中条彩乃さん(ロック所属)について、H30年12月頭のライブシアター栗橋での公演模様を、新作「ノンフィクション」を題材に、「作品を感じ、そして育てる」という題名で語りたい。

 

 

 

 

 思えば、初披露前に、踊り子さんに演目名と選曲を聞いたのは初めてだ。おそらく事前に教えてくれる踊り子さんはいないと思う。これまでの観劇レポート、特にこの周年作ふたつの観劇レポートが彼女との信頼関係を深めたのだろう。

 観劇レポートのために事前に勉強しておく経験も初めてだよ。前日、深夜遅くまで選曲について調べた。やり出したら興味深々になり止まらなくなる。

 ふつうに考えたら曲は聞き流すもの。これだけ関心をもって真剣に曲を調べるというのも、それが大好きな踊り子さんの選曲だからだ。彼女がどんな想いをその曲に抱いてステージに使いたいと思ったかを是非とも知りたい。激しく衝動に駆られる。時間をかけて歌詞を確認する作業。知れば知るほど、その歌手の世界にのめりこんでいく。こんな素敵な歌手がいたのかと、思わず好きになる。こうして、踊り子のステージを通じて、私とその歌手との出会いがある。素晴らしい縁をとりもってくれたことに感激と感謝の念でいっぱいになる。今回、その選曲の四曲すべてにおいてそう感じた。

 以下に、ひとつひとつ紹介したい。

 

 まずは一曲目の、平井堅の「ノンフィクション」。

演目のタイトルにもなっているので、一番重要な曲なのだろう。

 私はこの曲を昨年末の『第68回NHK紅白歌合戦』で初めて聴いた。そのときにリオパラリンピック閉会式に出演した義足のダンサー・大前光市とコラボしているのが印象的だった。今回ネットで調べていて、この歌が自殺した友人に向けて作られたものと知る。ノンフィクションの歌詞を見ながらこの曲を聴いたら、言葉の一つ一つに今は亡き友人への強いメッセージが込められてるように思え涙が出てくる。平井堅さんがこの歌をうたう時にずっと花束持っている意味が初めて分かって感動した。

 合わせて、YouTubeでMVを観て衝撃を受けた。田辺秀伸が監督したミュージックビデオは夜の遊園地で撮影され、歌い上げる平井堅の周りを舞踏家の工藤丈輝が歌詞の世界観を体現するかのように舞う作品に仕上がっている。このMVのダンス(パフォーマンス)は鬼気迫るものがある。狂気とか絶望感とか、それでもどうにか這い上がろうとするんだけどうまくいかない葛藤とか。。そういう生々しさと、曲調や平井堅さんの美しい声との対照がよけい切ない。

他にも『2017 FNS歌謡祭』(フジテレビ系)では欅坂46の平手友梨奈とのコラボが話題になっている。平手友梨奈のソロダンスも憑依系で鬼気迫るものがある。

<「ノンフィクション」という楽曲は、今年初頭に親しい人が突然命を絶ち、大きなショックを受けた平井が、その人に伝えたいことや人生の苦渋、苦難を歌ったミディアムバラード。今を必死に生きている者から死者へ〈何のため生きてますか? 誰のため生きれますか? 僕はあなたに あなたに ただ 会いたいだけ〉と訴えかける、挽歌にもレクイエムにもなっている曲だ。となると、同曲の世界観を表現しているダンスは言わば“鎮魂の舞”。平手も工藤も大前も、曲の冒頭は生きることに絶望や悲観した様子を見せながら、平井の歌声の情感が増幅するにつれて、より大胆に動き、大切なものを抱きしめるように切ない表情を覗かせる。クライマックスにあたる〈叫べ 叫べ 叫べ 会いたいだけ〉の部分では、それぞれの形で感情を爆発させ、まさに叫ぶように踊っているのだ。>

 生と死という重いテーマを扱い、人間の暗部から突き詰めていくと、こうした暗黒舞踏に繋がっていくのかなと感じられた。

 

 二曲目のSia の「I'm In Here」。

とても美しい旋律の曲であるが、歌詞の内容は「私はここに居るの 誰か気づいて そして私を孤独や悲しみから救って!」という悲痛な叫びの唄である。

シーアが世界的ヒットシングル『シャンデリア』を生み出した歌手で、顔を公表しない天才ソングライターであることは知っていた。彼女のプライベートでは鬱病、鎮痛剤依存症とアルコール依存症、そして自殺未遂……とハードな人生を送っていたそうだ。顔を公表しないというのはそうしたことが原因かもしれないな。

彼女も、人間の暗部から歌を紡げる一人と云えそう。

 

 三曲目は、中条彩乃さんが大好きなアーティストAimer(エメ)の『Black Bird』。2018年9月5日発売Aimer 15th single は、映画『累-かさね-』(2018年9月7日(金)公開・主演:土屋太鳳×芳根京子)の主題歌である。

 中条さんのアドバイスに沿って、映画『累-かさね-』のことをネットで調べた。<醜い顔でありながら卓越した演技力をもつヒロインが、口づけをした相手と顔と声を入れ替えることができる口紅の力を使い、他人の顔を奪いながら舞台女優として活躍していく姿を描く。> 美醜をめぐる人間の業を描いた作品だ。

 これをAimerが見事に曲にしている。こうした人間の暗部を歌いあげられる唯一に近い日本のミュージシャン(表現者)である。

 

 四曲目のTiaraの「歌うたいのバラッド」。

 この曲は前の三曲とはイメージが違う。中条さんが本演目で意図した「孤独、淋しい、一人ぼっち・・そんな悲しいようなキモチを、優しさで包み込む」のうち、前者を前の三曲が担い、後者の‘優しさで包み込む’をこの「歌うたいのバラッド」が担っている感じ。

 この曲のオリジナルは、作詞作曲者の斉藤和義で、1997年11月21日に発売された斉藤和義15枚目のシングル。

 隠れた名曲だ(いや私が知らなかっただけか)。 <2009年9月25日にテレビ朝日系で放送された『ミュージックステーション3時間スペシャル あなたとアーティストが選んだ新国民的名曲BEST100』で第77位にランクインした。また、ミュージシャンのゆずが同調査で本楽曲を挙げ、「歌手として言いたいことをズバリ言われちゃっている曲」と言う旨のコメントをしたVTRが番組内で紹介された。> こんな凄い曲を知っている彩乃さんに驚く。

 

 ひととおり曲を調べてから、初披露前に、以上の話を簡単に手書きで手紙で話したら、中条さんから次の返事をもらう。

「Aimerの曲は、新作出たー!と思って聴いてて、歌詞の意味とかを知りたくて調べてて、映画に辿り着きました。いつか演目で使おう・・と思ってたけど、映画や歌詞から、今回の演目に合うと思いました。

ノンフィクションと歌うたいのバラッドは絶対使いたい曲でした。タイトルを『ノンフィクション』にしたのも、私自身に起こった悲しい出来事から作った演目だからです。」

「今回の新作の選曲をしてるとき、個人的なことですが悲しいことがありました。お客さんに、応援を続けるのが難しいと言われたのです。踊り子を‘応援する・しない’はお客さんの自由です。理由は転勤、引っ越し、結婚、金銭面、健康面など・・・いろいろあると思います。私のお客さんも、やむを得ない事情でした。お客さんや、ストリップファンは、世の中にたくさんいるけれど、一人一人違う人間です。それぞれみんなのことが大切でしょうがないです。どれだけたくさんのお客さんが観に来てくれて、楽しく踊っていても、ステージはやはり孤独であると思います。さみしくて、ふるえて、もがいて、『私はここだよ』と叫んでるのが伝わればいいな。

そして最後の『歌うたいのバラッド』。‘嗚呼 唄うことは難しいことじゃない’踊りもきっと同じなんです。技術の部分や表現力とかそういった話じゃなくて、お客さんと、その瞬間を共有して心を通わせるのは、‘歌うたい’も‘踊り子’も同じなんじゃないかなぁと・・・歌うたいのバラッドは、最初の<愛してる>と最後の<愛してる>が過去と未来それぞれに向けているそうです。

その‘あるお客さん’が応援してくれていた過去も、その人がいつか私を思い出す未来も、今いるお客さんたちとの瞬間も、全てに向けて愛を。孤独ながらも、一方通行であったとしても、優しくみんなに伝えたいと思っています。」

  中条さんの本演目に込めた思い入れが凄くよく伝わってきた。私が歌だけから感じたものとかなり近い。私の解釈もあらかた間違ってはいなかったと思えた。

改めてAimerの『Black Bird』の中の歌詞「すぐに落ちていきそうだ  まるで一人のステージ  真っ暗闇で 声を枯らすよ」が心に響いてくる。

また、平井堅の歌詞「ただ会いたいだけ」と斉藤和義の歌詞「愛してる」がつながって聴こえてきた。

 

さて、以上四曲に基づいて、MIKAさんがどんな振付・構成をしてくるのか、これは簡単ではない。私の関心はそちらに向かった。 

さっそく、初披露の新作内容を私なりに紹介する。

最初がベッドショーからスタートする。MIKAさんの演目にも同じパターンがある。

ふわふわした、白というか水色というか、肩紐で吊るしたドレスを羽織っている。

一曲目の平井堅の曲「ノンフィクション」に合わせて、ベッドショーを演ずる。近くで観ていたのでアクセサリーが目に入る。腹部にガラスのリングを巻く。左手首に金のブレスレットがキラリ☆ 手のマニキュアもピンクできらきら輝く。

二曲目のSiaの曲「I'm In Here」に変わって、舞台に移り着替える。刺繍入りの白いドレス。上部はフード付きの布を軽く羽織る感じ。下部はふわふわしたスカート。裸足で踊る。

三曲目のAimerの曲「Black Bird」に変わって、上着を脱いで、青い(一部黄色い)布を羽織ったり、手にもって揺らしたりして舞い踊る。

四曲目のTiaraの「歌うたいのバラッド」になって、青い布だけを持って、再びベッドショーへ。

 

初出しが終わり、ようやく緊張がほぐれたようだ。次のコメントをもらう。「無事に・・・(?)初出し終了しました。布や衣装とケンカしまくりですが、仲良くできるように頑張ります(笑)  MIKA姐さんに近づけるように努めます。」

まさしく本作品はMIKAさんのカラーである。MIKAさんが中条さんに乗り移っているようにも見えたよ。

MIKAさんがブログで「新作は彩乃ちゃんの裸を存分に堪能できる演目になっております✨」と書いてた意味が分かった。ダブル・ベッドショーで、若くて瑞々しいヌードを二度も楽しめたことだね。

また、MIKAさんがよく言っている「いま表現できる最大限の美しさを出す」が、本作品にも十二分に出ていた。コンテンポラリーな動きに、中条さんの想いが美しく表現されている。

 

私の率直な感想を述べさせてもらうね。

観てすぐの、最初の私の言葉が「この作品は周年作と対極にあるね」だった。初出し直後のポラ時に話したね。

周年作ふたつが、ある意味で分かりやすく、ストレートなインパクトがあったのに対して、今回の新作は内面の感情を表現しているがゆえに難しく、作品全体は美しいものの、最初のインパクトが弱かった。私は事前に曲を教えてもらって内容を把握していたのでよかったが、一般の観客はステージを観ただけでは中条さんの想いはなかなか伝わらないのではないか、と感じた。

また、美しくまとめようとの意識が強いために、おとなしくなり過ぎている。先に話したように、平井堅の「ノンフィクション」を踊りで表現しようとすると、トップダンサーである工藤さんも大前さんも平手さんも、人間の暗部を突き詰めるために暗黒舞踊に突き進んだ。今回の前三曲をこのぐらいのインパクトを出す表現方法もあったのかもしれない。また、人間の暗部を表現するには、美しさではない方が合っているのかもしれない。かなり難しいけどね。これは振付けるのも演ずるのも大変ではあるが。

 

 今回の作品は「観せるステージ」ではなく「感じるステージ」なのだと思う。

 歌の歌詞がひとつひとつ意味深で重い。これを味わうためには時間がいる。

 中条さん自身が動きや表情で想いを表現するのにも時間が要るだろう。ある意味、この作品はすぐに観て分かってもらうのでなく、じっくり感じてもらい、踊り子と一緒に育てていく作品なのだと思う。だから、とても観劇レポートひとつで完結するような気がしない。

 

平成30年12月                       ライブシアター栗橋にて