ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第84章 ストリップと倒錯するSM(その2)  ~谷崎潤一郎『少年』を読んで~ の巻

 

 

 ストリップとSMの絡みを書くに当たり、これまでのストリップのステージ作品を思い起こしてみる。

 ステージでSMを演ずるとすれば、SかMかのどちらかになる。両方をひとつの演目で演ずるなんてできない。チームショーなら可能かな。ともあれ、Sとすれば凛とした女王様を演じ、Mとすればご主人様に隷属したメイド役や奴隷を演ずることになる。

 では、演じている踊り子は、自分がSかMかを自己認識しているかと言うと、そうでもないのだと感ずる。たまたま、ボンティージに憧れ女王様の恰好がしてみたいと思ったに過ぎないのだろう。

 だいぶ以前に六本木にあるSMクラブ「レーヌ」で働く現役の女王様がストリップの舞台に立ったことがあった。めっちゃ綺麗で、鞭を振るう姿に神々しさを感じた。この人はたしかにSが似合うなと思った。でも実際にSMクラブで女王様役になりきるというのは難しいらしい。女王様の方がなりきらないとSMプレイ自体がしらけてしまう。そこで女王様を勉強するために、一旦M女を経験させるという話を聞いたことがある。そうすればM男くんの気持ちが理解できるわけだ。なるほど

 たしかにストリップでのSMショーはけっこう見てきた。以前はエログロなストリップ企画の定番としてSMショーが演ぜられることが多かったこともある。

最近でも、SMパフォーマンス系から踊り子に転身するケースが多いため、彼女たちがSMを演ずることも多い。

 

しかし、往々にして、SかMかといえば曖昧なんだと思う。なんとなく、自分はこっちが好きとか、なんとなくこっちが似合う、というレベルの感覚なのかな。

以前こんな経験をした。SMショーの中に、M女を演ずる自縛ショーというものがある。まさに自分の身体を赤い縄で亀甲縛りにして、最後は宙吊りとなる。最後に、彼女は盆回りの客に鞭を渡して叩かれていた。その喜んでいる姿を見るに、私は彼女が本物のM女なんだと思った。そのため、私は鞭を渡されたとき、少し強めに叩いた。それを見た周りの客は驚いた。他の客は遠慮がちに軽くぺたぺたと叩くようにしていた。だから、隣の客は「そんなに強く叩いたら痛いだろ。それに体に傷ついたら大変だよ。」と私を諫めた。しかし、私は彼女の目が喜んでいたのを感じていた。「強めに叩いて!」という彼女の目の訴えを感じたからこそ私は強めに叩いたのだった。私はそのとき自分にはS気があるのかなとも感じた。しかし、それは違う。いつもステージの上の踊り子さんを憧れで見る私のまなざしは本来M気が強いのだと自己認識している。

まぁ私は、踊り子さんに「あなたはSですかMですか」と尋ねられると、「私はSでもMでもなく、単なるHです」と答えるようにしている。ストリップファンなんて、所詮そんなものであろう。

だから、SMについて語る内容も全然かわいいものである。(笑)

 

 

さて、SMを取り扱った物語として、谷崎潤一郎の短編小説『少年』を紹介する。

少年期には特有の残酷さ(いじめ、昆虫への虐待など)がありますが、本作はそれが前面に描かれている作品です。

登場人物は四人。

10歳くらいの主人公「私」。

私と同い年の信一(しんいち)。彼はお金持ちの息子で、大きな屋敷に住んでいる。彼は美形だが、意気地なしの弱虫で、学校ではいつも女中(お手伝いの女性)と行動を共にしている。

私と信一より1~2歳上のガキ大将である仙吉(せんきち)。信一の屋敷に仕えている。そのため、学校では信一をいじめる立場だが、家では信一に仕える立場に逆転する。

そして、信一の姉である光子(みつこ)。13~14歳の美少女。ただし妾の子のため家のなかでは信一より立場が弱い。外国人にピアノを習っている。

この四人の少年少女が信一の家のなかで「妖しい遊び」を始める。

まずは、私と信一と仙吉の三人での遊びから始まる。

最初は「泥棒ごっこ」。警官になった信一は、泥棒役のガキ大将・仙吉を捕まえるや、仙吉の着物の帯を解いて彼を縛り、両脚のくるぶしまでくくってしまいます。信一は捕縛された仙吉に「罪人だから入墨をしてやる」と墨を擦ったりします。

次は「狼ごっこ」。信一は「自分が狼になるから、私と仙吉は旅人になり、しまいに狼に喰い殺される遊びをしよう」と提案します。狼に噛まれて土間に横たわった仙吉は着物の裾をまくられて腰から下を露出し、背中に乗った信一はむしゃむしゃと食べる真似をします。

信一は同様に横たわっている私にも乗ってきて鼻の頭から食べ始めました。泥の付いた草履で顔を踏まれても、私は不思議と恐怖よりも快感を感じるようになります。そして、いつの間にか心も身体も信一の自由になるのを喜ぶようになりました。

遊びは過激化します。ここから光子も加わります。

最初は「狐ごっこ」。お雛様飾りの前で繰り広げられます。

仙吉と私の前に、美女に化けた狐の光子が現れ、足で踏みつぶした饅頭や、痰や唾を吐き込んだ白酒をすすめます。私と仙吉はそれをたいらげます。そこへ信一が現れて、人間をだます狐の光子を退治しようとします。光子は抵抗しますが、信一の号令のもと私と仙吉は光子の両脚を抱きかかえて縛り上げます。信一が口に含んだ餅菓子を光子の顔に吐き散らし、私と仙吉もそれをまねました。

 次は「犬ごっこ」。信一は本物の犬を連れてきました。お菓子を平らげてしまった犬は、信一の指の先や足の裏をぺろぺろ舐め始めました。それを見た3人は負けじとその真似をします。「綺麗な人は、足の指の爪の恰好まで綺麗に出来ている」と考えながら、私は一生懸命信一の指の股をしゃぶりました。

毎日のようにこのような遊びを続け、私・仙吉・光子はいじめられるのを喜びましたが、中でも一番ひどい目に合わされるのは光子でした。

 ところが、立場が逆転するようになります。

それは「家来ごっこ」。

 ある日の夜、光子は「仙吉に会わせてあげる」と私を屋敷の西洋館に誘いました。そこには手足を縛られて衣服を脱いだ仙吉が額へろうそくを載せて、上を向いて座っていました。溶けたろうは両眼を縫い、唇を塞いで、顎から膝へぽたぽたと落ちています。光子は「これからあたしの家来にならないか」と私に言いました。私も仙吉同様に縛られて、蝋で目と口を塞がれます。

次の日から私と仙吉は光子の前ではおとなしくひざまずきます。信一も逆らえば私たちに制裁を加えられるので、光子の家来になりました。次第に光子は調子付き、3人を奴隷のように使って、私・仙吉・信一・光子で構成される狭い国の女王となりました。

 

 以上の内容です。他人からの侮蔑が極まると、逆に快楽を感じるというマゾヒズムの構造が、鮮やかに描かれています。

ここで注目されるのは「サドマゾの逆転」です。

学校でガキ大将の仙吉はサド、信一はマゾ。遊戯の時は信一がサド、私・仙吉・光子がマゾです。中盤までは、私と仙吉は光子に対してサドを前面に出して接します。終盤になると立場が入れ替わり、光子がサド、私・仙吉・信一がマゾになります。

 

このように、サドとマゾは反転しやすく、表裏一体なのだという谷崎の認識が、テーマとして盛り込まれています。デビュー作の『刺青』も、初めはサドの清吉に焦点が当たっていましたが、清吉によって覚醒した娘は、清吉よりも優位な立場に変わります。

長編で初期・中期を代表する『痴人の愛』『卍』『春琴抄』にも同じことが言えます。この考え方は、谷崎作品を読み解く上でキーになります。

 

 

ストリップ太郎の話を聞き終えて、ちんぽ三兄弟が騒ぎ出しました。

「おれ、この谷崎の小説『少年』を知っているよ。これに影響されて漫画家の古屋兎丸氏が『帝一の国』『ライチ光クラブ』を描いたらしいよ。『ライチ光クラブ』は2016年に映画化もされた。」 漫画好きのビンビンくんが言う。

「そういえば、ストリップのステージで、この『ライチ光クラブ』をモチーフにした演目を観たことがあるよ。道劇所属の新條希さんと栗橋所属のRUIさんのチーム「Bitter chestnuts」による作品『ゼラジャイ』。ぼくはこれにインスピレーションを受けて創作童話『こだわり男爵とリセット少女』を書いたので鮮明に覚えている。しかし、こんなところにストリップと谷崎ワールドが繋がっているのを知ると感動を覚えるな。」

「それにしても、この『少年』は小学生くらいの年頃の話なので激しいノスタルジーを蘇えさせてくれるね。

自分はもっと幼い頃のことを思いだす。近所の女の子との『お医者さんごっこ』だ。

あるとき、私は好きな女の子と見せ合いっこしたんだ。最初に、私は単純に女の子のあそこが見たかったので、相手に『見せて!』と言った。そうしたら『あなたのも見せてくれたら、私も見せてあげる』との答えが返ってきた。やったー!! うまく交渉が成立したわけだ。お互い幼かったから、どのくらい恥ずかしかったか覚えていない。きっと興味より相手への気兼ねが強かったに違いない。だから、その見せ合いっこも瞬間の出来事だった。

不思議にも、後々、そのことをよく思いだす。そのたびに『彼女のあそこをもっとしっかり見ておけばよかった』と後悔の念に襲われるんだ(苦笑)。」

「なるほど、きっとそのときの気持ちが今でも強く残っていて、こうしてストリップに通っているのだな。」

「死ぬときに後悔しないように、しっかり見ておきたいものだね。」みんなは笑いあった。

 

   つづく