ストリップ童話『ちんぽ三兄弟』

 

□第80章 早死にする文豪たち の巻

                          

                                         

 ストリップ太郎のコロナ話が続いた。

ちんぽ三兄弟はストリップ太郎の話を黙って聞いていた。彼らは相変わらず、毎日のようにストリップ通いをしている。客が激減する中、自分らこそストリップ通いするのがストリップ業界へのささやかな貢献だと信じて疑わなかった。

そのために、早々にコロナのワクチン接種も受けていた。これには思惑もあった。今は入場時の制限は検温だけだが、万一、その証明書(ワクチンパスポート)が入場条件になっても大丈夫なようにしておこうと考えていた。プロ野球やサッカー観戦に導入される噂があったためだが。まぁ現在のところ、ワクチンパスポートが必要なのは海外渡航時だけであるが。(笑)

一方、ストリップ太郎はストリップ通いを極力控えようとしていた。シアター上野での警察ガサ入れがショックで長いレポートをまとめたり、ブログを開設したことは既に話した。ちんぽ三兄弟も、彼のブログをよく拝見していた。

「あれだけ、ストリップ通いしていたんだから、行かないと退屈したり、淋しくなったりしませんか?」と、ちんぽ三兄弟が尋ねた。

 それに対して、ストリップ太郎は「ブログを毎日のように更新するのに、けっこう時間が費やされるんだ。過去20年間、書き散らした原稿を読み返すだけでもずいぶん労力がかかる。今のうちにデータを整理しておかないと収集つかなくなるからね。」

「また、これまで書きたいと思っていた長編小説などもあって、それにも着手しておきたいんだ。そう思えば、いくら時間があっても足りないくらいさ。」

「それから、もうひとつあるんだ。これまで読んでみたいと思っていた小説を今ようやく読んでいるところなんだ。振り返ると、宮沢賢治の童話は好きで昔からよく読んでいた。学生時代には司馬遼太郎、吉川英治、城山三郎などの長編も読んでいたが、途中から長いのは段々きつくなってきた。社会人になってからはビジネス書ばかり。今頃になって、芥川龍之介や太宰治などの純文学を読みたいと思い始めたんだ。太宰なんかは、ふつうは青春時代に読んでいる人が多いと思うんだけど、なぜか私は老後になってしまった。六十の手習いと思えばいいか(笑)」

 

 

 そう話してから、次に、ストリップ太郎は、文豪について語り始めた。・・・

 文豪の作品を読みたいとすればどうするか。図書館に行けば無料で借りられるが、必ずしも全作品がそろっているわけではない。ところが、過去の有名な文豪作品は今やネットの「青空文庫」にほとんど入っている。ほんと便利な世の中になったものだよ。調べたところ、著作権の期限は原則死後または公表後から70年となっている。だから、芥川龍之介や太宰治などの作品はもう著作権フリーになっているんだね。

そうそう、つい最近まで著作権は50年だったんだ。それが著作権保護の観点からか2018年12月30日から70年に延期されたんだな。これにより川端康成や三島由紀夫が見れなくなったのは残念だ。川端康成や三島由紀夫などの作品はもっと多くの日本人に読みやすくすべきだね。ケースバイケースで配慮すべきだと思うね。

それにしても青空文庫はボランティアが製作しているというから大儀なことだ。私のように今から読もうと思い、その恩恵にあずかれるのはホント感謝に堪えない。

 

 そこで、いざ読もうと思うわけだが、長編小説はあまり読み慣れておらず、経験上ちょっと大変かと思い、まず短編から読み始めることにしたんだ。

 そうしたら芥川龍之介や太宰治は短編作品が多く、「午前中に芥川龍之介を一篇、午後には太宰治を一篇」みたいなペースで読むのが可能なんだ。太宰治の場合は長編も多少あるので、そのときは時間がかかるけど。

それにしても、太宰の長編はことのほか面白く夢中にさせられた。すぐに彼の長編作のほとんどを読み切った。最近では、長編の魅力にはまり始めたところなんだ。

 実は、芥川龍之介や太宰治の次にはまったのが谷崎潤一郎なんだ。『痴人の愛』に始まり、どんどん読破していき、いま彼の最大の長編『細雪』を読んでいる最中なんだ。

 

 こうした有名な文豪の作品を読んでいて、嬉しいことは、ネットに解説や感想がいっぱい掲載されていること。作品を読んだら、すぐにネット検索してみる。すると、解説や感想がすごく参考になる。読んでるときはピンとこなかった内容が、こんなに味わい深いものかと分かるんだ。これに完全にはまってしまった。

 長編を読む際に、最初にネットであらすじや登場人物をチェックしておいて、それから読み始めると理解度がぜんぜん違う。さっき話した長編『細雪』もそうやって読み始めたら、するっと話に入っていって止まらなくなったよ。

 また、解説で、他の作家の作品まで紹介されていると、それも読みたくなる。そのため、どんどんスパンが広がっていく。最近ようやく読書の楽しみが分かってきた感じなんだ。

 

 昔の文豪というと読みづらいかなと思っていたら、そんなことは全然なかった。芥川龍之介や太宰治なんかはすごく読みやすい。谷崎潤一郎もすごく読みやすく書かれている。変に難解なものと思い込んでたなと反省している。すっかり文豪を見直してしまったよ。

 芥川龍之介や太宰治を好きになると、内容の面白さを求めるというより、彼らの美しい文章やリズム(文体の呼吸みたいなもの)に毎日触れているだけで幸せな気分になるんだ。

 

 もうひとつ付け加えると、文豪の作品は、ネットで朗読されているものが多い。昔、図書館でカセットテープを借りて車の中なんかで聞いていたことがあったけど、数は少なかった。ところが今やネットですごく増えたよね。解説ものも多い。これらを活用すると読書が非常に効率的になることを発見した。たとえば、自動車運転中や入浴中や就寝中でも聞けるので、読むスピードや作品数が格段にアップしたんだ。

 

 

 さて、前置きが長くなったけど、ここから今回の本題に入っていく。

  いろいろと文豪に興味を持ち始めて、戦前の明治・大正・昭和期の文豪たちは早死にしている方が本当に多いなぁと感じた。30代で亡くなっている人がすごく多い。太宰治38歳、 芥川龍之介35歳。もっと長生きしてくれてたら、もっと多くの名作が残せたのになぁと残念に思っちゃう。

 文豪というと、太宰治の心中(享年38)、有島武郎の情死(享年45)、芥川龍之介の服毒自殺(享年35)、川端康成の安楽死(享年72歳)、三島由紀夫の割腹自殺(享年45歳)が真っ先に思い浮かぶ……全て自死である。それぞれ事情があるが、その点については今回は省く。

 

 芥川と太宰以外で、早死した方を思いつくまま以下に列記してみる。

・五千円札の肖像になった樋口一葉は結核により病死。24歳。

・「一握の砂」などで有名な詩人の石川啄木は、結核により死去。26歳。

・詩人の中原中也は結核性脳膜炎により死去。30歳。

・抒情詩人の金子みすゞは服毒自殺。26歳。

・詩人の八木重吉は結核により病死。29歳。

・詩人の北村透谷は25歳で自殺。

・『ごん狐』などで知られる童話作家の新美南吉は喉頭結核によって病死。29歳。

・敬愛する宮沢賢治は「急性肺炎」で病死。37歳。

・『檸檬』で有名な梶井基次郎は病死。享年31歳。

・紡績工場のルポルタージュ『女工哀史』で知られる小説家の細井和喜蔵は急性腹膜炎で死去。28歳。

変わったところでは、

・プロレタリア文学『蟹工船』で有名な小林多喜二は特高の拷問により死去。29歳。

 

 これらを眺めていて、真っ先に気づくことは結核による病死が多いことである。

 当時は、不治の病として「結核」が大流行していたのだ。肺に感染して症状を引き起こすことが多いので、咳や痰などが主要症状である。エジプトのミイラから典型的な結核の痕跡が見つかるなど、結核は人類の歴史とともにある古い病気である。日本では、明治以降の産業革命による人口集中に伴い、結核は国内に蔓延し、「結核は国民病」と呼ばれた。

明治時代から昭和20年代までの長い間、「国民病」「亡国病」と恐れられた結核を、薬で退治することは人類の長い間の夢でした。1944年、ワックスマンが放線菌から作り出したストレプトマイシンはその劇的な効果で、まさに「魔法の弾丸」と呼ばれるにふさわしいものでしたが、一つの薬剤による治療では、やがて使用した薬剤が効かなくなる。結核が進化し耐性菌になる。コロナが変異株になるのと同じ。ともあれ、結核については、今では、国をあげて予防や治療に取り組み死亡率は往時の百分の一以下にまで激減した。けだし、昨今の日本において、この病の脅威が消えたわけではない。

 ともかくも、文豪たちが生きた時代は、現在のコロナ禍とよく似た状況にあったわけだ。

 

 最近、コロナ禍の下で自粛生活を送っている自分が、たまたま文豪作品に触れ、強い関心を持ち始め、これらに影響されつつ執筆しているわけだが、すごく複雑な心境になっている。こうしているのが言い知れぬ縁のようにも感じられるのだ。

 もちろん、還暦を過ぎた自分がいまさら早死とは言えないし(笑)、文豪なんかと比べるべくもないのだが、こうして彼らの作品と縁を得たことに望外の幸せを感ぜずにをれない。豊かな老後のメルクマールになってくれるものと確信する。

 

 ところで、文豪といえば、近代文学の二大巨頭である夏目漱石と森鴎外はそれぞれ享年49歳と60歳で亡くなった。現代の感覚で言えば早死にかもしれないが、当時の平均寿命を考えれば早死にではない。二人の死亡は、当時の新聞記事には早死にとは記されていない。

明治、大正時代の男の平均寿命は43才くらいという。とくに、明治時代なら戦争もしていたし普通だと思う。

平均寿命の経緯を見ると、戦後直後の1947年で50才、1951年に60才、1971 年に70才、2013年に80才だ。 伸びた理由は、乳幼児の死亡率の低下、結核などへの医療の進歩、生活環境の改善、などがあげられる。

 

 さて、早死にした文豪が多いという話をしたが、中には長生きをした文豪も当然いる。

幸田露伴は80歳、志賀直哉は88歳、太宰治の恩師である井伏鱒二に至っては95歳まで生きた。みんな、自然な老衰死である。

たまたま、私の文豪読書がただ今、谷崎潤一郎なので彼の話をしたい。彼は1965(昭和40年)年7月30日(79歳没)で人生を全うした。彼は若い頃は芥川龍之介と親交があり、文学上で激しい論争もした。芥川は文学に深く悩み自決したが、谷崎は長生きした。谷崎は、私生活では3度の結婚をし、その美人妻や他の女性関係でも揉めた。彼はそうしたスキャンダラスな世界を小説にも描いている。また彼は、脚フェチを始めとした強いマゾヒズム嗜好をもった変態でもある。それを包み隠さず文章に落とし込み、しかも煌びやかな文学の世界に包み込んだ。谷崎だから文豪なのであって、一般人なら単なる変態ということだろう。

谷崎潤一郎の恩師は、永井荷風である。谷崎は裕福な家に生まれたものの、父親の商売がうまくいかず家が傾き、東大を中退せざるをえなかった。ところが、谷崎の才能を認め文壇につなぎとめたのは永井荷風であった。

永井荷風は、文豪のひとりであるが、一方で、晩年になると浅草ロックに通っていたストリップ爺である。ストリップを執筆活動の刺激剤としていた。彼は若い頃は女遊びもし、結婚歴もあるがすぐ離婚し、その後は長く独身を通した。79歳で病死するが、まさしくストリップ客に多い独身貴族であり、最後は孤独死している。「4月30日朝、自宅で遺体で見付かった。通いの手伝い婦が血を吐いて倒れているのを見つけ、最後の食事は大黒屋のかつ丼で血の中に飯粒が混ざっていた。胃潰瘍に伴う吐血による心臓麻痺と診断された。」(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

思うに、永井荷風も谷崎潤一郎も、エロスの力で長生きできたのではないか。

私も、谷崎のように、自分を変態だと思っている。ただ世の男性というのは多かれ少なかれみんなそうかもしれない。「結婚前は自分ほどスケベな男はいないなと思っていたもんだが、いざ結婚してみると自分ほど淡白な男はいないなと思うようになったわ」なんて、酒を飲みかわしながら笑って話している。そんなもんだ。だから、私なんかも変態と思っても、せいぜい、文学の世界を堪能したり、ストリップ通いで発散するしかない小心者なんだな。でも永井荷風に負けないほどストリップ通いに励んでいる。私も長生きするかもしれないな。(笑)

最近、大きな声では言えないが、太宰治の『人間失格』、そして谷崎純一郎の『痴人の愛』に影響を受けて、ストリップ小説としての『人間失格』『痴人の愛』を書いてみようと密かに考えている。まだ構想段階だが、老後の課題として、楽しく時間を費やしたいものだ。

 

 

                                   つづく