天気がよかったのでドライブがてら
ちょっと足を延ばしておでかけ
到着したのは埼玉県吉見町
『国指定史跡 吉見百穴』
さて、突然ですがここで問題です!
『吉見百穴』はなんと読むでしょう~か?
チクタクチクタク…
『よしみひゃっけつ』と読んだ
そこの貴方…!
違います!!!!
でも私と同じです!
私も『よしみひゃっけつ』だと
普通に思ってました
正解は…
まさかの
『よしみひゃくあな』!!!
うそ~~~ん!
ウソみたいなホントの話
だって本家のパンフにフリガナで
そう書かれてますからね!!
ま、実際のところは混在してるようで
文化庁のデータベースには
『よしみひゃっけつ』と記載されてました
でも本家がパンフで『ひゃくあな』と
って言ってるので
『ひゃくあな』で間違いない…だろう
そんな吉見百穴は
古墳時代後期(6~7世紀)に作られた
横穴墓の遺跡です
219基(横穴)が現存していて
このような遺跡としては
日本一の規模と言われています
小高い山に空いた無数の穴…
なんとも不思議な景色
斜面には手すりと階段が備え付けられ
登れるようになっています
そもそもこの穴は一体なんだったのか?
今では「墓」というのが定説ですが
まだナゾのままだった明治時代に
本格的な発掘調査を行ったところ
人骨、玉類、貴金属、土器類が出土
その結果を踏まえ
発掘調査に携わった坪井正五郎氏が
発表したのが『住居説』
ただ日本人の住居としては
サイズが小さすぎるということで
「コロポックルの住居だろう」と…
まさかやーーーーーー!!
コロポックルとはアイヌ語で
「蕗の葉の下に住む人」という意味で
アイヌの伝承に登場する小人です
日本の人類学の先駆者であった坪井正五郎は
コロポックル実在説を擁護し
日本石器時代人=コロポックル説を
主張したことで知られている方だそうで…
なるほど、そういう背景もあっての
コロポックルか…と納得
住居として作られ、のちに墓穴として
使用されたというのが坪井氏の
『住居説』(ただしコロポックル用)です
コロポックルの集合住宅ってわけ
しかし、その『住居説』に
すぐさま異を唱えたのが
坪井氏の同志でもあった白井光太郎氏
まず…
コロポックルの存在が確認できない
(やっぱりそこ、ツッコミどころだよね~)
住居とする十分な証拠がない
古墳の石室と同様の特徴がある…
などと反論し、『墓穴説』を提唱
それにより『住居か墓か』論争が
続いたそうですが
大正時代に考古学が発達し
発掘技術も進んだことにより
ほかの各地の出土品や横穴の構造から
墓穴として作られたことが明らかとなり
『住居説』は覆されることとなりました
コロポックルの集合住宅も
悪くはない、うん
戦時中は、空襲を避けながら
航空機の部品を製造する目的で
この岩山に地下軍需工場を建設
その昔は内部も見学できた模様…
今は入り口部分だけ見ることができます
数十基の横穴を破壊してまで
建設された地下軍需工場ですが
実際には本格的な生産活動に移る前に
終戦を迎えました
もう一つの目玉
『天然記念物ヒカリゴケ』
原始的なコケ植物であるヒカリゴケ
黄緑色の光を放っているように見えるので
ヒカリゴケと呼ばれています
通常は標高が高く、比較的寒冷な地域に
生息しているとされていて
平野部に自生しているのは珍しいとのこと
(地面と奥の壁の境目付近の明るい黄緑色部分)
外からの光を反射して光っているらしい
育つには一定の気温と湿度をが必要で
吉見百穴が環境に適していたわけ
ただ生育環境に敏感で
個体数は年々減少しているとのこと
貴重なものを観ることができました!
思い付きで訪れただけだけど
思いの外、楽しい場所でした
まだちょっと早いかな~と
思ってたけど、少し咲いていた桜
ちょうど満開だったのは
…桃だろうか?
たぶん桃
キレイでした~
この後はランチへ…