ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第83章 ストリップとSM(その1)  ~三島由紀夫『サド公爵夫人』を読んで~ の巻

 

 

「ストリップとSM」なんてタイトルを掲げてしまったが、やっば、SMについては、あまり人前で話してはいけないのかな。ホントに変態さんかと思われるからね(笑)

太宰治の名作『斜陽』の中に、「他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。」とある。太宰が言うと、とても文学的でロマンチックだが、所詮『人間とは、ひめごとを有する生き物だ』と思う。

SMというのは典型的な‘ひめごと’に思える。

 

 

まぁともかくSMについて考えるにあたり、三島由紀夫の『サド公爵夫人』を読んでみた。三島の代表的な戯曲である。たまたま題名に惹かれて読んではみたが、ありゃりゃ、この本からSMを解釈するのは全く無理だし、読んでいて、やっぱ三島文学は小難しいなぁ~というのが最初の感想だった。

 

この『サド公爵夫人』の内容に触れる前に、そもそもサディズムという言葉が、サド公爵夫人の夫であるマルキ・ド・サドに由来していることを知らないといけない。

サド公爵のことを話す。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

マルキ・ド・サド(1740年6月2日 - 1814年12月2日)は、フランス革命期の貴族、小説家。マルキはフランス語で侯爵の意。

サドの作品は暴力的なポルノグラフィーを含み、道徳的に、宗教的に、そして法律的に制約を受けず、哲学者の究極の自由(あるいは放逸)と、個人の肉体的快楽を最も高く追求することを原則としている。サドは虐待と放蕩の廉で、パリの刑務所と精神病院に入れられた。バスティーユ牢獄に11年、コンシェルジュリーに1ヶ月、ビセートル病院(刑務所でもあった)に3年、要塞に2年、サン・ラザール監獄に1年、そしてシャラントン精神病院に13年入れられた。サドの作品のほとんどは獄中で書かれたものであり、しばらくは正当に評価されることがなかったが、現在その書籍は高い評価を受けている。

 

   サドの最初の本格的な作品として 『ソドム百二十日』がある。1785年にマルキ・ド・サドがバスティーユ牢獄で著した未完の小説である。ちなみにソドムは街の名。

この中では、悪事と放蕩によって莫大な財産を有する4人の男が、フランス中から拉致してきた美少女・美少年達と深い森の城館で120日に及ぶ性的・拷問的饗宴を繰り広げる物語が、性倒錯、暴力、善悪、反道徳、無神論といったテーマと共に描かれている。犠牲者はありとあらゆる性的虐待と恐ろしい拷問の末に大半が殺される。

これが後年、イタリアの映画監督により映画化された。1975年製作の『サロ、またはソドムの120日』(邦題『ソドムの市』)である。舞台をファシズム末期のイタリアに置き換えた映画。この映画には強姦、食糞、四肢切断などの恐怖シーンがある。同時代人の多くはこれを史上最も物騒な映画だと考え、世界各国で上映禁止とされた。

 そういえば、余談ではあるが、私のスト仲間が興味本位で『ソドム百二十日』という書物を購入して読んだらしい。全然おもしろくなかったと評していた。彼が求めていた内容でなかったんだろうな。そんな読書家の彼が、私のこの童話『ちんぽ三兄弟』を読んでくれ、非常に面白がり、私のこの童話をストリップ版「ソドムの市」と評してくれた。是非とも貴重なストリップ記録(風俗資料)として、この物語を遺してほしいものだと言ってくれた。とても嬉しい感想だった。

 

 さて、SMの話を続ける。

 SMという言葉を始めて表したのは、オーストリアの精神医学者リヒャルト・フォン・クラフト=エビングという人である。彼は、「異常性欲」について、「フェティシズム」、「同性愛」、「サディズム」、マゾヒズムの4つに分類している。このうちの「サディズム」は、相手に対して、精神的で身体的な屈辱と苦痛を与えることによって性的な快楽や満足を得ることを意味する。まさにサドの名前に因んで名付けられたわけだ。ちなみに、その逆になる「マゾヒズム」はオーストリアの作家マゾッホの名に因む。

 だから、変態といえば、一般的にはこの異常性欲を示すものとされる。本童話における話も、この異常性欲を軸として展開していくことになる。

 

 

 ここで、話を三島由紀夫の戯曲『サド公爵夫人』に戻す。

 この物語には、肝心のサド侯爵は登場しない。牢獄中のサド侯爵について、どうにか救いたいという気持ちもあって、六人の女性が語り合う内容になっている。サドの妻、その妻の母親と娘(サド公爵夫人の妹)を中心に、その友人たちも加えた、彼女たちの視点から好き放題にサドを語る。時に、その矛先が、サド侯爵だけでなく、お互い同士を批判し合う。女性たちには鬼気迫るものがあるし、感情のぶつかり合いは恐ろしく、その「こわさ」が本作の面白さになっている。

特に、夫サドを庇い待ち続ける貞淑な妻ルネの存在が印象的だ。ルネは悪徳の名を負い悪の裏階段を上ってしまった夫が退廃的であることは重々承知している。また、自分という妻の存在がありながら、夫が妹と不倫し逃亡したことも知っているし、それを容認もしている。また後年にはサドの、文字通りサディスティックな行為も受け入れている。まさに夫を護るべく貞淑の鏡のような存在である。ところが、物語の最後に、これだけ夫サドを庇っていた貞淑な妻ルネが突然サドと離婚することになる。後年ようやく夫が解放されるという直前になって、彼女を離婚に駆りたてたものは何か? 彼女の人間性にひそむ不可思議な謎こそが本作の最大のテーマになっている。

 

表向き、彼女はあくまで貞淑な妻なのだ。その二面性がこわくなる。文中、「おまえが貞淑というと妙にみだらにきこえる」と母親が言うのも当然だと思う。

 しかし、こうした二面性は彼女に限ったものではないと思える。

常識的に見て、まちがったこと、ゆがんだこと、悪いこととは知っているけれどついやってしまうこと、大仰な言葉を使うなら、悪もしくは背徳に惹かれる人は少なからずいる。

程度の大小や、事象の種類にこだわらなければ、ある程度の人はそういう感情を持っている。少なくとも、そういったことを想像するくらいならたいていの人はする。

そもそも、人が悪や背徳に惹かれるのは何に依るのだろうか。

背徳的な行為そのものに惹かれるのか、それとも道徳からはずれた自分自身に惹かれているのだろうか。それとも背徳を行なう人物に惹かれ、自分もその世界に踏み込むのか。

人間は常に多面的な存在でもある。その恐ろしい二面性もまた人の真実だろう。

だから、貞淑を体現しながら、同時に背徳に惹かれているのは、人間のあり方としては自然だろうし、業であるのかもしれない。

そして同時に、貞淑をやたらに強調するのは、貞淑であるほどそんな自分の背徳的行為が際立つから、行なっているのかもしれないなとも思えてしまう。

そんなルネの姿は、見ようによっては、自己陶酔の側面が強いよな、なんて思う。

特にラストのサドに対する賛美の言葉はその思いを強くさせる。

彼女はその場面で、背徳を突き詰めて、独自の世界に至るサドを絶賛している。だがそれは実際の生身のサドそのものに対する賛美ではないのだ。ルネが淫しているのは、背徳という行為の概念にすぎないのではないだろうか。

そしてそれは裏返すと、背徳という行為に走り、それに惹かれる己自身に対する自己愛なのではないか、と私には見えてならない。

そしてそんな彼女の姿もまた、人、という存在そのものなのかもしれない。

そう考えると、この戯曲が、文学的香気に満ちた、優れたものに見えてくる。

 

私は以前から、SMプレイの根底には「愛」がないとプレイ自体が成り立たたないと思っていました。M男は女王様の愛を信じて苦痛に耐えます。いや、愛があるからこそ苦痛も快感になるのでしょう。ふつうのセックスが単純な射精で終わるのに対し、SMプレイは本来時間の制限はなく果てしなく続くことも可能です。大事なことは、そこには互いの信頼関係が存すること。だから、ふつうに風俗店で行うSMまがいのプレイ、単に変わった趣味・嗜好に合わせて行っているプレイには「愛」がないために本当のSMプレイではない。私にはそう思えました。

三島の『サド侯爵夫人』でいう自己愛も「愛」のひとつのカタチです。

きっとSMというのは奥の深いものなのだと思います。

 

 ここまで来て初めて、太宰治のいう『人間とは、ひめごとを有する生き物だ』の意味が分かってきた気になりますね。

 

                                    つづく