カンヌ国際映画祭でパルムドール受賞の「落下の解剖学」を観てきました。

私にとって、カンヌ受賞うんぬんは選択に際してさして重要な要素ではありません。

今日の午前、たまたま仕事で、映画を年間200本は観るという友人と一緒だったので「あの転落しちゃう映画どうだろね?」と問うたら「観る価値あるよ」と彼が答えたのが決定打でした。

 

続けて彼は「『瞳をとじて』のBlu-ray、7月3日に出るよ。もう予約したよ」というので、相変わらず情弱な私は慌ててAmazonで予約した次第。

 

「瞳をとじて」以来、気に入って3度通った菊川のミニシアターstrangerで20時5分から上映なので、出先から五月晴れの街をウキウキで歩いて仕事場に戻りました。

今日のお昼過ぎの(12:56)の雲は造り物のように美しかったです。

 

劇場には上映10分前の20時ちょっと前に到着。

 

152分の長尺の映画ですが、169分の「瞳をとじて」で「長さの壁」が崩壊した私にとってはもはや何の問題もない長さの映画です。

もっとも、それは「瞳をとじて」が長さを感じさせない、あっという間に3時間近い時間を魅せきる映画だったということもあります。

 

「落下の解剖学」も長さを感じさせるものではありませんでした。

(以下、ネタバレはありません。)

 

「真実」を知るのは「神」のみで、「神」それ自体の存在が「真実」かどうかも一大テーマゆえ、ことによると「真実は神のみぞ知る」というのも、フィクションに過ぎず、「真実」を知る者は「真実に触れることができた(触れる立場にあった)その人(当事者)」しかいない・・ということになります。

 

私が今日観た映画について、4月下旬に公開された「正義の行方」のフィクション版(「正義の行方」はドキュメンタリーなのでノンフィクションです)といった評も目にしたことがあります。

私は「正義の行方」は未見ですが、タイトルは「真実の行方」ではなく「正義の行方」なのです。

捜査機関(警察・検察)の正義、弁護する人の正義、裁く人の正義、これらの「正義」と「真実」が必ずしも重ならないのが人の世の悲しさであり不条理です。

それぞれの立場の方々がかざす「正義」が、「真実」を尊重しない「立場に由来する正義」でないことを心から願うばかりです。

 

「冷たい熱帯魚」を劇場で観たときに、若いカップルの男性が終映後、死にそうになって劇場からフラフラになって出て来た彼女とおぼしき女性に「ごめんね。ごめんね。こんなのだと思わなかった。ごめんね」と謝り続けている場面に遭遇したことがあります。

彼女が精神的打撃を受けたことは、フラフラな様子からみて間違いありません。

しかも、あの映画の題材は実話(愛犬家殺人事件)ですから。

 

「冷たい熱帯魚」が(観る人の耐性によっては)与えるダメージは、グロテスクなシーンのダメージです。

「落下の解剖学」の与えるダメージ・・・ここでいう「ダメージ」は観た人の全てが受けるダメージという意味ではありません・・・は、グロテスクなシーンが与えるダメージとは全く別種のダメージで、私は結構こたえました。

 

この映画は、映画に「謎解き」を期待する人には、おそらく不完全燃焼になると思います。

でも、人間ってホント、わからないから。

メジャーリーグのスーパースターの通訳を担当していた人が今のような状況におかれることを想像できた人などこの世にいないわけです。

でも本人は「真実」を当然知っています(知っていました)。

「真実」はその人(当事者)しか分からないんです。

その人しか知らない「真実」をその人が認めていないとき、それを「真実」を直接経験していない裁判官と検察官と弁護士が喧々諤々やって、その人たちが「真実」と考えるものの中のどれかが「真実」になるわけです。

喧々諤々を経て「これだ」と決まった「真実」が、当事者であるその人が知っている「真実」と一致するときもあれば、一致しないときもあります。

それが「現実」です。

 

この映画は「法廷もの」といったくくりに入れる人もいるようですし、映画は公開された以降は「観る人のもの」になるので、受け止め方は各人各様ですが、(罪状を認めていない)人を人が裁くということの究極の難しさを描いた映画という見方もできるのかなぁと私は思っています。

 

この映画の不完全燃焼感は、本人にしか「真実」は分からない・・という現実をありのままに描いているからだと私は思います。

それを「綺麗ごと」で済ませていないという意味で誠実な映画だと思います。

映画鑑賞をしている私たちは主人公のサンドラではないから「真実」は永遠に分かりません。

「分からん??」というモヤモヤ感はリアルな人生そのものです。

すぐに答えが欲しい人には腹が立つ映画かもしれませんが、答えなんてそんな簡単に見つからないのがリアルな毎日です。

 

劇場を出ると23時前でした。

菊川駅前交差点は閑散としてました。

写メセンターの街燈の斜め右上の光は半月になろうとする三日月です。

 

これを書き中の音楽はエリーナ・ガランチャのシューマンとブラームスのLIEDER・・