ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第92章 ストリップと同性愛(レズ) 

谷崎潤一郎『卍』、川端康成『乙女の港』を読んで~ の巻

 

 

レズビアンとは、女性として女性を好きになる「女性同性愛者」を表す。性的少数者全般を指す、LGBTの「L」に当たることでも知られている。

欧米では同性愛者をまとめて「Gay(ゲイ)」と表現することがあるため、レズビアンの女性でも「Gay」と名乗る方もいます。日本で有名な「レズ」という呼び方には、ネガティブな意味合いが含まれることもあるため、「レズビアン」や「ビアン」と呼ぶことが主流です。

 

 ストリップにおける同性愛とくれば、それはレズビアンのこと。昔のストリップのような‘なんでもあり’のエログロ・ストリップには、レズビアン・ショーはまさに黄金定番と言えた。一人のヌードでも美しいのに、二人以上のヌードを同時に見れるなんて贅沢の極みと云えるだろう。ステージ上で女性同士が絡み合う妖艶さはふつうのストリップとは一味違い、まだ若かりし私はその官能の世界に目のくらむような刺激を受けたものである。

 最近はレズビアン企画は減ってしまったが、チームショーで二人が絡むシーンにはレズビアンの流れが色濃く残っている。つい最近、久しぶりに道後ミュージック所属の琴音みおんさんに会った。そういえば、彼女はデビュー当時、さくらみみという芸名で、紅薔薇というパフォーマンス系でレズビアンを演じていたなぁと思いだしたところ。

 

 最近の芸能界などでは、ホモはやたら話題になるけど、レズはあまり騒がれない気もする。ストリップファンである私が、レズは美しいと思うがホモはキモイと思う個人的な見解のせいかな?

 また、ここで取り上げている文豪の世界でも、ホモはすぐにあげられるが、レズをネタにしたものには出会わない。なぜかな? 

 そうした疑問を踏まえ、レズビアンのことをネットで調べてみた。byウィキペディア(Wikipedia)

 

 レズの歴史はホモと同じく古い。女性同性愛の最も古い記録は、おおよそ紀元前625~570年頃、古代ギリシアのレスボス島に住んでいた女流詩人サッポーとされている。つまりレスボス島がレズビアンという言葉の語源である。

 起源は古いものの、倫理上・宗教上などによりレズビアンは「まっとうな性」とは認められず、長い間、水面下で続いてきたに過ぎない。

 その点は日本でも同様。女性同士の性愛が文学の主題となり得なかった理由のひとつとして、近代的な女性作家が成立する近世以前には、創作活動が男性の占有物だったというジェンダーに由来する問題があったことや、女性が結婚以外の性を堂々と謳歌することが貞操という観念によって封じられたことが考えられる。なるほど~

 

 ただ、最近になり、レズビアンは、フェミニズム、愛情、性生活、結婚、子育てなどに関連して、メディアの関心事となっている。

日本では2000年代に入ってからのいわゆる「百合」ブームによって、レズビアンをモチーフにしたマンガ・アニメ・小説が多数発表されている。

 

改めて気を取り直して、文豪作品からレズものを探してみた。

あった!あった! 谷崎潤一郎の長編『卍』である。

さすが谷崎先生は変態もののデパートである。尊敬します。感謝します。

物語はこんな感じで始まる。・・・

日本画の趣味を持つ園子は、夫である孝太郎にすすめられて女子技芸学校に通っています。ある時、園子が描く観音様の絵の顔が、他のクラスの光子という女性に似ていると校長に指摘されます。二人は同性愛なのではないか、という謂れのない噂まで広まります。それがきっかけで園子と光子は親しくなり、本当に同性愛の関係へと発展します。

小説『卍』はこれまで何度か映画化されています。最初の作品1964年版を観たら、若尾文子(光子役)と岸田今日子(園子役)が気品とエロスを爆発させて、とてもいい味をだしています!!!

ところが物語としては、同性愛まっしぐらではありません。園子の夫の孝太郎が光子に心を奪われてしまい、二人は肉体関係を持ってしまいます。つまり、同性愛と不倫とが複雑に絡み合った「卍」模様の恋愛です。

内容もサスペンスドラマの様相を呈してきます。あらら、なんか私が期待していたレズビアンの世界じゃないなと正直物足りなく思いました。(笑)

 

そもそも、この時代の日本での同性愛とはどのような認識だったのか。この時代は芸能人でもないのに内輪の不倫などがかなり新聞で叩かれていますが、同性愛はどうだったのか。キリスト教みたいに宗教的な罪ほど重くはなさそうだけど当然今のLGBTのようにメジャーではなさそう。社会から完全に排除されるでもなく、周りで面白がる人がいる程度なのかな。

調べている中で、「エス」という少女小説が流行っていた時代であることが分かった。

「エス」とは、大正時代から昭和初期にかけて女学生の間で流行した、女の子同士の特別な関係のこと。「シスター(姉妹)」の頭文字をとった名称とされています。エスの二人は、下級生は上級生を「お姉様」と呼び、文通をしたり、二人で遊びに行ったり、ただの友達や先輩後輩ではない強いつながりを持つのです。少女雑誌には相手に焦がれる女学生たちの悩みが、現代の恋愛相談さながらに投書されていました。とくに『女學生手帖』は有名。

当時の女学校に通えるのは、裕福な家に生まれ教養のあるお嬢様だけ。家柄はもちろん、勉学も、裁縫など当時でいう花嫁修業的なことも出来なければいけませんでした。当然、結婚前の異性との交遊は御法度。そんな環境下で、憧れの人と、友情以上愛情未満の「エス」の関係を結ぶことはどれだけ少女たちの胸をときめかせたことでしょう。

この時期、とくに少女小説の先駆けである吉屋信子(同性愛者であり、作品にもその傾向が強く認められるものが多い)の花物語が少女画報に掲載されブームになったことで「エス」を扱った作品が相次いで登場し、ついで「少女の友」に似たような作品が大量に掲載され、1930年代にピークを迎えた。例えば吉屋信子の『わすれなぐさ』『街の子だち』、川端康成(中里恒子)『乙女の港』などの、女学校のありようをリアルに描いた作品がそうである。

 

ここで、川端先生の名前が登場!!!! 内容をご紹介します。・・・

主人公の大河原三千子は人形のような可愛らしい容姿の持ち主。彼女がミッション・スクールに入学早々、二人の上級生に手紙をもらうことから物語は動き始めます。相手は5年生の八木洋子と4年生の克子。

三千子は、最初、自分がなぜ上級生からそのようなものを送られるのか理解できなかったが、クラスメートの経子は、「エス」という風習について教える。経子は幼稚園の時から同じ学園に在籍しており、三千子に学園の事情について伝える。

三千子は洋子に誘われるままに洋子の家の自動車で自宅まで送ってもらい、それが縁で洋子を姉として慕うようになる。しかし、その頃から洋子に関する悪い噂が校内に流れるようになり、三千子と洋子を苦しめる。

夏休みに三千子は伯母と共に避暑のために軽井沢へと赴くが、三千子はそこで克子と再会する。克子の熱烈なアプローチを断りきれず、克子と軽井沢を散策する内、三千子は洋子とは異なる魅力を持つ克子にも惹かれるようになる。

夏休みが終わって学校が再開されると、克子はことさらに三千子との親密ぶりをアピールして洋子を苦しめる。また、三千子も自分をめぐって洋子と克子が対立することに苦しむようになる。

 

この作品の注目すべきところは、女学生たちがどうやってエスの関係を始めるのか、エスの交流がどんなものなのかが細やかに描写されている点です。なんで川端先生がそんなことを知っているのか?

実は、この『乙女の港』は川端の少女小説として連載発表されたが、今日では、当時川端に師事していた新人の主婦作家・中里恒子(佐藤恒子)の草稿に、川端が校閲・加筆指導・手直しをして完成させた共同執筆の合作だったことが判明している。やはりね!!!

いずれにせよ、当時「エス」がそれなりの認知度だったことは間違いない。

 

選ばれしお嬢様たちが友情以上の関係を結ぶ…と聞くとロマンチックな印象ですが、その背景は「女性は結婚して子供を産むのが当たり前」とされていた時代。エスには男性優位社会・親きょうだい・結婚へ反発する少女同士が強く結びつくという対抗文化としての意味があり、また対等で自由なロマンティックラブの実践であったわけだ。

しかし、エスは卒業と同時に解消せざるを得ない、泡沫の関係でもありました。在学中どんなに仲が良かったエス同士でも、卒業し結婚すれば若かりし日の思い出として胸にしまわれることがほとんどでした。中には思いつめて心中してしまった女学生もいたそうです。強くお互いを想い合っていた二人にとっては、辛い世相でもあったのでしょう。

女性同士の心中は19世紀から報道されていたが、1911年の新潟における女学生同士の心中以来、1930年代には女学生同士の心中が頻発し、少女同士の親密な関係が同性愛として問題視されだした。

戦後、少女向け雑誌においても男女の恋愛を扱うことが許され、また女学校が解体し自由恋愛が一般化するにつれてエスは衰退する。しかししばらく経ってからエス小説が少女向けのレーベルから復刊されたこともあり、2000年代より始まるいわゆる百合ブームの作品において、エスと同様の関係は多数見出される。2000年代に大ヒットしたライトノベル『マリア様がみてる』も有名。

 

 以上、エスを調べてみて、私はハッとした。

スト女はこの「エス」だ!!と。

 

 

ちんぽ三兄弟も思わず叫んだ。

「スト女たちは決してレズビアンなんかじゃない。」

「男女機会均等法により男性同様に社会進出してきた女性たちが、これまでオヤジたちの専売特許のように楽しんでいた世界に顔を出してきた。飲み屋、パチンコ、競馬競輪に始まり、ついにストリップまで来たか、というイメージもあった。世にいう‘おやじギャル’の一派なのかなとも思っていた。」

「しかし、スト女は‘おやじギャル’ともちょっと違うな。あえて言えば、アイドルやミュージシャンを追いかける者たちと同じだと思っていた。」

「しかし、ストリップ太郎さんの話を聞いて、スト女が踊り子さんに憧れる気持ちは本質的に‘エス’なんだね。」