ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第91章 ストリップと小悪魔 ~谷崎潤一郎『悪魔』を読んで~ の巻

 

 

 踊り子さんの中には、小悪魔的な魅力に満ち溢れている方がいる。蛇女だと敬遠してしまうが、小悪魔のレベルだとハマってしまう。

 踊り子と客のやりとりを見ていて、不思議に思うことがたくさんある。ストリップも客商売なので、踊り子が客に対する言動はある一定の礼儀があるものである。ところが一見して踊り子が客を見下している言動を示すことがある。ふつうはそんなことをされたら客はその踊り子を敬遠するものである。ところが、どんなに詰(なじ)られようと、いや、それが嬉しいのか、詰られれば詰られるほど、彼女に魅了されていく客がいる。彼はマゾなのかな?とも思うが、ちょっと違うような感じをうける。

 それは彼女のもつ小悪魔的な魅力なのである。彼は彼女のもつ美、気品、威厳にひれ伏しているのである。それは神でなく、あえて悪魔としての魅力があると言いたくなる。

 

 

 男というのは女には叶わない。どうあがいてみても、女には負ける。

 三島由紀夫は「男が女に勝るものは知力と腕力しかない」と言う。それ以外はすべて劣っている。彼の『不道徳教育講座』では、だから「女には暴力をふるえ」と面白おかしく語っている。彼はホモだから女性にはキツイのかしら。(笑)

 その点、谷崎潤一郎は、こと女性に対しては眞に従順である。

 

 

 今回は、谷崎潤一郎の小説『悪魔』を取り上げたい。

内容を一言で言うと、神経衰弱の男の物語です。

 主人公の佐伯は、帝大に入学するために汽車に乗って上京します。汽車の中で、佐伯は衰弱した神経が波立つのを感じて、戦慄に耐えきれず途中で降りてしまいました。そんな、やわな青年です。

そしてようやく東京に着いた佐伯は、叔母のいる林家の2階に住み始めます。そこで佐伯は、いとこの照子と再会しました。照子は肉付きの良い身体を着物で包んでいます。佐伯はそんな照子の目や鼻、唇や髪に魅力を感じるのでした。

大学をさぼりがちの佐伯は、家の2階でウイスキーを飲んだりタバコを吸ったりして過ごします。照子はそんな佐伯の部屋を訪れ、ともすると1~2時間話していくのでした。

 さあ、そんな彼と照子に、ある出来事が起きます。

10月半ば、佐伯の部屋を訪れた照子は風邪をひいていました。照子は着物のたもとからハンカチを取り出し、鼻をかみます。そしてひとしきり話したあと、照子は佐伯の部屋を後にしました。

佐伯の手元には、照子が忘れて行ったハンカチがあります。ハンカチを開くと、そこには鼻かぜ特有の臭いを帯びた鼻水がくっついています。佐伯はそれを両手にはさんでみたり、頬に叩きつけたりしていましたが、しまいにそれを舐め始めました。

佐伯は、こうして照子に踏みにじられていくのだ、と思います。それからも、照子は佐伯の部屋を訪れては佐伯を刺激します。佐伯は、照子にハンカチの一件を見破られるかとひやひやしながら、照子にもてあそばれるのでした。

 

この小説『悪魔』は、谷崎が悪魔主義者であると評されるきっかけとなった作品です。悪魔主義とは、社会的規範から外れた行動や嗜好を示す倒錯的な考え方を指します。醜いことや、汚いこと、異常なことを描き、その中に美と感動を見いだそうとする特徴があります。

道徳よりも美を上位とする思想で、芸術至上主義と似たところがあります。『悪魔』で言うと、照子の淫婦ぶりやそれを忌々しく思いつつも受容してしまう佐伯、背徳感を覚えながらも照子の鼻水を舐めてしまう佐伯の様子などが該当します。

こうした谷崎の悪魔主義は、平凡なサラリーマンが15歳の少女の下僕になるまでの道程が描かれる『痴人の愛』へつながっていきます。

 

 

 以上のストリップ太郎の話を興味深く聞いていたちんぽ三兄弟が納得顔で話します。

「ハンカチの鼻水の件は、先に述べていたニオイやスカトロジーに通じているね。文豪が取り扱うと芸術作品になるんだね。 芸術と変態は紙一重なのが面白い。」

「ストリップでも、パンプレでGETした下着をおもむろに鼻にあて匂いをかぐ奴がいる。 中には、下着に大好きな踊り子さんの沁みが付いていたと狂喜している奴もいたもんな(笑) 沁みは鼻水の延長線だわ。」

「それを見て笑っている踊り子さんは照子と一緒だね。みんな、小悪魔ちゃんなんだよ!」

 

                                     つづく