2024年2月19日・21日 紀尾井ホール

国際音楽祭NIPPON2024

 

諏訪内明子さんが音楽監督を務める国際音楽祭にとても魅力的なプログラム登場。

~Vienna1800~と~Vienna1900~と2夜にわたって、1800年頃と1900年頃のウィーンの音楽を聴かせてくれるプログラムです。

 

1800年はベートーヴェン、モーッアルト、パガニーニ、シューベルトの音楽、1900年はベルク、ウェーベルン、コルンゴルド、安良岡章夫、シェーンベルクの音楽で構成されているコンサートで、私はとりわけ1900年のプログラムと両日のメンバーの凄さで、この2夜はセット券で行きました。

 

メンバーであり音楽監督でもある諏訪内さんは、最近の録音ではバッハの無伴奏ソナタ&パルティータが出色だったし、もう1人のヴァイオリニストのベンジャミン・シュミットも昔から大好きだったので (好きになったきっかけは、ヴィエニャフスキ・ シマノフスキ・ ルトスワフスキらのヴァイオリン協奏曲が収録されたアルバム)期待度大でホールに向かいましたが、期待は裏切られませんでした。

 

2月19日の1800年の方は、ただただゆったりと至福の世界を堪能しようという思いで向かい、その思いは十分かなえられました。

この日のメインディッシュのシューベルト「ます」は、中学生の時にヤン・パネンカがピアノを弾くレコードで愛聴していた曲です。音楽の時間に4楽章を聴いてレコードを買ったのですが、聴けども聴けども音楽の時間で聴いたメロディが流れてこず、ようやく4楽章で出てきて、その後は他の楽章を飛ばして4楽章だけ聴いていたことを思い出します。子供の頃はこういうことをよくやっていて、小学生の頃は運命を2楽章と3楽章を飛ばして聴いていました。今では運命で一番好きな楽章を問われれば2楽章と答えるのに。

諏訪内さんらの奏する「ます」を聴きながら「全ての楽章がこんなにも素敵なのに・・・子供の頃は4楽章以外、聴くことすらしなかったんだなあ」なんてことを考えていました。

 

21日の1900年の方のプログラムは10代前半までは全く圏外の音楽でした。今では今回の2夜のプログラムで「どちらか一つしか行けないとしたらどちらを選びますか」と問われたら間違いなく1900年を選びます。お客さんの入りは初日の半分もなかったですが・・・。

樫本大進さん(今回も参加してるポール・メイエも入っている)らの「VIEENA1900」というCD(このCDも演奏・曲目ともに秀逸の極み)にも収録されているコルンゴルドの13歳のときの作品1の他、ベルク・ウェーベルン・シェーンベルクが揃い踏みですから、この夜は完全に刺激を求めに行った夜になります。

 

結果、期待以上の夜になりました。

コルンゴルドは先のCDで知ってはいましたが、実演ははるかに魅力あふれるものでした。これもまた「あるある」ですが、素晴らしい実演に接してからCDを聴くと、CDの演奏が各段によくなるということがしばしばありますが、この日もそうなりました(その逆、つまり実演はよかったのに帰宅してCDを聴くと「あれっ??」ということもあることは以前も記したとおりです。特に同じアーティストの実演に接し、感動して、そのアーティストの実演と同じ曲のCDを入手して聴くと「あの感動を再び」・・・が難しいことはハーデリッヒの日に記したとおりです)。

 

一番楽しみにしていたシェーンベルクの「浄められた夜」は、これまで私が聴いてきたCDと実演の全てを凌駕する名演中の名演でした。

メンバー全員一丸となって本当に素晴らしい演奏を繰り広げてくれましたが、特にチェロのマインツと佐藤晴真さんには心を奪われました。

イザベル・ファウストやケラスらの浄夜を青い炎とするならば、この日の演奏は私には赤い炎と感じられました。この曲はクールで凛としたところが好きですが、この日の演奏を聴いて「こんなアチチッてなる演奏もあるんだ」と感じ入りました。

終演後、四ツ谷駅に向かう道での妻への電話で「浄夜、聴かせてあげたかったー。信じられないほどよかった~」を何度も繰り返していました。

 

プログラムの解説を執筆された沼野雄司さんの文章が、浄夜を見事に評していたので引用します。

「なにより素晴らしいのは、30分ほどの時間のなかで、暗く弱い色調が徐々に―本当に粘り強く慎重に―まばゆい強い光へと変貌している点だ。ここには25歳の作曲家の尋常ではない集中力がはっきりと示されている」

たった、2つのセンテンスで見事に浄夜を表わしており感動しました。

特に「―本当に粘り強く慎重に―」という一節。まさにこれなんです。

 

 

↑霜が降りた赤バラ

 諏訪内さんの浄夜のようです。氷に包まれた熱いパッション。

 品種は、イングリッド・バーグマン