今回は、H29年5月結の渋谷道劇における、春野いちじくさんの「東電OL殺人事件」をモチーフにした作品を題材にして、「表現者としての挑戦」について語ります。

 

 

 

簡単に観たままのステージ内容を記載する。

白地に赤色が入り混じった衣装を着る。上半身は半袖、ミニスカートの下に透け透けの布が垂れている。すらりとした長い脚が見えるが、左足のみ黒いストッキングを履く。黒い蔓状のポイを首から垂らし、素足で舞う。銀杏BOYZの曲「はじまり」に乗って、錯乱状態のようなおどろおどろした雰囲気を醸す。

次に、水曜日のカンパネラの曲「ミツコ」の歌詞に沿って、売春している様子を演ずる。フェラをする場面もあり。3000円ぽっきり♪という歌詞に合わせ、盆の上で性器を見せる。

最後に、素っ裸になり、下半身にのみピンクの透け透け布を巻いてベッドショーへ。

 

初めて、この作品を拝見した瞬間、頭の中が真っ白になった(笑)。今までのアイドル路線と全く違う。おどろおどろしい雰囲気で、全く内容が分からない。先週の大和で既に新作を拝見しているいちじくファンに聞いても、演目名も知らず(演目名は決まっていない)、内容をよく理解していなかった。せいぜい、いちじくさんの心の中の闇を表現しようとしているのではないか、てな感じの回答しかない。

いちじくさんからのポラコメに、曲名と「東電OL事件をモチーフにしてます」との記載があって漸く内容が理解できた。

本作の曲は、①.「はじまり」銀杏BOYZ ②.「ミツコ」水曜日のカンパネラ ③.「mellow」サカナクション ④.「金輪際」銀杏BOYZ の四つ。

銀杏BOYZの曲「はじまり」と「金輪際」がミソで、今回の演目での音響効果をばっちり担っている。まさしく選曲の妙である。

そして、水曜日のカンパネラの曲「ミツコ」が本作のキー音楽になっている。これは園田温監督で水野美紀主演の2011年公開の日本映画「恋の罪」からインスパイアされた楽曲である。そして、この映画「恋の罪」こそが東電OL殺人事件を元ネタにしている。

ということで、東電OL殺人事件を知らないとこの演目は理解できないことが分かる。早速インターネット検索で調べてみる。

 

この事件の概要は次の通り。

1997年(平成9年)3月19日に、東京都渋谷区円山町にあるアパートの一階空室で、売春婦の遺体が発見された。このアパートの近くに、不法滞在のネパール人男性マイナリ(当時30歳)が住んでいて、売春の相手の一人でもあったことから犯人として逮捕・有罪判決を受け、横浜刑務所に収監された。この時点まではありきたりの事件として認識されたが、しかしマイナリは、捜査段階から一貫して冤罪を主張。後に冤罪と認定され無罪とされたため未解決事件となった。

この事件の最大の注目点は、被害者の売春婦が東京電力東京本社に勤務するエリート幹部女性、渡邉泰子(当時39歳)であったこと。泰子は、慶應義塾大学経済学部を卒業した後、東京電力に初の女性総合職として入社。未婚のエリート社員であったが、後の捜査で、退勤後は、円山町付近の路上で客を勧誘し売春を行っていたことが判明する。被害者が、昼間は大企業の幹部社員、夜は娼婦と全く別の顔を持っていたことで、この事件がマスコミによって興味本位で大々的に取り上げられた。

泰子は東電本社では企画部調査課に所属し、1993年(平成5年)には企画部経済調査室副長に昇進していた。同室は電力事業に対する経済の影響を調査する部署であり、その中で国の財政や税制およびその運用等が電気事業に与える影響をテーマにした研究を行い、月一、二本の報告書を作成していたそうで、そのレポートは高い評価を得ていたと言う。

そんな高学歴のエリート社員で金銭的余裕があるのに、夜は相手を選ばず不特定多数の相手と性行為を繰り返していたことには、自律心を喪失し、何らかの強迫観念に取りつかれ、自暴自棄になった依存症があるとする見方もある。また、円山町近辺のコンビニエンスストア店員の証言によると、泰子はコンニャク等の低カロリー具材に大量の汁を注いだおでんを頻繁に購入していたこと、更に加害者とされたネパール人男性マイナリが「被害者女性は骨と皮だけのような肉体だった」との証言などから、泰子は拒食症を羅患していたとも推定されている。(泰子は身長169㎝に対し体重は44kgしかなかった)

 

 渋谷道頓堀劇場にも近い円山町はラブホテル街であるが、デリヘルの隆盛によって風俗街という側面を持ち始める。そして、その一角で1997年、東電OL殺人事件が起こる。

 泰子にとって、円山町は通勤途上だったらしい。

 それにしても、東電のエリートでプライドもあっただろう彼女が、立ちんぼという風俗でも最低辺の仕事を選んだのが謎とされた。一つの仮説としては、泰子は仕事では認められていても、女性として認められない。ホテトルに在籍していたこともある泰子は、客がつかないときもあった。それは自らの女性としての価値を認められないことになる。だから客がつく場を探していた結果、立ちんぼということになったのでは。

 実際、女性というのは男が考える以上に、自分の体を売ることに抵抗がないと記者は言う。体が汚れる、心が荒む、そう考えるのは男の偏見で、意外と女性たちは体を売ることに抵抗がない。例えば援交はよくない、という意見もあるが、じゃあお金持ちの社長と結婚したがるのはいいのかと。相手の富を目当てに玉の輿に乗るのは長期間の援交とも言えるからと。

 昼とは全く違う、立ちんぼという夜の顔。その被虐的な快感を楽しんでいたのかもしれない。円山町というのは駅から離れていて、しかも坂の上にある。隔絶された非日常的な、非現実的な雰囲気に満ちている。男も女も、ここでは変身できるステージ。泰子は、昼はエリートOL、夜は円山町で立ちんぼをやっている自分に酔っていたのかもしれない。

〔以上、東電OL殺人事件についてインターネット検索から末尾に掲げた参考文献や記事を参照した。〕

 

 東電OL殺人事件のことを知ることではじめて本作が理解できる。片足だけ黒いストッキングを履いている意味。白と赤の清純な服に黒いポイが垂れているのは、清純さを切り裂く黒い影を指す。

 改めて、ストリップも非日常的な、非現実的な空間であると思い知る。

 毎日のように、絶世の美女である踊り子さんに会いに通う。素敵な裸体を好きなだけ観賞することができる。しかも楽しく相手をしてもらえる。まさしく竜宮城の気分。しかし、それは入場料を払った劇場という限定的な時空間のみであり、そこから一歩外に出れば厳しい現実の世界がある。

 私も、大企業のエリート社員と劇場通いのストリップ・ファンという全く違った世界を行き来していた。そこには矛盾も生じ、葛藤も生まれる。私自身は健康的な遊びと思っていても、家族や会社同僚に自慢できないし、ましてや履歴書に書ける趣味ではない。だからか、東電の彼女の気持ちがなんとなく理解できる。

 同じように、踊り子自身も、ストリップと現実との狭間に悩むことがあるだろう。美しい衣装とヌードという華やかなショーとしてのストリップの面と、裸体をさらすエロスの面との葛藤。自分なりに仕事に誇りは持つも、親や友達になかなか自慢できる仕事ではない。また先ほどの記事ではないが、ストリップにおける沢山のプレゼントやチップなどの貢ぎ物やスポンサーの存在等は他の風俗や援交と違わないのか等々。考えだしたら切りがない。

 そんな心の中に潜む矛盾や葛藤を表現してみたくなる。表現者としての自然の欲望であろう。今回の演目は、そうした春野いちじくさんの心の叫びなのかもしれない。

 奇しくも東電OL殺人事件が起こった1997年が、いちじくさんが生まれた年である。あえて、この事件をモチーフにしたことになにか因縁を感じる。いちじくさんは、今回の演目は「(表現者としての)挑戦」であると話してくれた。女優は汚れ役を演ずることではじめて本物になると云う。映画「恋の罪」でセミヌードを晒し熱演した水野美紀さんもそう。我々いちじくファンとしては、しっかり受け止めてあげたいと思う。そして、これからの飛躍に期待したい。

 

平成29年5月                            渋谷道頓堀劇場にて

 

〔参考文献〕インターネット検索から

・Wikipedia 東電OL殺人事件

・東電OL殺人事件の被害者女性とは

・東電OL殺人事件18年目の真実・・・なぜ彼女は円山町に立ち続けていたのか?