VSOP:べリー・スペシャル・ワンタイム・パフォーマンス

 

ジャズ喫茶「シェルブール」つながりで、もう一つジャズの話。

クラシック友達(クラ友)からAmazonprimeで、サックスプレイヤー、ウェイン・ショーターの特集が流れているとメールが届きました。

実は、この特集の存在は数か月前から知っていました。

まだ、観ていません。

ウェインは、あまりに特別な存在で3時間ほどの特集を観るなら、3時間全集中で観ることができるコンディションのときに観たいと考えたからです。

 

私は小学2年生からクラシックにはまりましたが、父親は学生時代からウッドベースを弾く趣味人で、子供の頃から家の中も車の中も常にジャズが流れていました。スイングジャーナルも父親が購読していたので私も読んでいました。

ですから、クラシックほど入れ込んでいたわけではありませんが、おそらく平均的な小学生からすれば、相当ジャズが好きな小学生だったと思います。

ウェインの特集を教えてくれたクラ友は、かなりお若いのに「好きな曲、なんですか」と問うと「マタイ受難曲。リヒター」と即答する強者で、彼が薦める番組だから相当濃い内容なのだと思いつつ、それだからこそまだ「時機じゃない」と思い観てません。

 

その代わり、久しぶりにウェインのCDを取り出して聴いてます。

マイルス・デイヴィスバンドのメンバーはどの時期も巨星の集合体ですが、とりわけウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスがメンバーだった時期はミューズが降臨し続けた奇跡のような時代でした。

マイルスがエレクトリックに移行してからハービーが「あの時のクインテットを再結成しませんか」とマイルスに打診したら一蹴されてしまったそうですが、瓢箪から駒でフレディ・ハバードを入れてVSOPとして再結成しました。

私は、地方の高校生でしたが、親戚が東京にいたので夏になると田園コロシアムで開催されていたライブ・アンダー・ザ・スカイというジャズイベントに5日間の通し券をゲットして親戚の家から通っていました。

 

 

そこでジャズのコアなファンなら絶対に知っている1979年7月26日の嵐の中のVSOPのライブに遭遇したのです。私は高3、弟は高1。

嵐の中のVSOPのことを書き始めたらもう終わらないので多くは書きませんが、少しだけ1979年のVSOPのライブアルバムについて記しておきたいと思います。

 

ワン・オブ・アナザー・カインドのフレディとウェインのソロ。これを超えるソロは生涯聴けないだろうなあと思います。実際、あれから40年以上経ちましたが、あの日のソロを超えるインプロビゼーションを聴いたことはないです。

煉獄の炎が吹き上がるようなフレディのペット。何が凄いって「これ頂点だろ」と思ったら軽々その頂を飛び越えていくテクニックとセンス。

フレディが動なら静とも言えるスペースが空きまくりなのに凄まじい緊張感のウェインのソプラノサックス。嘘か本当か知りませんが、嵐で水浸しになったサックスはタンポもぐちゃぐちゃだったそうですが、そんなこと関係のない世界です。一音に込められたパッション。音数は少ないけど、独り言のようなフレーズもあるけど、これほど気持ちが伝わるソロ・・・40年以上前のあの日も涙があふれましたが、今、ディスクで聴いても涙が滲みます。

リズム隊の反応はほとんど狂気の域です。

野外のスタジアムだのに、なぜ、ここまでお互いの音をしっかり聴いて反応できるんだろう・・・またまた牽強付会と思われるかもしれませんが室内楽のレベルの反応です。

 

私はチケットを後生大事にとっておくタイプではありませんが、なぜかこの日のチケットだけは残っています。

凄いメンバーですよね。

チック・コリアもフレディもウェインもトニーも今は亡き人になってしまいました。

トニーを大好きな方。今でも世界中にたくさんいると思います(私もその一人)。26インチのバスドラム。レッド・ツェッぺリンかと言いたくなるドカドカのバスドラ。本当に凄い人でした。でも、もう聴けない。トニーの大切な人であった、今、サンタナの奥様のシンディ・ブラックマンを聴けばトニーが降臨します。ブルーノート東京でシンディを聴いたのはもう10年以上前。来日したら何をおいても聴きに行きたいです。

 

VSOPの嵐のライブを聴いてから10年ほどして弟が「夜道を一人で歩いてるとピー・ウィー(嵐のライブで演奏された曲)のメロディ口ずさんでるんだよね」と私に語りました。

笑っちゃいました。

私も夜道を一人で歩いているときピー・ウィーを口ずさむことがあります。今でも・・です。

トニーって作曲家としても偉大な人でした。