プロレスは、シュートである。 | 考えるプロレス。

プロレスは、シュートである。

 今、この混沌としたプロレス界でろくでもない団体(イベント)を挙げようと思ったらキリがないのですが、中でも僕が一番許せないのがハッスルとレッスルランド。リングも道場も持ってないようなインディー団体とは違い、それなりのお金をかけ、メジャーレスラーたちをキャスティングしてるだけに。どうして、こんなくだらないものになってしまうのか。ぶっちゃけ、腹が立って腹が立って仕方がないのです。

 ハッスルやその二番煎じともいえるレッスルランドの「原型」は、言うまでもなくWWEでしょう。噛み砕くと、要は「リアルファイトじゃないこと」を前提したプロレス、とでも言えるでしょうか。総合格闘技がみるみるうちに市民権を得ていく一方で、それに反比例するように人気が暴落したプロレス界。今、米国とは違う意味でプロレスを「再定義」することが求められているのは事実です。そして、今こそプロレスの本当の面白さを提示していかなくてはという想いが間違っているとも思えません。ただ、ここで僕が言いたいのは、「だからって、どうしてみんなおちゃらけに走るの?」ってこと。毎回毎回、実にさまざまな人間模様をリング上のストーリーに組み込んでいるWWEだけど、彼らの凄いところはそこに「真剣に演じきっている」リアルさがあることだと思うんです。対して、ハッスルやレッスルランドはどうか。なんだかとても安っぽく、常にとってつけたようなストーリーを展開していて、僕はぜんぜん乗れないのです。

 僕は、そもそもプロレス=シュートだと思っています。確かにストーリーも勝ち負けも決まっているかもしれませんが、そこで行われることの多くはアドリブでしょう。例えば、AとBというレスラーの試合が組まれたとします。Aが勝つ、というストーリーが決まっていると仮定して、じゃあそのときBは淡々と負けて帰るのでしょうか。僕は、そんなことはないと思います。なぜなら、AもBも人間だから。もしBが腕っぷしに自信があるレスラーなら、お客さんの見えないところで「極めては外し」「極めては外し」を繰り返し、Aに本当は自分のほうが強いことを誇示するかもしれません。あるいはBが優れたヒールレスラーなら、Aをいかにアップさせるかをプロフェッショナルに考え、また自分自身も光り輝くやられ方を披露して、お客さんにその実力をアピールしようとするかもしれません。いくらブッカーがレスラーたちを型にはめようと、リング上のすべてを管理するのは不可能です。レスラーに、いや人間にジェラシーや自己顕示欲という感情がある限り、その戦いのどこかには必ずリアルがあるはず。リアルファイトじゃないからといって、すべてをフェイクと片付けられるほど、プロレスは単純なものではないような気がします。

 そう考えたとき、僕はハッスルやレッスルランドのやっていることが、じつに幼稚で浅はかなものに思えて仕方がないのです。「リアルファイトじゃないこと」を前提に、エンターテインメントと称して開き直ることだけが、プロレス復興の「答え」だとは思えません。総合格闘技のリアルさに対し、その真逆の、いわばプロレスのフェイクな部分で対抗しようとしているのが今のハッスルやレッスルランド。でも、僕は思うんです。どうして、単なる勝ち負けでは語れない、プロレスの奥深さというものをもっともっとクローズアップしないのか。「リアルファイトじゃないこと」ではなく、むしろプロレスのシュート性が垣間見えるようなエンターテインメントプロレスがあってもいいのにな、と思うのです。