さきほど昼休みに所用でサントリホール前を通りかかった際にスタンドを見ると

いよいよ明後日になるカーチュン&日フィルのマーラー9番のチラシと沖澤さんの6月のN響のチラシがワンフレームの中に収まったので撮ってみました。

 

そこから仕事場に帰る道を歩きながらつらつら考えました。

 

私はこのお二人の指揮姿が好きです。

お二人の指揮を観るのも楽しみの一つです。

 

以前、バレンボイムが若いピアニストらに指導している動画を観たときに、多くのギャラリーが囲むセミナーでしたが、ギャラリーの一人が「バレンボイムの動きと音楽の盛り上がりが連動していたように感じた」(記憶で書いているので不正確ならすみません)といったことを述べたときに、バレンボイムは言下に「そこは関係ない」と返しました。

 

ピアニストが最後の打弦とともに腕を振り上げたり、左右に大きく開いたりといったことをやりますが、もちろんアクションとして予定していたといったことはなく(もしアクションとして練習していたら笑える)、その時の感興のままのアクションなのだと思います。

 

ただ、そういったアーティストの動きと私の受けるインパクトは無関係ではありません。先のギャラリーの発言は私には頷ける部分があります。

最後の打弦がバッチリ決まった時にピアニストが腕を振り上げると「かっこいい」「音楽にピッタリ」と思う自分は確実にいます。

 

指揮者の指揮姿と音楽の関係はいまだによく分かりません。

バレンボイムは感じたままに大きな振りの指揮をしますが、その動きと音楽の連動は素晴らしく、音楽にも感動するし、指揮しているバレンボイムにも見入ってしまいます。

バーンスタインもしかりです。指揮台のうえで歓喜したり泣いたり、全身でご自身の感情をオケに伝えてました。私はその感情の発露である指揮姿も大好きです。

 

他方で、プレトニョフやウルバンシュキのようなミニマムな動きの指揮も「こんな僅かな動きでオーケストラを自由自在に操つるなんて・・・かっこいい」と感じてしまいます。

チョン・ミョンフンも無駄な動きがない中で、決める時の一閃などメチャメチャかっこいいなぁと思います。

 

指揮姿は各人各様ですが、大きな振りであれ、小さな振りであれ、感動するものは感動してしまいます。

 

沖澤さんとカーチュンの指揮スタイルは異なりますが、お二人の指揮姿に私が魅かれるのは、まず立ち姿が素敵です。指揮台に立ち、棒を振り上げるまでの僅かな時間に

ホールの空間をギュッと締めるような不思議な力。

そして棒が動き、流れ出す音楽が私の想定を超える音を引っ張り出してくれます(カーチュンのブラ1のときはマーラー3番ほどの想定をはるかに超える音でなかったけれど)。

オーケストラの場合、指揮台の上で指揮者がどれだけ頑張って動こうかが、動かまいが、そこから引き出される音に力がなければただの踊りになってしまいます。

10種類から20種類の楽器で構成されるオケで、弦だけが奏しているときに管が明滅したり、フルートがソロをとったり、全奏の中で打楽器がとても効果的なアクセントを打ち込んだり・・・オケは万華鏡をまわすたびにその鮮やかな世界が変転してやまないのと似ていて時間の流れる中で世界が変転し続けていきます。とてもとても複雑に。

その複雑な変転をきっちりと交通整理するだけではなく、時には一瞬前には存在しなかった道を瞬時に開いて、そこにオケを放り込むといったマジックのようなこともやってしまう指揮者は世にたくさんいらっしゃいます。

 

沖澤さんとカーチュン・ウォンは確実にそのようなマジックを起こすお二人だと思います。

一瞬前になかった道が瞬時に開かれることは、もちろん「音」で覚知するのですが、

それを引き出す棒の動きが必ずあるんです。聴く側の私も流れ続ける音楽を前に、瞬間、瞬間に感じとっていることですが「さっすがプロだなぁ」(プロというより職人と言った方が的確か)という動きがあります。

職人技を目と耳で堪能することができます。

いまいちの演奏に接したり、運悪くマナーの悪いお客さんが近くにいたりすると「家でCD聴いてるのが一番かな」と思うことは何度もありました。

でも、圧倒的な職人技に接してしまうとホールに足を運んでしまいます。

 

明後日、カーチュン・ウォンと日フィルの皆様が、まだ見たことのない道を開いてくれることをとてもとても楽しみにしております。