スコア(総譜)の存在を知ったのは中学1年生。

中学校の音楽室の隣には音楽準備室という部屋があり、音楽の先生の控室兼楽器倉庫のような部屋でした。

用事があって音楽準備室に先生を訪ねたとき、スチールの書架に小さなサイズの本がずらりと並んでいました。

背表紙には「ベートーヴェン交響曲第5番運命」といった楽曲名が印刷されており、

それぞれの楽曲に複数冊が並んでいました。

 

中学生の頃から使っているボロボロのスコア

 

「先生、これ何ですか?」

と問うと「スコア」と先生は答えました。

「見ていいですか?」「あーいいよ」

書架から取り出して開くと衝撃の世界が広がっていました。

ピアノは習っていたので少し楽譜は読めました。

運命の「スコア」という本を開くと解説の後に音符がずっと並んでいました。

「先生、これ、運命の楽譜なんですか」

「そーだよ」

「どういう仕組みになっているんですか」

「ちょっと貸してみ・・・この一番上がフルート、上から木管楽器の楽譜、高い音が出る順ね、その下が金管でその下がティンパニー、っで第一ヴァイオリン・・」こんな説明が始まりました。

弦楽器のところには8分休符が書かれており、次に運命の動機と称される「ジャジャジャジャーン」と書かれていました。

 

中学生だったので「フルート」「オーボエ」などと自分で書き込みました

 

実は、この時まで私は「スコア」というものは、この世に存在するけど触れることができるのは指揮者とか、音楽のプロだけしか触れられないものと思っていました。

「先生!これ借りていいですか?」

「あー、好きなの持ってけ」

家に帰ってレコードを聴きながら必死で音符を追いかけました。

今まで何十回も聴いてきた運命を耳だけではなく目で楽しめる嬉しさは格別なものでした。

 

翌日「先生、昨日借りたの買いたいんですけど、どこで売ってるんですか」と尋ねると「俺をとおして買うと割引になるから注文してやるよ。どれが欲しいんだ」ということになり、それからはレコードに消えていたお小遣いの一部はスコアにも廻るようになりました。当時の価格を今確認してみると300円程度でした。

 

 

ベートーヴェンの1番から8番は音符をなんとか追いかけられるのに中学1年生の頃は第9は途中からわからなくなることが続きました。

今ではマーラーのスコアも「読める」というのはおこがましいので「目で追える」レベルにはなりましたが中学1年生にとっては第9はお手上げでした。

譜面台は家にあったので譜面台にポケットスコアをひろげて、リコーダーの菅の中を掃除するときに使う棒を茶色に塗って指揮者気取りを始めたのもその頃です。

 

スコアを見ながら音楽を聴くといろんなことが分かりました。

一番驚いたのは、ワルター&コロンビアの田園ばかり聴いていたので、終楽章の全音符が続く箇所はクレッシェンドしてデクレシェンドするようにスコアに書いてあるのだと思い込んでいたら、スコアにはそんな指示はありませんでした。あれはワルターの「解釈」だったことを知りました。スコアにはないけれど、この解釈はとても好きです。

 

クラシック音楽を耳だけではなく、目でもたのしむことを知ったのは、もう50年も前のことです。たいていのことは50年も経つと「若い頃はなぜあんなに夢中だったのだろう」と思うことも多いですが、クラシック音楽をスコアを見ながら楽しむことと園芸は50年経っても1ミリも飽きることはありません。