「崖の上のポニョ」がやってくる  

~キャッチコピー「生まれてきてよかった」~

 

 

 森のストリップ劇場に、映画『崖の上のポニョ』の主人公である宗介とポニョがやってきた。

 劇場の踊り子たちは、憧れのポニョたちが来てくれて、張り切ってステージを務めた。

うさぎちゃんもバンビちゃんも、かわいらしさ全開である。

「う~!!! ストリップって最高だ。こんな素敵なストリップを観れるなんて、本当に生まれてきてよかったと思うよ。」宗介が感嘆する。

ふたりはストリップに大感激。「ポニョも、ストリップ、好き、好き、大好き!」

 ポニョはステージに駆け上がり、うさぎちゃん達とストリップを始めた。

 カメさんは「ボクは映画の中で、波である魚の上を猪突猛進に走るポニョの姿が一番印象的だったな。宗介を好きだと想うポニョの素直な気持ちがすごく伝わってきて感動したんだ。今回もストリップが好きだという気持ちをすぐに表してくれて嬉しいよ。」と話す。

 宗介はポニョのストリップを嬉しそうに眺めていました。

 観劇後、ポニョは「海の動物たちにもストリップの楽しみを教えるね。」とはしゃいだ。

 

 すると、劇場関係者の心無い一人が最後のポニョの言葉にこだわり、無神経にも次の言葉を言い放った。「海の中でストリップができるはずがない。ましてや、海の魚たちは、森の動物たちに比べて下等な生き物だ。彼らにストリップの良さなんて分かるはずがない!」

 その言葉に対して、カメさんとうさぎちゃんが噛みついた。

カメさんはすぐに「以前、ボクとうさぎちゃんは竜宮城に招待されて、そこでうさぎちゃんが乙姫様や魚たちの前でストリップを披露して大喜びされたことがあったんだよ。」と反論しました。カメさんは、魚たちが馬鹿にされることが、動物たち哺乳類に比べて劣るとされる爬虫類である自分のことを重ねて感じるものがあったのでしょう。ふと、カメさんは確信した。あの時の乙姫様こそ、映画に登場するポニョの母親、海の女神グランマンマーレなんだ、と。

 うさぎちゃんも加勢しました。

「ストリップには種族も老若男女の区別もなにも無いのよ。単に、ストリップを純粋に好きかどうか。それだけよ。」

 合わせて、カメさんがいつもの調子で少し理屈っぽい話を始めた。「ストリップは我々にとってファンタジー・ワールドなんだ。劇場の中に一歩足を踏み入れると、そこは現実の世界とは違う異界になる。裸の世界だから当然そうだよね。現実の世界では裸でいると公序良俗違反で逮捕されちゃうもん。でも、そういう世界は必要なんだ。みんなが心を癒すためにね。だから、ストリップはパラレル・ワールドなんだよ。

 映画『崖の上のポニョ』の後半を見ると、町が突然に海の底に沈むよね。あれは死後の世界のことをいっていると話す批評家もいるけど、ボクはそうは思わなかった。ボクはいつもストリップ通いしているから、劇場の扉を開けた瞬間に異界の世界に入っていく感覚を常に味わっている。劇場の中はまさしくファンタジー・ワールドなんだ。

 大切なことは、ストリップを純粋に好きかどうか。そういう気持ちのある人にだけ、ストリップはファンタジー・ワールドになれるんだ。人間の世界だろうが、動物の世界だろうが、魚の世界だろうが関係ない。そこが陸だろうが海だろうが、もしかしたら宇宙だろうが、場所なんて関係ない。要は、ストリップが好きという気持ちなんだ。

 ボクはいつも思う。ストリップのある世界に生まれてきて本当に良かったと。」

 

 宗介とポニョは、カメさんとうさぎちゃんの言葉に感激した。

そして、宗介はカメさんに対してこう話した。

「ボクは、ポニョのことが大好きだ。ポニョが魚だろうが、半魚人だろうが、人間だろうが、全てのポニョが好きだ。はっきりそう言える。

 映画のラストで、気味の悪い‘試練のトンネル’をくぐったけど、ボクの気持ちは揺るがなかった。魔法を使えるポニョは凄いけど、魔法なんて使えなくてもポニョの魅力は変わらない。月が地球に近づいてきて地球が壊れようがボクの気持ちは変わらない。だから、ポニョが年老いて老人ホームひまわり園のお婆さん達のように車椅子になっても、万一不慮の事故に遭って車椅子の身障者になろうが、ボクの愛情は変わらないということだ。どんな事態が起ころうが、どんな状態のポニョだろうが、ボクはポニョが大好きなんだ。

 うさぎちゃんがカメさんのことを好きという気持ちがボクにはよく分かるよ。亀が兎より下等な動物だなんて、そんなの関係ない!好きだという気持ちが大切なんだよ。」

 宗介の話を聞いていたうさぎちゃんは涙ぐんでいた。

 

「海のみんなによろしくねー!」

 うさぎちゃんとカメさんは、また海のストリップ劇場に行くことを宗介とポニョに約束した。

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4.ポニョが嫌がったトンネルの意味とは?

 

終盤に宗介とポニョはトンネルを通ることになりますが、なぜかポニョはそのトンネルを「ここ、キライ…」と言います。トンネルを進めば進むほど、ポニョは人間から半魚人、そして元のさかなの姿に戻ってしまいました。

 

このトンネルが示すものは何か、ということにはさまざまな解釈があるでしょう。個人的には、このトンネルは、宗介にとっての“最後の試練”であり、“ポニョにとっての”宗介に嫌われてしまうかもしれないという恐怖”であると考えます。

 

ポニョの母であるグランマンマーレは、「ポニョの(もとはさかなであり半魚人でもある)正体を知っても、それでも好きでいてくれますか」と最後に宗介に質問していました。つまり、人間、半魚人、さかなと、どんどんポニョの正体がわかっていくトンネルは、この質問を前提とした試練になっていると考えてられるのです(もっとも、宗介はその前からポニョの正体を知っていますが)。

 

また、ポニョの父のフジモトからは、試練に失敗するとポニョは泡になって消えてしまうことが語られています。つまり、最後のグランマンマーレからの質問で、さかなや半魚人のポニョと一緒にいたくない、と宗介が思ってしまうと、ポニョは死んでしまうのです。たとえ死ななくても、宗介のことが大好きなポニョにとって、そう思われてしまうことは、何よりの恐怖のはず。だからでこそ、ポニョは自分をさかなや半魚人にしてしまうトンネルのことを「キラい」と言ったのではないでしょうか。

 

なお、このトンネルは入り口「交互通行」「一車線」「譲り合い」などと書かれており、幅は狭くても一方通行ではない、どちらからも行き来できる場所であることが示されています。このトンネルは、海の世界と人間たちの世界の境目であり、注意しながら行き来するための通り道なのかもしれませんね。

 

⇒身体障害者と見られたくない気持ち 身障者の引け目をいつも抱えていた!!!

堂々と歩けるか?

 

 

5.「大好き!」という感情が世界を救う

 

ポニョは宗介のことが大好きすぎて、人間になりたいと願ったため、あわや世界が破滅しかけてしまいました。その世界を救ったのも、宗介からポニョへの大好きという感情でした。本作の物語はつまるところ、ただただ「大好き!」という、子どもが持つ純粋な気持ちを肯定していると言っていいでしょう。

 

宮崎駿は、『崖の上のポニョ』を“神経症と不安の時代に立ち向かう”作品であるとしています。その不安とは劇中で描かれたことだけではなく、経済危機や環境汚染などの、現実の身近な問題のことも含んでいるのでしょう。映画の中でそれらに具体的な問題提起や批判をするのではなく、5歳の子ども(宗介とポニョ)の「大好き!」という感情こそが、不安なことや問題を解決してしまえるというのも、『崖の上のポニョ』の素敵なところです。

 

そういえば、宗介とポニョがボートに乗っていた婦人(声の担当は『千と千尋の神隠し』で千尋を演じていた柊瑠美)と別れる前、今まで人間だったポニョがなぜか半魚人に戻って、泣きじゃくっている赤ちゃんの顔をギュッとして笑顔に変えてあげる、というシーンがありました。これは、ポニョの“どんな姿であっても、人間の誰かのことを全力で好きでいられる”純粋な性格を表しているのかもしれませんね。

 

さらに余談ですが、宗介が老人ホームのおばあさんたちに金魚の折り紙をあげている中、「天気予報なんか当てにならないよ」などとぶつくさ文句を言っていたトキさんにだけ、自分のお父さんの乗っている船の折り紙をあげる、というシーンもありました。これも、嵐に負けない船という、トキさんの“不安”を解消してあげるものをあげようとする、宗介の純粋な気持ちが表れたシーンなのでしょうね。

 

⇒ストリップを純粋に好き!

 

赤ちゃんのことを純粋に好き!と思う母親の愛が赤ちゃんを救う!!!

 

 

 

 

森のストリップ劇場では「海のさかな達をストリップに出していいのか?」という議論が出ていました。

 

 

海のストリップ劇場をつくればいいじゃないか!?

 以前、カメさんとうさぎちゃんは竜宮城に招待されて、うさぎちゃんがそこでストリップを披露して大いに盛り上がった話をしましたね。

 

 大切なことは「ストリップが純粋に好きか!?」どうかです。

 

「(ストリップがあって)生まれてきてよかった」というキャッチコピー!!!!!

 

 

 

 

■「境界」。

・トンネル: 別世界への通路。人じゃないモノ(死者や精霊)に会えたりする。

・言霊: 名前。約束。問いかけと返答。

・食べ物: 命を分ける。食べた人の存在が変わる(千と千尋の両親とか)。

 

火、水、土なんかが向こう側の世界の入り口だ。

トンネルを通ったり、

灰を使ったり、泥を身体に塗ったり、

扉を開けたり、なぞなぞを解いたりすると、

向こう側にいける。

 

境界を越えやすい特性っていうのもある。。

子供。女。

まっすぐ歩けない人(片足になんか起こるケースが多い。シンデレラ)。

なんか二つ以上の生き物がくっついちゃったようなやつ。

 

フジモトがわざわざカニ除けの結界を張らなきゃいけなかったのは、

カニがまっすぐ歩けない=境界を越えやすい生き物だからだろう。

水陸両用なのも境界を越えやすい体質って言える。

半魚人とかモロ。

 

そんなんで境界を越えるのは結構簡単。

でも向こう側で長くとどまると危険。

世界のバランスが崩れて、ほころびが生じる。らしい。

 

自分が死ぬだけじゃ済まなくなる。

アルマゲドン並みの悪いことが起こってしまう。

何でか知らないけど神話ではそういう決まりらしい。

 

じゃあどうすればいいかというと、いくつか方法があって、

 ・すぐに戻ってくる(トトロ)

 ・向こう側の特性(食べ物・名前)を得て、別の存在に変質する(千と千尋)

 ・世界のほころびを閉じられるほどの大きな挑戦をし、成功させる。

…他にもあるけれど、

ポニョを考える上ではこれさえ踏まえればOK。

 

「崖の上のポニョ」は、宮崎映画史上、初めて

境 界 を 決 定 的 に 越 え る 物語だ。

 

宮崎作品で描かれるのは、いつも、境界の向こう側とこっち側が重なったときに起こる話だ。

主人公は境界を行ったり来たりするけど、今までは絶対に「帰ってきた」。

 

アシタカははっきりと別々に暮らすことを宣言するし、

ハクは「振り返らずに行け」と送り出して、

千尋は手を振って決別する。

 

「ジブリ映画には『元の世界には戻れないかもしれない』というスリルが足りない」

と言われていたくらいだ。