたメール」。

彼は3番の実演初だそうで、これまでチャンスを逃してきたことの後悔が記されていました。

彼に電話して今日の感動をひとしきり伝え合ってから「今までの人生最高のマラ3なんだと思う?」と問うと「???」。

「みなとみらいで聴いたアバド&ベルリン」と伝えたら彼は言葉を失いました。

1998年10月22日。

もう25年前のことです。

彼はまだ高校生だったんじゃないかな??

「すっごい人と同時代に生きてるってそれ自体奇跡みたいなもんで、やっぱり聴けるときに聴かなきゃ。俺なんて、金、全然ないときからプライスレスの価値があると思ってバイトしてショルティやバーンスタイン行ったし、それは今となったらどんなに金があってもかなえられないことだからねぇ」

と先輩面してしまいました。

 

私が25歳の頃にショルティのマーラー5番を文化会館で聴いたのは、実は先輩からの一言にも肩を押されています。

先輩は、何かをやるときに「金がない、時間がない、という人は実はやる気がないんだよ」と私に言いました。

先輩が何か面白そうなことを教えてくれても「お金ないですから」といつも言ってました。

先輩の言葉がショルティ&シカゴのマーラー5番という奇跡に巡り合わせてくれたと思っています。

アドルフ・ハーゼスのトランペット、私は文化会館の5階のハジの席でしたが、ハーゼスのペットが目の前2メートルで、本当に2メートル前で聴こえました。

 

コンサートこそ・・・文字通りの一期一会なんです。

音は減衰して消えたら全て過去のものになります。

「そうは言っても、録音技術っていうものがあるから残せるよ」という声も聞こえます。

そのとおりです。

でもそれは旬の食材をそこで味わうのと冷凍したものを味わうのと似たようなものだと私には思えるのです。

 

ブーレーズ&ウィーンフィルのシマノフスキアルバムを聴きながらこのブログを書きました。

 

素晴らしい3番を聴かせていただいたマーラーとプレイヤーの皆様へ感謝。