2024年2月9日 NHKホール

大植英次&N響

 

このコンサートは、1月28日のコバケンさんのブラ4をぺトレンコ&ベルリンのブラ4に触発されて聴きに行ったのとルーツは同じです。

昨年11月のぺトレンコ&ベルリンの「英雄の生涯」に触発され「また英雄の生涯を実演で聴きたい」という思いで行くことにしました。

大植さんは、朝比奈さんの後任として大フィルの音楽監督に就任されたとき、大フィルを生まれ変わらせたといっても過言ではない大活躍をされ、当時(今、調べてみたら、もう20年も前のことなんですね)私は、何度も大阪まで追っかけました。

 

実は、30年ほど前にバーンスタインがロンドン響と最後の来日を果たしたとき、2曲目のシンフォニック・ダンスを大植さんがバーンスタインの体調不良を理由に代演したとき、前半終演後「金返せ」といった人たちによってちょっとホールが荒れたあの日に私はそこにいました。

私もバーンスタイン作曲の作品をバーンスタインの指揮で聴けることを楽しみにしていましたが、バーンスタインだって生きてりゃいろいろあるんだし、ベートーヴェンの7番を最後にバーンスタインがちゃんと振ってくれるんだから、そこまで文句つける必要があるんかい??と当時20代の若造ながらに感じたことを覚えています。

あの日の大植さんに対する聴衆の負のエネルギーを感じた私にとって、大植さんが大フィルで大活躍されたくさんの聴衆の支持を受けていることは嬉しくもありました。

しかし大フィルの監督を終えられて、いろいろ客演され、ハノーファーでマラ9を振ったそれもサントリーで聴きましたがどうにも刺さりませんでした。

余談ながらマラ9の終楽章で会場外の騒音(街宣車っぽかった)がホール内に響きました。CD化のために終楽章だけ無観客で録り直したそうですが、オープニング以来、サントリーに通い詰めている私にとって最初で最後の(今のところ)珍事でした。

 

「大植さんはもういいかな」と思ったのは、日本のオケで第9を振ったときでした。

私は、基本的にスコアからあまりに離れたことをやられると「もうええわ」という感じになってしまうのです。

「そんなこと言い出したらフルベンはどうなん??」ということになりそうです。異論はあるでしょうが、私はあれはフルベンの感興のままであって作為を感じないので素直に受け入れることができます。

決して耳に馴染んだもの以外は受け付けないということではなく、例えばヤルヴィ&ドイツカンマ―のベートーヴェンなど全てが未体験ゾーンの演奏でしたが(CDも実演も)、私は一聴で魅了されました。

とにもかくにも、私はあの日の第9から大植さんのコンサートには行かなくなりました。

今回は、昨年、大植さんが振った悲愴が大変評判がよかったので「最近はどんなかな」という気持ちと冒頭に記した「英雄の生涯」再び・・といった動機で行きました。

ホールの問題も多分にあると思いますが、ぺトレンコ&ベルリンの感動を再び・・とはなりませんでした。

 

この日は金曜日だったのでバラ栽培の拠点でもあるセカンドハウスに帰るためにカーテンコールもそこそこに会場を出ると、テレビカメラとインタビュアーが待機していました。「何かあったのかな」と思いつつも急いでいたのでスルーしましたが、電車に乗ると妻から「小澤さんが亡くなった」とメールが届いていました。「あっ、そういうことだったのか」と気がきがつきました。

新日、ボストン、サイトウキネン、水戸室内管弦楽団・・・小澤さんには音楽の素晴らしさを、これでもかというほど届けていただきました。松本でベートーヴェンの2番と7番を振られたときに「これで最後になるのかな・・・」と覚悟はしましたが、とうとうその日が来てしまいました。

走馬灯のように駆け巡る私の記憶の中の「英雄の生涯」を振り返ると、悲しみや寂しさ以上に、敬愛、感謝の念で胸が一杯になりました。