ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第87章 ストリップとスカトロジー ~芥川龍之介『好色』を読んで~ の巻

 

 

 さすがに文豪の作品にスカトロについて書いたものはないだろうと思っていたら、すごい作品に出会った。それが芥川龍之介の短編小説『好色』である。なんと男が女の大便を食べる話である。読んでいて目が点になった。この作品は芥川の作品の中でも全く有名でない。いわばB級作品。しかし、私は芥川龍之介の全作品を読み切ろうとしているので遅かれ早かれ、この作品には出会ったはず。ネットの「青空文庫」にも堂々と載っている。

 芥川龍之介は、古典である今昔物語や宇治拾遺物語などをネタにしてたくさんの名作を作ったが、この『好色』も実際に『今昔物語』の「平定文仮借本院侍従語」と、『宇治拾遺物語』の「平貞文本院侍従等の事」として載っている話である。改めて、今昔物語や宇治拾遺物語などが今では古典文学と云われているが、実は下世話な猥雑な話も多い説話集なのである。今でいうエロ本なんだな。ともあれ、こうした今昔物語や宇治拾遺物語などに光を当てたことが芥川龍之介の功績のひとつだとされている。

 芥川龍之介の作品は偉大なる文豪として教科書でもたくさん取り上げられているが、この『好色』を教室で朗読したらどんな光景になるだろうなと想像してみる。若い学生諸君はどんな反応を示すことだろうと、考えただけで愉快になる。

 と、ここまで話したら、読者の方はどんな内容だろうか、と早く聞きたくなるだろう。が、少し我慢してもらい、先に本題である「ストリップとスカトロジー」について話してみる。

 

 

 今のストリップからは、ちょっとスカトロジーというのは結びつき難いだろう。

 ところが、昔のストリップはなんでもありのエログロ路線で特にSMショーは多かった。この中にスカトロジーも含まれる。

 ひとつ昔話を紹介する。40年近く前の頃、私が印象的に記憶している踊り子さんで「薬師丸桃子さん」という方がいた。薬師丸ひろ子と菊池桃子がアイドル全盛時、二人をもじったユニークな名前だったので記憶に残っている。アイドルというよりは綺麗系の方でしたが美人で人気がありました。彼女はステージ上で積極的に奇抜なアイデアに取り組んでいました。そのひとつがアヌスへの「入れポン出しポン」でした。鉛筆のような小さいこけしでしたが度肝を抜かされました。彼女はSMにも挑戦し、浣腸ショーなんてものがありました。お客がじゃんけんで選ばれて数人がステージに上がり、次々と彼女に浣腸していく。最後に水槽にまたがり、排泄シーンを見せる、という凄い内容でした。当時はこんな企画が平気で行われていました。

私がストリップを頻繁に観だした20年前にも、劇場でスカトロジーはあった。当時はSMパフォーマンス系出身の踊り子さんがけっこうデビューしていた。その中で、TSミュージックにて、Kさんはデビュー当時、カレーライスにおしっこしてそれを客に食べさせたり、水槽の上での脱糞ショーもやっていたなぁ。Nさんは、コップにおしっこをして、それを飲み干していた。飲尿健康法というのは聞いたことがあったが、なんせ美人のNさんの飲尿ショーだから驚いた。私もNさんだったら飲みたいと思ってしまった。(笑)

最近でも渋谷道劇のアイドルYさんがSMショーの企画でおしっこをコップにして客に飲ませたという話を聞いた。仲良しのミカドのスタッフが、Yさんのおしっこが飲めるからSM企画に是非来て下さいな、と勧誘されたことがある。本気で行こうかなと思ったが結局行かなかった。(笑)

こうした企画も、最初のデビュー当初だけで、彼女たちは通常の踊り子として人気が出てくると皆さん止めてしまった。どうも一般のストリップ客には馴染まないようだ。こうしたSM企画はたまに劇場で演ぜられる。客入りはよく儲かるらしいが、一般のストリップ客は敬遠する。

そういえば、私も前に好奇心で、こうしたSMやスカトロのショーを劇場で観たことがある。周りの客を見回すと、いつもの客層とはどこか違う。ところが中にちらほら見たことのある客もいた。

女王様の聖水ショーが始まった。客の何人かが手を挙げてステージにあがる。その中に、いつも劇場で親しく話を交わす仲間がいた。彼が喜んで女王様の聖水を呑んでいる光景を目の当たりにしてさすがに驚いた。

たしかに昔あった本番まな板ショーと同じである。お客が喜べばなんでもありとなる。しかし、やはり、私は、「ステージの上は公共の場である」と思う。本能を剝き出しにして性行為に走るのはどうかな、これは恥ずべき行為だと感じた。陰で個人的にやるプレイなら変態行為だろうとなんでも許されると思うのだが。

 

 さて、私が知ってる限りのスカトロ話を展開したが、いまやストリップ劇場そのもので演じられるスカトロショーというのは無くなった。(特別企画として開催されることはある)

 ところが、スカトロがアングラなものという感覚はどんどん無くなりつつある。

 AVの影響で、変態ものはしっかりとジャンルになっている。AV女優は最初のうちはクリーンなSEXものでスタートしても、すぐに飽きられてアナル、SM、スカトロに入っていく。それが当たり前のコースになっている。今やスカトロなんて履いて捨てるほどAV作品が多い。スト仲間にも、あからさまにスカトロ好きを公言する方もいるほど。

 ストリップでも、そういう感覚になっている。踊り子さんでも当然スカトロの知識はある。中には、AV女優としてスカトロ経験者もたくさん出ている。だから、ストリップ劇場でスカトロの話題が出ても、みんな平気なんだな。

  こんな話がやけに印象的に残っている。

 いつだったか、漫談の得意な人気者の踊り子Rさんが常連のおじいさんに向かって「私のおしっこ飲める?」と聞いた。おじいさんは「飲める」と即答した。すると「じゃ、私のうんちは食べられる?」と質問を重ねる。おじいさんは困った顔で「ううーん、うんちはちょっと無理かな」と答えていた。Rさんは「じゃ! ダメね。残念だわ」と言った。まわりの客は、踊り子Rさんと客の、そうした会話を微笑みながら眺めていた。今や、そんな会話がふつうにされる時代なんだね。それにしても、私はそのRさんの最後の言葉が不思議と印象に残った。

 

 

 ということで、以下に文豪のスカトロ作品を紹介する。

 まずは、芥川龍之介の『好色』の内容。

 平安時代の貴族の話。平貞文という光源氏並みにモテるプレイボーイがいた。彼は三人兄弟の次男だったので平中(へいちゅう)と呼ばれていた。

彼が恋文(ふみ)を出して、それになびかない女性はいなかった。ところが、あるお屋敷に仕える若い女房「侍従の君」は平中の手紙に全く反応しない。その態度に彼は苛立ち、ますます夢中になる。ところが何度文を出しても一向に反応がない。モテるはずの彼は自尊心がズタズタに傷つけられる。かなりショックを受けたようだ。なかなか諦めきれない彼は、最後に「彼女の嫌なところを見ることで」彼女に幻滅し嫌いになろうとした。そこで彼が考えたのは、なんと彼女の排泄した糞尿を見ること。

 当時のトイレ事情として、宮中の女性は用をたすときには、特別な漆箱(今のオマル)にした。それを下女が定期的に外に捨てに行く。平中は、その下女から無理やりオマルを奪って家に持ち帰ったのである。

 彼が箱の蓋を開けると、香ばしいニオイがして、箱半分くらい液体が入っていた。彼は箱に口をつけて液体をすする。さらに、その液体の底に、固形物が沈んでいた。彼はそれをつまんで鼻先に持っていく。つんとした香ばしいニオイに卒倒しつつ、おもむろに、それを口に入れ歯をたてた。

 てな、場面が続く。平中は最後に発狂して死んでしまう。幕はあっけない。

 この話をよく読むと、箱(オマル)の中のものは偽物(細工物)であったとする。糞尿がいい香りがするはずがないと。「侍従の君」は、平中が異常な行為に出ることを想定して、作り物を入れていたというのである。私はそんなことはありえないと思った。これは絶対に本物である。恋焦がれ気がふれていたら、糞尿もいい香りになるはずだと。

 

 この芥川龍之介の『好色』が当時、どれだけ評判になったかは知らない。

 ところが、谷崎潤一郎も同じ題材を使っている。彼は『少将滋幹の母』という長編の中で、平中のことを取り上げ、彼のひとつのエピソードとして、芥川の『好色』と同じ場面を書いている。その際、芥川くんが先に採り上げていることを作品の中で紹介している。ライバル関係にあった二人らしい。私はこの作品『少将滋幹の母』もすぐに読んだ。

 変態話が多い谷崎潤一郎だとむしろ驚きは薄い。彼は「好きな女性のうんちは食べられる」と公言していたらしいから。しかし、ストイックな芥川にはそんなイメージがないからショックは大きい。

  芥川は天才すぎる短編の名手であるが、彼の文章を味わうと、何度も何度も推敲を重ねたことが分かるほど、まさしく骨身を削るように精巧な文章を書く。芥川は長編を書けないことに悩んだようだが、彼の文章に取り組む姿勢を鑑みれば、彼には長編を書くのは無理だったと思われる。一方の谷崎はブルドーザーのように長編を書ける。彼も天才のごとく美しい文章を奏でる。しかし、二人の文学は違う。ひとつは取り扱う内容だ。谷崎はどんなに変態だと言われようと意に介せず自分の好きな趣味をどんどん書く。それに対して、芥川はまじめすぎる感じがする。今回、同じ平中のエピソードを描くにしても、芥川の文章は極めて拡張高い美文である。思うに、芥川も『好色』のようなお下品なことをもっと書いたらよかったのになと考えちゃう。谷崎のような変態ものに負けないようにね。そうしたら悩みやストレスも減っただろうに。

芥川は谷崎と激しい文学論争をしている。結果、芥川は悩み35歳で自殺する。一方、谷崎は晩年まで執筆をつづけ79歳で大往生する。そんな二人の文豪の対照的な人生をいまさらながら考えてしまう。

 

 

 最後にもうひとつ、最近読み上げた谷崎潤一郎の大作『細雪』の話をする。谷崎の最大の長編で、現代版源氏物語と評される谷崎の代表作である。この作品には変態チックなものは一切出てこない。長いがめちゃくちゃ読みやすく、私は二週間ほどで読み上げた。

 

谷崎潤一郎はこの『細雪』の中で、‘’理想の女性‘’に近い形で三女の雪子を描いている。題名が『細雪』というくらいだから、雪子の存在価値が大きいことは疑いない。

この原作を、市川崑監督が1983年に映画化している。ある旧家の4姉妹が主役であり、

長女の鶴子を岸恵子、·次女の幸子を佐久間良子、三女の雪子を吉永小百合、四女の妙子を古手川祐子が演じている。そうそうたる美人女優である。

私は長い『細雪』を読みながら、雪子に吉永小百合さんのイメージを重ねながら読んでいた。

だからこそ、長い長い小説『細雪』の最後の一行が、東京にいる婚約者に会いに行くために大阪から電車に乗り込む雪子に対して「下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた」という文章で終わることに、吉永小百合さんに下痢のイメージを残すなんて最悪だとも感じた。隠れサユリストである私としては許せない。

 なんでこうなっちゃうの?

 私が思うに、雪子は最後にようやく見合いが成就して、とうとう人妻になる。谷崎としてはそれがやるせなかったのかなと思う。雪子には永遠の穢れない聖女でいてほしかったんだな。だから谷崎一流の皮肉として雪子に下痢させて終わらせたんだ。きっと

先ほども述べたように、谷崎潤一郎は生前「好きな女の糞なら、喜んで食べられる」という発言をしているのだから、なんとなく納得してしまう。また谷崎の代表的エッセイ『陰影禮讃』では、彼は日本の厠についてニオイも含めて褒めちぎっているほどだから、彼がスカトロ好きであったことは間違いないし、それを堂々と格調高く言えるところがさすがの文豪である。長生きしたはずだ。

ふと、改めて思った。自分がこの女性を本当に好きかどうかは彼女のうんちを食べられるかどうかで決まるのかもしれないと。そうしたら、踊り子Rさんが発した言葉がようやく理解できた気になった。

 

 

ストリップ太郎のスカトロ話を興味深げに聴き終えて、ちんぽ三兄弟が騒ぎ出した。

「おれだったら、吉永小百合さんのうんちなら喜んで食べられるな。相手を愛おしいと思ったなら、彼女が出したものなら何でも愛おしいと思うはずだよ。よし、今度、『あなたのうんちを喜んで食べれるほど、あなたを愛してます』とプロポーズしてみようかな?」とビンビンくんが自信満々に話す。

「そんなことを言ったら変態扱いされちゃうよ。ぼくには、さすがにうんちまでは食べたいとは思わないな。」とフナャチンくんがどことなく情けない表情で言う。

「そういえば、スト仲間のMさんは踊り子さんのアヌスが好きだってよく言うよね。きれいなアヌスにすごく興奮すると言ってたな。そんな彼なら、女性のうんちは食べれると言うのかな? 今度、聞いてみたいな。」

「スト仲間のHさんはスカトロ・ビデオをたくさん蒐集していると言うから、きっと熱烈なスカトロジーで、喜んで食糞するのかな?」 

「しかし、そもそもストリップに来るレベルの男性に、そこまで深い糞尿愛好家なんていないんじゃないかな?」と三人は口々に話す。最後に、

「まずはステージを観ながら、この娘のうんちなら食べられるかどうか、という目で観てみようか。そのうえで、この娘のうんちは喜んで食べれると明言できるような踊り子さんに会いたいもんだな」とハンダチくんがしみじみ言った。

三人はしんみりと瞑想に耽った。

                                   

                                   つづく