ショルティのことを書くならベートーヴェンではなくてマーラーじゃないの・・と思われる方、多いと思います。
吉田秀和さんが、ショルティのマーラーを全曲聴き直して(1から3及び9はロンドン響、4はアムステルダム・コンセルトヘボウ、5から8及び大地の歌はシカゴ響)、「もし、ショルティが来てマーラーを振るということになれば—もっともそれは、現代一流の交響楽団を相手にするのでなければ、彼の考えたことは実現できないであろうが—私は何をおいても聴きにいくだろう」と書いていらっしゃいます(河出文庫「マーラー」より)。
マーラー指揮者としてのショルティについて、多くの方の評価は高いようですし、私も20代半ばに東京文化会館でモーッアルトのハフナーとマーラー5番にノックアウトされて以来、ショルティのマーラーはかなり聴き込んできました。
20代で一番聴いたマーラーはこれです。
ところで、先の吉田氏の著作の中でもショルティのマーラー5番は大絶賛されていますが、終楽章のフィナーレの部分、明らかにリミッターか何かでぐっと音が押さえ込まれているように感じるのは私だけでしょうか。これは本当に残念で、最後の最後でがっくり来るので、私はこの録音は避けてきました。この最初のシカゴとのマーラー5番の1970年の録音の20年後の1990年、同じくシカゴ響と同オケの音楽監督として最後を飾ったライブが発表されたときは「これでショルティの5番を堪能できる」ととても嬉しかったことをよく覚えています。
もっとも、1990年前後はシノーポリがマーラーを発表し始めた頃で、私のマーラーの愛聴盤はシノーポリにシフトし始めた頃でもありました。
私が20代半ばに、ショルティの1972年録音のベートーヴェン全集を中古で入手したのは安価であったこととボックスの背表紙にシカゴ響のメンバーとおぼしきサインがあったからです。
探しましたがショルティのサインはないようです。
一番上のサインはヴィイオリンとあるのでおそらくシカゴ響のメンバー??
もっとも、このレコードにはがっかりしました。
四角四面という言葉は、このレコードのためにあるのではないかと思えるほど、ただただ力で押してくるベートーヴェンに辟易としました。おそらく9曲を全曲聴きとおすことなくギブアップしたと思います。
ショルティといえばマーラー。その他にも春の祭典も好きだし、ツァラトゥストラはかく語りきは、あまたある同曲の名盤の中でも最高だと思っています(後にベルリンフィルを振ったものも出ましたが、私は断然シカゴ響とのそれが好きです)が、ベートーヴェンはどうにもいただけないという位置付けでした。
ところが、そんな私が今ではショルティ&シカゴのべーート―ヴェン全集を新旧両方CDで持っています。20代半ばに聴いた旧盤に拒絶反応すら起きたのに、今では新旧ともに愛聴盤です。
きっかけは父が買ってきたショルティがヨーロッパ室内菅を振ったモーッアルトの40番と41番のディスクです。
父は、レコード時代から自身のジャズのレコードを買ってくるときに、思いつきでごく稀にクラシックのレコードを買ってくることがありました。レコードがCDに代わってからもそういうことがあり、その1枚が先のモーッアルトでした。
私は「よりによってショルティのモーッアルトなんて碌なもんじゃないし・・・どうしてこんなしょうもないCD買ってきたんだろう」と唖然としました。
ショルティは、マーラーやストラビンスキーのような複雑なスコアを切れ味のよいタクトで快刀乱麻を断てばよいので、モーッアルトは畑違いとしか思えませんでした。
ジュピターの1楽章 10段で収まるスコアです。
マーラー復活のエンディング 30段近くあります。
ずっとほったらかしにしていましたが、アバドの薫陶を受けたヨーロッパ室内菅は好きだったので、ある日、CDトレイに入れてみました。
これが、まあとても素晴らしくて、たちまち虜になりました。
キレッキレのモーッアルトはとてもカッコよかったです。
「何事も決めつけはいかんなあ」と少々反省しましたが、20代の私の手が即座にベートーヴェンにのびることはありませんでした。
(先の40番と41番は今でも現役盤です。先週も聴きました)
ショルティが1997年に亡くなり、ショルティをもう一度しっかり聴いておきたいなと思い、ベートーヴェン全集の新盤を聴いてみました。
レコードで持っていた旧盤はどうにもソリが合わないので新盤なら仲良くなれるかもと思い聴いてみたら、これがとってもいいんです。
その頃は、私も40歳くらいになっており10代の頃はひたすらアンチを決め込んでいたカラヤンの3種類の全集も全て好きになっていました(ちなみに60年代の最初の全集が一番好きです)。今では来日時のライブ全集もあるので中高生の頃はアンチカラヤンだったのに4種類もカラヤンのベートーヴェンを聴いていることになります。カラヤンのベートーヴェンも直球主体なので、こういうスタイルに私自身なじんできたのかもしれません。
カラヤンも揺れが少ないですが、ショルティはもっと揺れません。
全球種、160キロのストレートっていう感じで、私が知らないベートーヴェンの姿を見せてくれました。
「旧盤も、私の耳のキャパが狭かっただけではなかろうか」
と思い、CDを購入して聴いてみました。新盤より、さらにシカゴ響を鳴らしまくっており「どうしてこれを拒絶していたんだろう」と不思議に思いました。
ショルティのような剛直な指揮をする人は今はいません。直球中心の指揮者はいらっしゃいますが、ショルティは球の重さが違います。球が重いのは、手兵がシカゴ響ということももちろんあります。
このコンビの創り出す音楽は後にも先にもない、本当に特別なものだったんだなあと感じます。
ショルティ&シカゴ響のマーラー復活の第一楽章。
40年ほど前に初めて聴いたとき、殴られたような気がしました。
クラシック音楽を聴いて殴られたような気がしたのは後にも先にもショルティ&シカゴ響以外にないなぁ。