『トム・アット・ザ・ファーム』を観ました。
ラストシーン辺りでの主役を務めるドランさんの恰好が
ひどく洒落ている。
どこか90年代のヨーロッパ映画に見るような
着こなしというのかしら。
ぼんやり昔に観た映画を思い出せてくれる。
確信的な演出(演出っていうと大袈裟になる。服選びだ。)
だとしたら凄いよな、と思った。
それだけだった。面白くはなかった。
ドランさんの映画『わたしはロランス』
これが「もうしばらく映画観なくていい」というほど
面白かったものですから先に期待が過ぎたのかもしれません。
ドランさんの映画はどれも大変な人気で評判らしいのですが、
今のところ『わたしはロランス』より他は気に入らない。
こんなことを書くと
「全部観たのか?」という人が出てくる、
「死ぬほど映画を観てねえのに善し悪し解るのか?」
こんなことを仰る方もいらっしゃるが、
ひとつの映画に対して前後やら経験やらを問う神経が解らない。
気に入らねえもんは気に入らねえんだから仕方ないのです。
評価されている、なんとか賞を受賞している、
こういうのに世間は人間は弱いものだ。
「世間のこと人間のこと解ってんのか?」と訊かれたら
「解りたくないね」と答えるような自分ですから、
そりゃあ勝手に言っちまう。
世間は人々は評価されている代物について、
先に安心を覚え易いし、また自ら面白がろうとする意識が
働くんじゃないですかねと。
「そんなことはない!」と否まれたら、
「じゃあ、そうなんだろうよ」と答えるような自分ですから、
何にせよ、ドラン監督さんのファンの方は怒らないで欲しい。
これは気分の話になるけれども、
近頃は深刻な映画や小説等が嫌いだ。
「人間の深淵、苦悩、葛藤、矛盾を描き切った!」なんて謳ってるような
代物も同様に気に入らない。
習慣として観たり読んだりしてみる。ちゃんと観たり読んだりする。
それで
「ド暗い話をいじくりまくって芸術ムード押しつけやがってよお!
この芸術風ムードに酔い痴れろってか、下らねえや!」
と家族に悪態つくばかりの自分ですから、
作品が悪いわけじゃない。こちらが悪い。
よっぽど頭が荒廃しているのかしらと反省しなければいけない。
もうこんな神経の奴には
『ラスベガスをやっつけろ』(ジョーニーデップのね)や
『ソウルマン』(古いですね。ちょっと深刻な話でもあるけどね)や
子供に戻って『グーニーズ』を観るしかないようだ。
ともかく映画も本も音楽も商品だ。商売だ。
つまり、こちらは娯楽物の消費者でしかないわけです。
「そんなことはない。感性を高めてくれる」と多くの方が、
いや、自分自身さえも反論しちまいそうだけれども、
「高まらねえよ。そんな気になるだけ。錯覚だよ」と
昔の友達が言ってたな。
もはや『トム・アット・ザ・ファーム』はどこへ行ったのか。
この映画を観て、
何とはなしに文化的(風)娯楽物に対する人間の実態とは何ぞや?
こんなことを考えてみたものですから、
それをそのまんま書いてみた次第でございます。
以前のこと、
こちらのブログにて
仕事以外での自前楽曲、出来の悪い映像作品もどきを
見せびらかしたところ、
あまりにも観てくれる人間が少なかった。
それで拗ねてしまいまして
「もう二度とやらねえ!」と決心していましたが
またやってみました。
音が小さいため、音量は最大に。
ヘッドフォン、後付けスピーカー(これが一番いい)等で
聴いて下さいまし。
「前回の映像と同じ画があるじゃねえか、え?」
「前回の方が良かった」
なんてことは言わず思わず、ご覧ください。
手持ちの映像が少ないため使い回しは仕方なし、
と開き直ってみる。
ところでブログの扱いが上手くいかない。
クリックしてもらえればyoutubeに飛んでいきますが、
ブログの上に画が載っかってくれない。
どうしても。どうしてだ?
それはともかくとして
さあ、どうぞ、さあ!
架空映画予告編『ダーティー・ハッピィー』
これは前回の架空映画『ダーティー・ヒューマン・ノート』
こちらのブログにて
仕事以外での自前楽曲、出来の悪い映像作品もどきを
見せびらかしたところ、
あまりにも観てくれる人間が少なかった。
それで拗ねてしまいまして
「もう二度とやらねえ!」と決心していましたが
またやってみました。
音が小さいため、音量は最大に。
ヘッドフォン、後付けスピーカー(これが一番いい)等で
聴いて下さいまし。
「前回の映像と同じ画があるじゃねえか、え?」
「前回の方が良かった」
なんてことは言わず思わず、ご覧ください。
手持ちの映像が少ないため使い回しは仕方なし、
と開き直ってみる。
ところでブログの扱いが上手くいかない。
クリックしてもらえればyoutubeに飛んでいきますが、
ブログの上に画が載っかってくれない。
どうしても。どうしてだ?
それはともかくとして
さあ、どうぞ、さあ!
架空映画予告編『ダーティー・ハッピィー』
これは前回の架空映画『ダーティー・ヒューマン・ノート』
ブログを始めてから
映画について話をするのが躊躇われるようになった。
それまでは
「俺は映画好きだ。観てない映画はない。すげえだろ、え?」
こんなことは言ったことありませんが、
それなりの映画通という自覚はあったようです。
ところが
ブログを通じて本物の映画狂の方々を知り、
彼らの映画に対する執念や熱意、知識やらお金のつぎ込み方やら
拝見させて頂きまして、
「あたしは違いました。到底、マニアには及ばない」と考えを改めることに。
なので下らない話をさせて下さいませ。
今日は「シルベスター・スターローン」さん。
本物の映画好きの方は彼のことが好きではないやもしれません。
だけれども見方によっては、
相当の奇人というのか、
ハリウッドスターの中でも一等かそこらの偏執的な人物、
そんな風に自分は考える。つまりは好きなんですね。
1、映画『コブラ』における狂的なタフガイ演出
冒頭から十五分辺りまで、ここにすべてが描かれております。
スーパーマーケットで乱射事件発生、
凄腕警官のスターローンさんが呼ばれる、
もちろん彼は一人で現場に乗り込む、
ここまでは当時のアクション映画らしい成り行きなのですが、
細かいところに目をやると
乗り込んだ現場で缶コーラみたいな飲み物を飲む、
爪楊枝はくわえたまま、
館内放送で犯人に脅しを入れる、
結局のところ犯人の正面に現れる、
意味もなくナイフを投げて更に発砲、
まだこういうのも当時のアクション映画らしい様子ですが、
自宅に帰ってからがおかしすぎる。
マッスルカーというかホットロッド(?)で自宅に帰る、
道端の駐車スペースが狭い、
ちょっと怒る、
駐車している前の車に追突してスペースを開ける、
前の車からラティーノのお兄ちゃん達が降りてくる、
お兄ちゃんのTシャツを毟り破って一言、
「気をつけろ。俺に」
ここまでくると荒くれ警官にしても奇異なのですが、
自宅に入ってからがヤバいです。
冷蔵庫を開ける、
カチカチに冷えたピザを取り出す、
それを作業台みたいな机に放りだす(温めたりはしない)、
冷えて硬くなったピザをハサミで切る(調理用のハサミではない)、
食べながら銃の掃除をする……
言葉にするとたいしたことはありませんが、
想像して下さい。
「俺はタフガイだぜ」という描写なのは解りますが、
あんまりじゃありませんか。
更に上司からは
「彼の捜査方法は異常者相手にしか通用しない」
こんなことまで言わせてしまう……
タフガイ警官のアクション映画は幾らでもありますが、
ここまでのものは少ないのでは?
いや、こんなにおかしいのは『コブラ』だけ、と言っちまう。
2、映画『オーバー・ザ・トップ』におけるタフガイ演出
トラック野郎が、息子のため、新しいトラックを手に入れるため、
腕相撲大会に出場するという映画です。
こちらの映画でも多くタフガイっぷりを見せびらかしてくれますが、
私の周囲でも話題になったエピソードをひとつだけ書いてみます。
妻の葬式に、ジーンズ、黒いシャツ、ネクタイで現れる。
「背広なんか持ってねえ。トラック野郎だから。タフガイだから」
という理屈なんでしょうが、
「葬式だから黒いシャツで」
という理屈なんでしょうけど、
やっぱり凄いです。言葉にするとあれですが想像して下さいませ。
3、映画『ランボー』における名言
『ランボー』シリーズは別として、
最初の『ランボー』は名作ではないかしら。
田舎町の偏見持ちの警察署長に目をつけられ、
余所者、ベトナム帰りというだけで逮捕され、
痛めつけられるスターローンさん。
怒って留置場から逃走、森に入って追手に反撃、
更には町を破壊する、そんな映画ですが、
戦友であり上官からの投降の呼びかけに対して
スターローンさんの台詞があまりにも切実というのか、
恰好つけなさすぎて可笑しくて哀しいのです。
「戦場では百万ドル(?)の兵器を扱ってたんだ!
なのに今は駐車係にもなれない!」
お茶を濁さないというのか、物語の佳境にて
この素直すぎる台詞は……
4、映画『ロッキー』
初めてエイドリアンを自室に招待するという場面で
それは起こります。
その場面を自分はぼんやり観ていたのですが、
家族が「あれ嫌だな」と言った。
「何が?」と自分は訊ねた。
「みてよ、あれを」と言うので観てみた。
スターローンさんが梁に両腕を掛けて
エイドリアンと話しているという場面だった。
「あれがなんだってんだ、え?」と自分が訊ねると
「あんな風に目の前に脇を見せびらかされたくない」と
家族は答えた。
「あれは腕の太さを見せるっていう演出っていうのか…」
自分はこれを言いかけてやめた。
長くなりすぎたので仕舞いに致しますが、
昔っから今日までタフガイを貫いているスターローンさん。
もはやナンセンスの域まで達しているとしても、
いや、ナンセンスに達するほど、それをやっちまうという
姿勢こそが男なんだ、
これもまたおかしい理屈になりますかね。
映画について話をするのが躊躇われるようになった。
それまでは
「俺は映画好きだ。観てない映画はない。すげえだろ、え?」
こんなことは言ったことありませんが、
それなりの映画通という自覚はあったようです。
ところが
ブログを通じて本物の映画狂の方々を知り、
彼らの映画に対する執念や熱意、知識やらお金のつぎ込み方やら
拝見させて頂きまして、
「あたしは違いました。到底、マニアには及ばない」と考えを改めることに。
なので下らない話をさせて下さいませ。
今日は「シルベスター・スターローン」さん。
本物の映画好きの方は彼のことが好きではないやもしれません。
だけれども見方によっては、
相当の奇人というのか、
ハリウッドスターの中でも一等かそこらの偏執的な人物、
そんな風に自分は考える。つまりは好きなんですね。
1、映画『コブラ』における狂的なタフガイ演出
冒頭から十五分辺りまで、ここにすべてが描かれております。
スーパーマーケットで乱射事件発生、
凄腕警官のスターローンさんが呼ばれる、
もちろん彼は一人で現場に乗り込む、
ここまでは当時のアクション映画らしい成り行きなのですが、
細かいところに目をやると
乗り込んだ現場で缶コーラみたいな飲み物を飲む、
爪楊枝はくわえたまま、
館内放送で犯人に脅しを入れる、
結局のところ犯人の正面に現れる、
意味もなくナイフを投げて更に発砲、
まだこういうのも当時のアクション映画らしい様子ですが、
自宅に帰ってからがおかしすぎる。
マッスルカーというかホットロッド(?)で自宅に帰る、
道端の駐車スペースが狭い、
ちょっと怒る、
駐車している前の車に追突してスペースを開ける、
前の車からラティーノのお兄ちゃん達が降りてくる、
お兄ちゃんのTシャツを毟り破って一言、
「気をつけろ。俺に」
ここまでくると荒くれ警官にしても奇異なのですが、
自宅に入ってからがヤバいです。
冷蔵庫を開ける、
カチカチに冷えたピザを取り出す、
それを作業台みたいな机に放りだす(温めたりはしない)、
冷えて硬くなったピザをハサミで切る(調理用のハサミではない)、
食べながら銃の掃除をする……
言葉にするとたいしたことはありませんが、
想像して下さい。
「俺はタフガイだぜ」という描写なのは解りますが、
あんまりじゃありませんか。
更に上司からは
「彼の捜査方法は異常者相手にしか通用しない」
こんなことまで言わせてしまう……
タフガイ警官のアクション映画は幾らでもありますが、
ここまでのものは少ないのでは?
いや、こんなにおかしいのは『コブラ』だけ、と言っちまう。
2、映画『オーバー・ザ・トップ』におけるタフガイ演出
トラック野郎が、息子のため、新しいトラックを手に入れるため、
腕相撲大会に出場するという映画です。
こちらの映画でも多くタフガイっぷりを見せびらかしてくれますが、
私の周囲でも話題になったエピソードをひとつだけ書いてみます。
妻の葬式に、ジーンズ、黒いシャツ、ネクタイで現れる。
「背広なんか持ってねえ。トラック野郎だから。タフガイだから」
という理屈なんでしょうが、
「葬式だから黒いシャツで」
という理屈なんでしょうけど、
やっぱり凄いです。言葉にするとあれですが想像して下さいませ。
3、映画『ランボー』における名言
『ランボー』シリーズは別として、
最初の『ランボー』は名作ではないかしら。
田舎町の偏見持ちの警察署長に目をつけられ、
余所者、ベトナム帰りというだけで逮捕され、
痛めつけられるスターローンさん。
怒って留置場から逃走、森に入って追手に反撃、
更には町を破壊する、そんな映画ですが、
戦友であり上官からの投降の呼びかけに対して
スターローンさんの台詞があまりにも切実というのか、
恰好つけなさすぎて可笑しくて哀しいのです。
「戦場では百万ドル(?)の兵器を扱ってたんだ!
なのに今は駐車係にもなれない!」
お茶を濁さないというのか、物語の佳境にて
この素直すぎる台詞は……
4、映画『ロッキー』
初めてエイドリアンを自室に招待するという場面で
それは起こります。
その場面を自分はぼんやり観ていたのですが、
家族が「あれ嫌だな」と言った。
「何が?」と自分は訊ねた。
「みてよ、あれを」と言うので観てみた。
スターローンさんが梁に両腕を掛けて
エイドリアンと話しているという場面だった。
「あれがなんだってんだ、え?」と自分が訊ねると
「あんな風に目の前に脇を見せびらかされたくない」と
家族は答えた。
「あれは腕の太さを見せるっていう演出っていうのか…」
自分はこれを言いかけてやめた。
長くなりすぎたので仕舞いに致しますが、
昔っから今日までタフガイを貫いているスターローンさん。
もはやナンセンスの域まで達しているとしても、
いや、ナンセンスに達するほど、それをやっちまうという
姿勢こそが男なんだ、
これもまたおかしい理屈になりますかね。