昨日、カーチュン&日フィルの素晴らしいマーラー9番を聴いて帰宅するとHMVから宅配便が届いていました。
●ハイドン:交響曲全曲録音シリーズ第1集から第10集
ジョバンニ・アントニー二&バーゼル室内CO
●シューマン:ピアノ四重奏曲・五重奏曲 ファウスト、メルニコフら
●ブルックナー:交響曲第9番 ロト&ケルン
●ウィーンリサイタル:ユジャ・ワン
●ベルリン・フィルハーモニーホールでのピアノリサイタル:プレトニョフ
昨日のマーラー9番のブログ投稿を終えてからユジャ・ワンを聴いてみました。
プログラムからして秀逸。
とても自由な構成。
アルベニス:組曲『イベリア』第4巻~第10曲:マラガ
スクリャービン:ピアノ・ソナタ第3番嬰ヘ短調 Op.23
カプースチン:ジャズ・スタイルによる24の前奏曲 Op.53~前奏曲 第11番
カプースチン:ジャズ・スタイルによる24の前奏曲 Op.53~前奏曲 第10番
アルベニス:組曲『イベリア』第3巻~第9曲:ラバピエス
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 Op.31-3『狩り』
リゲティ:ピアノ練習曲集~第6番:ワルシャワの秋
リゲティ:ピアノ練習曲集~第13番:悪魔の階段
フィリップ・グラス:練習曲 第6番
マルケス:ダンソン第2番(レティシア・ゴメス=タグレ編、ピアノ版)
ブラームス:間奏曲 第3番嬰ハ短調 Op.117-3
グルック:精霊の踊り(歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』第2幕より(ズガンバーティ編、ピアノ版)
アリス紗良オットが、昨年暮れにN響でリストの協奏曲を弾いたアンコールにアルヴォ・ペルトのアリーナを弾きましたが、若手が積極的に、以前はステージで採り上げなかったような曲を弾いてくれるのはとても嬉しいです。
私が巡り合う機会がなかったであろう曲を、優れた審美眼を持つアーティストが紹介してくれるわけですからこんな贅沢なことはありません。
ユジャのアルバムはアルベニスが始まった瞬間に空気を変えてしまう素晴らしいアルバムでした。
一番馴染みがあるであろうベートーヴェンの『狩り』。
これ聴いたら嬉しくなりますよ。
ある著名なベートーヴェンの研究者とお話させていただいた際、彼は「ベートーヴェンが今も生きていたらソナタの3分の1くらいは没にしてると思うなぁ」とおっしゃっていましたが『狩り』はその3分の1に入る可能性のある曲ではないかと思っていました。ユジャの演奏を聴くまでは。
こんなにも生命力あふれた音楽だったのね・・・そう感じさせてくれました。
一夜明けて庭のバラを40分かけてチェック(虫にやられてないか?病気になってないか?)してから、昨日届いた残りの4セット何を聴こうかな・・と少し考えてプレトニョフを選びました。
プログラムは次のとおりです。
・ブラームス:3つの間奏曲
・A.ショー&プレトニョフ:ピアノ・ソナタイ短調
・ショパン:ポロネーズ第1番嬰ハ短調ショパン
:幻想曲ヘ短調
:舟歌嬰ヘ長調
:幻想ポロネーズ変イ長調
こちらもウクライナ出身の作曲かショーとの共作が入った意欲的なプログラム。
音楽が始まって「あれっ、これシューマン??」と感じてしまったブラームスの間奏曲。けっして悪い意味ではありません。早朝の空気にとてもマッチしてました。
さきほどゆっくり休日睡眠から目覚めた妻にCDを最初に戻して「これ誰の曲だと思う?」と聞いたら(妻は曲を聴いて誰の第何番とかそのあたりのことは得手ではありません)「わかんないよー」と想定していたとおりの返事。
「でもさ、ショパンじゃないな・・とか消去法もセットで考えたら思い浮かぶ作曲家いない?」と改めて問うと「シューマン?」「そうでしょ、そうでしょ。でもね・・これブラームス。シューマンかと思うよね」
シューマンのピアノ曲が持つシューマンならではの慈愛とメランコリックが溶けあった優しさはとてもオリジナリティあふれるもので、そのシューマンカラーは時に他の作曲家の作品もシューマンかと思わせてしまうときがあります。
例えば、クラ友と私の次のような会話がそれです。
クラ友「ベートーヴェンの、ほら、1楽章がシューマンみたいに始まる・・あれ何だっけ?」
私「シューマンみたいな始まり??」
クラ友「そうそう。一瞬、シューマンかと思うあれ?あれ?」
私「わかった!28番!」
クラ友「そうそう28番!」
ブラームスの間奏曲はけっしてシューマンカラーあふれる曲ではないと思いますが、
プレトニョフの演奏は、ハッとするほどに優しく慈愛にみちたものでした。
ショーとの共作も初聴ながら新しい出会いとなりました。
2021年の作品なので妻にはきつい曲かなぁと思い聴き始めましたが、とても抒情的な曲でした。
お名前失念しましたが、老大家のピアニスト(女性でした)が「どうして今の作曲家はブラームスの頃のような曲を書けないのかしら」とおっしゃっていましたが、彼女もショーの作品は喜ぶのではないでしょうか。
作曲家としてはエピゴーネンと称されるリスクを回避する一つの方法が、クラシックなスタイルではない曲を書くこと、なのかもしれません。
いや、それはおそらく失礼な物言いなのでしょう。
作曲家はうちなる衝動として調性のない曲を書いているというのが真実なのだと思います。
ショーとプレトニョフの作品は「そういった議論はさておき」名曲だと思いました。
プレトニョフが過去にリリースしているショパンアルバムは未聴で、プレトニョフのショパンは私にとっての初物となりますが、こちらも期待を遥かに上まわる素晴らしい内容でした。
昨夜と今朝、続けて2枚のピアノアルバムを聴きましたが、2枚続けてクオリティの高いディスクに出会えました。
ブルームーンストーンが咲き始めました。
この子は河本純子さんの作品ゆえ、少し気難しいところがありまして、
3年前の新苗の年の秋は、鉢栽培で結構な勢いで咲いてくれました。
2年目が全然ダメで、昨年地植えにしました。
「地植えなら、もう我儘なこと言えないよ。条件、最高っしょ!」
と言い放ったのが、気に障ったのか、さらにダメになりました。
年初の休眠期にいつも使っているスリット鉢ではなく素焼き鉢に変えてみました。
勢いのない枝も全部落として太めの2本だけでリセットという、ある意味冒険をしましたが成功したようです。
強風で7輪ほどの蕾がついた茎が折れて落ちていましたが、それでも2本の枝で30輪近くはつけてくれそうです。
私のブログネームとして使っているニンファも開花が始まりました。
こちらは樹勢も強く、毎年安定した花をつけてくれます。
今年も100以上の蕾を数えました。
手前右のオルレアは、庭のあちこちでこぼれ種が勝手に芽を吹いてくれますが、
昨年、妻が花が終わったオルレアを振り回していたので今年はさらに勢いがつきました。
まさにオルレアロード↓
左の樽(この樽は底を抜いてあるので地植え状態になっています。
品種はルポールロマンティーク)の手前の空きスペースは6月に1番花が
終わった頃に鉢バラを地植えに移します。
鉢バラが20鉢ほどあり、これからの季節、日によっては朝晩の水やりが必要に
なります。
平日は私が東京で仕事をしているので、妻から「早く地植えにして!水やり限界!」と苦情が入いります。早く地植えにしたいのですが開花前の環境変化はNGなので、降雨を祈りつつ明日から東京に戻ります(明日は雨のようです)。
元気のよかった去年6月3日のルポールロマンティークを貼っておきます。
この一月後にいきなり全ての葉を落として坊主に。
カミキリムシにやられました。
株元ではなく枝の途中から入られたので気付きませんでした。
先の写メのように今年はだいぶ快復して蕾もしっかりつけています。
群生する自生オルレア
あと10日もすれば庭のほとんどのバラが花を咲かせます。
散歩しているご近所の皆さんが足を止めてバラを楽しんでくれる時期もあと少し。
妻は1週間まるまるこちらにいるので、ご近所の方々は妻がバラ栽培していると勘違いしている人が多いそうで、妻は「夫なんですよ」と伝えているそうですが、私は、勘違いは勘違いのままの方が面白いのになぁと内心思っています。